自民党政権では、定例閣議が開かれる前日の毎週月曜日と木曜日の正午に総理大臣官邸で開催されていた。構成員は、内閣官房長官、内閣官房副長官(事務)、内閣法制局次長のほか各省・大臣庁の事務次官、警察庁長官である。会議を招集し、主宰するのは官房長官であるが、実際には事務方の副長官が進行係を務めるのが慣例となっていた。この会議は法令に設置の根拠をもたないが、閣議に提出する案件について(政務などにわたるものは除く)関係省庁の間で最終的な事前調整を行う場となっていた。会議の議決は全会一致で行われ、それが得られない案件は閣議に提出されない。かつては関係省庁間で激論が戦わされたこともあったとされるが、関係省庁間で了解が成立した案件だけが議題とされ、調整確認機関としての色彩が濃くなっていた。2009年8月の総選挙のマニフェストで民主党は、「事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う」と宣言していた。9月に成立した鳩山内閣は、それにもとづき、事務次官等会議を官僚主導政治の象徴として、ただちに廃止した。
しかし、その結果、内閣と各省庁との連携が機能しなくなったため、11年の東日本大震災に際して、菅内閣は各省の事務次官をメンバーとする被災者生活支援各府省連絡会議を設置した(3月)。野田内閣では、これが各府省連絡会議へと衣替えし、毎週金曜日に定例化され、国政全般の幅広いテーマが扱われるようになった。第2次安倍内閣ではこれを引き継ぎ、次官連絡会議と名称を変えて、各省庁の連絡にあたっている。