この年、1月に阪神・淡路大震災が起こり、3月にはオウム真理教によって地下鉄サリン事件が引き起こされる。戦後50年の年に起こった2つの出来事は日本の安全神話を根底から突き崩した。それは村崎が嫌悪した「スカした世の中」が崩壊する端緒ともなり、以後、村崎のプレゼンスは年を経るごとに低下してゆく。2000年に唐沢俊一との時事対談『社会派くんがゆく!』シリーズを開始した時点で村崎の発言からはかつて見られた社会への剥き出しの憎悪が後退し、傍観者としての立場から茶化しを入れるものに変質しているように見える。村崎は汚穢に満ちた言葉で社会の相対化、低俗化を試みたが、この時点で悪罵を投げつけカウンターをかける対象はもはや強度を失っている。はからずも村崎が目指した社会の凋落は現実のものとなった。
それでも村崎の言葉は蕩尽(とうじん)されず無用にはならなかったと私は考えている。80年代のコピーライター講座で商品にならないくだらないフレーズを考えつづけたような無駄な行為、脱線や逸脱の態度こそが村崎の言葉を延命させたように思う。
村崎は生涯に渡り「電波」に苦しんだように、どうにも社会から逸脱してしまう存在である。『鬼畜のススメ』は『危ない1号』1巻では『完全ゴミあさりマニュアル(仮題)』として近日刊行が告知されていた。このタイトルは93年に発行されベストセラーとなった鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版)を意識したものだろう。鶴見の著作は首吊りや飛び降りなどの自殺の方法が詳細なデータとリサーチに基づき淡々と紹介されるクリアな構成が話題となった。ところが村崎の著作は、マニュアル本を目指しながらもやはり脱線してゆく。
『鬼畜のススメ』にはゴミあさりのハウツーを取り上げたマニュアル要素もあるが、大部分は雑誌連載や日記などの雑文で埋まっている。何よりタイトルは72年の寺山修司の著作『家出のすすめ』に由来するものだろう。村崎が90年代に世に問うたテキストは、むしろ80年代より過去に遡行した70年代の趣すらある。村崎は90年代に時代不相応な決定的に遅れた言葉を記し、その古さがネットとの接続を拒んだ。ここでも村崎の特性である脱線、逸脱、ズレが機能している。
5、なぜ90年代が重要なのか
この原稿の冒頭、私が村崎に惹かれた理由として相反する人格を宿す姿を挙げた。拙論はフリーライターとしての村崎、小説家としての村崎、さらに本名の黒田一郎と異なる名義で書かれたテキストを取り上げている。村崎の人物像のような複数の要素が絡み合い、交雑する場に私は惹かれる。90年代の鬼畜系サブカルチャーとインターネットの関係もそうしたものだった。
鬼畜系は90年代出版バブルの最末期に生み出された。同時期にインターネットが台頭し両者はまじわりを見せた。一部は接続し、村崎の言葉は切断された。その結果は何をもたらしたのか。
村崎のテキストが記された90年代の出版物は現在も残されている。対して2000年前後のインターネットのデータはほとんどが消失している。当時、数多あった個人サイトの中には鬼畜系の影響を受けたものも少なくないと思われるが、現在により近い20年前のネット情報が散逸し、より過去である30年前の出版物が残る現状が実証を困難とする。
フィジカルに拘泥しネットとの接続を拒んだ村崎の感覚は正しかっただろう。ならば、ネット空間で散逸せず、生き残った村崎の言葉はどう扱われるべきか。村崎は『鬼畜のススメ』で「己の欲望に忠実に、徹底的に利己的であれ」と記した。この利己的な言葉とふるまいこそ、今の時代に必要なものであるように思う。
先に触れたように、村崎はネット空間で「言語ウィルス」が悪意を持ち増殖していると批判した。バロウズは「言語ウィルス」の支配から逃れる手段として、既存の言葉を切り刻み並べ替えるカットアップを試みた。そこでは理路整然とした原文が「異常」であり、カットアップ後に生ずる滅茶苦茶なテキストこそが「正常」となる逆説が生ずる。これはネット上にあふれる無味乾燥なテキストと、村崎の支離滅裂なテキストとの対比にそのまま当てはまらないだろうか。浮遊するネットの言葉の軽さと、肉体を伴った村崎の言葉の重さの質的な違いは明瞭である。
村崎の言葉は暴論と極論に埋め尽くされ、徹底的に利己的でジャンクでノイジーであり、多分の逸脱を内包していたからこそ「言語ウィルス」の支配から逃れ、90年代に社会とのズレに悩む少なくない人々に救いを与えた。ならば、生活のすみずみまでネットが繋がり、空疎な言葉があふれるバーチャルな空間をさまよう現代に生きる私たちも、身体性を伴った自らの言葉、意思、生存を取り戻すために村崎の言葉を必要とするのではないか。村崎は鬼畜を「人非人的な行為」ばかりでなく、本質として「他人に一切配慮せず自分の好きなことを貫く」とも定義している(※11)。村崎の言う鬼畜とは利己的なふるまいとイコールなのだ(※12)。
90年代に鬼畜系が問いかけた内容は現在も地続きのものとして存在する。鬼畜系は過去の負の遺産ではない。だからこそ村崎の言葉は現実空間に根ざしたアクティブなものとして扱われるべきだ。さらに鬼畜系に対しネット炎上の遠因のような負の評価を与え、すべて悪と見なし排除するのではなく、良質な部分を抽出し、現代社会の処方箋として援用する試みも必要だろう。鬼畜系は毒にも薬にもなる。それこそ「言語ウィルス」が実在するならば、村崎のテキストはそれに対抗するワクチンともなりうるだろう。鬼畜系を捉え直し、出会い直すために90年代末の交雑に今あらためて目を向けるべきである。
(※1)
ばるぼら さやわか『僕たちのインターネット史』(亜紀書房), p.75.
(※2)
『村崎百郎の本』(アスペクト),p.118
(※3)
『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ), 2006年12月号,p.70-71.
村崎はネットを唐沢俊一との時事対談『社会派くんがゆく!』シリーズ(アスペクト)に関するリサーチ程度にしか使わなかったとされる。さらに97年に自身のホームページを開設しているが、これは96年発行の単著『鬼畜のススメ』(データハウス)の宣伝目的が大きい。Eメールを通じ一部の読者とは交流を持ったようだが、これも連絡手段(ツール)としての使い方であり、村崎がネットで独自の活動を展開した形跡はない。
(※4)
『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ), 2006年12月号,p.70-71.
(※5)
『コンピュータ悪のマニュアル2000』(データハウス), p.202.
(※6)
ばるぼらも刺殺事件後に発行された『村崎百郎の本』「村崎百郎の仕事・不完全リスト(暫定版)」で「ネット系アングラ記事を中心とした技術情報本だが、村崎は昔ながらのスタイルで書きなぐっているため浮いている」(p.350)と評している。
(※7)
東洋経済オンライン「『非会社員』の知られざる稼ぎ方「「悪の手引書」編み出した男の強烈なとがり方」(聞き手=村田らむ)
https://toyokeizai.net/articles/-/212596
(※8)
「『クイック・ジャパン』創刊編集長が語る90年代と現在:個人の眼と情熱が支えた雑誌作り」『中央公論』(中央公論新社)2021年11月号, p.114.
(※9)
『村崎百郎の本』, p.273-274.
(※10)
pha『曖昧日記2 シェアハウス最後の日々』(自主制作), p.50.
2018年6月25日の記述は前日に起こった福岡IT講師殺害事件を受けて書かれている。犯行動機はネット上の逆恨みであり、村崎刺殺事件との類似性が指摘された。
(※11)
『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ), 2006年12月号,p.70-71.
(※12)
村崎、青山の両者と親交のあった木村重樹によれば『危ない1号』には幻の特集案として「孤独」が存在したという(『Quick Japan』vol.38, p.68.)。この逸話は2001年6月に起こった青山の自死を受けての追悼記事に記されたものだが、ネットの繋がりがより人々をばらばらにし孤独や孤立を加速させる未来を見透かしているようでもある。