政権に復帰した自由民主党(自民党)と政権から降りた民主党の二大政党(→「二大政党化」)に対抗できる政治勢力の出現が必要との考えから「第三極」論が盛んである。実際に第三極を目指して2009年8月にみんなの党(代表渡辺喜美)が旗揚げし、10年4月に「たちあがれ日本」(代表平沼赳夫)、「日本創新党」(代表山田宏)、「ローカルパーティー『大阪維新の会』」(代表橋下徹)、さらに「新党改革」(代表舛添要一)が相次いで発足した。7月参議院選挙ではみんなの党が躍進したものの、他の政党は振るわなかった。なお既成政党のなかでは公明党が自らを第三極と位置づけているが、日本共産党や社会民主党はそうした位置づけを行っていない。国民新党の亀井静香代表は12年1月、たちあがれ日本の平沼赳夫代表、石原慎太郎東京都知事と会い、「第三極」を目指すための新党結成に乗り出すことを確認した。一時下火になった第三極運動はまず日本維新の会が9月、地域政党から国政政党に脱皮して活発化し、石原も10月動き出して都知事の辞任と新党結成、さらに「小異を捨てて大同につく」と第三極結集論を打ち出した。しかし現実には石原が党首となり、たちあがれ日本から衣替えした「太陽の党」が日本維新の会に合流しただけだった。民主党から離党して新党「国民の生活が第一」をつくった小沢一郎は別の観点から第三極結集を目指し、嘉田由紀子滋賀県知事を党首とする「日本未来の党」に流れ込んだ。第三極政党の選挙結果は明暗を分けた。日本維新の会は54議席に大きく勢力を伸ばし、みんなの党も好調だったが、日本未来の党は議席を激減させ、小沢と嘉田は分党した。13年参議院選挙で第三極政党が伸び悩み再編論は一頓挫した。みんなの党内では第三極結集論をめぐる対立が激しくなり、与党との協力に傾く渡辺喜美代表に批判的な江田憲司前幹事長が12月、離党して新党「結いの党」を結成し、政界再編をめぐって日本維新の会との協議に入った。今度は政界再編をめぐって日本維新の会内で橋下徹と石原慎太郎が対立し、ついに分党した。二大政党に次ぐ勢力を築こうとの第三極論が逆に分裂を招くという皮肉な結果に終わった。14年総選挙を経ても日本維新の会と結いの党が合流してできた「維新の党」の勢力は伸びず、行き詰まりをどう打開するかが課題となっている。(→「ミニ政党」「ミニ政党の動き」)