2009年8月30日実施の総選挙で圧勝した民主党を中心に、鳩山由紀夫を首相に同年9月16日に発足した政権。社会民主党(社民党)、国民新党との3党連立政権(→「民社国連立合意」)。選挙を介して政権交代したのは戦後政治では1947年と93年に次いで3回目だが、野党第一党が総選挙で過半数を得て政権交代するのは初めて。民主党が参議院での過半数を持たないため、社民、国民新両党と連立を組んだ。自由民主党(自民党)は55年の保守合同後、初めて第二党に転落。政権を失ったのは93年に次いで2度目となる。鳩山首相は「官僚依存政治からの脱出」「政治家主導の政治」を唱え、内閣に国家戦略室と行政刷新会議を新設、重要問題については「基本問題閣僚委員会」を随時開催して調整する仕組みを整えた。政権就任後初めて出席したニューヨークでの国連会議では、地球温暖化問題について温室効果ガスの「90年比で25%削減」という大胆な目標を表明、各国から高い評価を受けた。東アジア共同体構想についても東南アジア諸国などから賛同の声が上がり、外交では得点を重ねた面もあったが、肝心のアメリカとの関係で普天間基地移設問題に結論を出せず、アメリカ側の強い失望を買った。内政では予算編成のプロセスを一変させ、行政刷新会議が予算の無駄を浮かび上がらせるための「事業仕分け」を行った。追加経済対策として2009年度第2次補正予算を決定し、総額約92兆円の10年度予算を決定した。子ども手当や農家への戸別所得補償については10年度からの実現にこぎ着けたが、ガソリン税の暫定税率については実質維持となり、財源不足の中でマニフェスト(政権公約)に背く政策も余儀なくされた。政権のアキレス腱は「政治とカネ」の問題と普天間基地移設問題だった。09年12月、鳩山首相の資金管理団体の虚偽記載事件で、東京地検が元公設秘書を起訴。10年1月、小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の虚偽記載事件では東京地検が小沢の元秘書だった石川知裕衆議院議員を逮捕、2月に起訴したが、小沢本人は不起訴となった。検察審査会は小沢を「起訴相当」と議決するなどしたため、国会での野党の追及はますます厳しくなった。一方、普天間基地移設問題では徳之島などへの代替案を検討したものの、すべて行き詰まり、5月28日、名護市辺野古崎へ移転するという日米共同声明に合意した。これに反対する社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相を罷免。社民党は連立を離脱した。鳩山首相は6月2日、普天間移設問題と「政治とカネ」の問題の責任をとって小沢幹事長とともに辞任する意向を表明し、退陣した。