「政治主導」を掲げる民主党政権は、2009年の政権掌握とともに、事務次官等会議を「官僚主導」の政治の象徴として、ただちに廃止した。しかし、その結果として、省庁を横断する諸問題に対する省庁間の連絡が不十分になったといわれた。そうしたなかで、菅直人内閣当時の11年3月11日に東日本大震災が起こった。震災への対応にはすべての省庁間の連絡がスムーズに行われることが必要となる。そこで政府は、3月22日に、被災者生活支援特別対策本部の活動を円滑かつ迅速に進めるため、被災者生活支援各府省連絡会議を開くこととした。会議は、松本龍防災担当大臣を議長に、また、片山善博総務大臣、仙谷由人官房副長官、平野達男内閣府副大臣・被災者生活支援特別対策本部の事務局長の3人を副議長に、各府省の事務次官や今般の震災対策に関係する外局の長官が出席をして、当面、1日おきに毎回正午から開催するとされた。5月にはその役割が拡大したために東日本大震災各府省連絡会議と改められた。会議は1~2週間に1度のペースで開かれていた。そして、野田佳彦内閣(11年9月発足)になり、各府省連絡会議は、毎週金曜日に首相官邸で開催され、国政全般の幅広いテーマが扱われるようになった。ただ、会議は官房長官が主宰し、政務の副長官も出席しているなど、かつての事務次官等会議とは異なっている。2012年の自民・公明政権である安倍内閣においてもこのやり方が継続しているが、会議の名前は次官連絡会議と改められた。