如来(仏)は悟りを開き、法を説いた仏教の師祖・釈迦、また法の具体的な現れを人格化した、仏陀(ブッダ)のことである。菩薩(ぼさつ)は悟りを開くために修行する人だが、大乗仏教(→「大乗/小乗」)では、自分ばかりでなく、衆生も救おうと自利・利他を求める修行者を意味する。明王は如来の命により、悪魔を撃退・降伏(ごうぶく)して仏法を守護する神。天はインドのバラモン教(→「ヒンズー教(ヒンドゥー教)」)や民間の神々が仏教に採り入れられて、仏法を守護する善神になったもの。当初古代インドの宗教観や仏教の哲学的な理念もあって、信仰の対象として尊像を祀(まつ)ることはなかったが、やがて法輪や仏足石、菩提樹などでその教えを象徴的に表現するようになる。仏像は、紀元100年頃、北西インドのクシャーナ朝時代にガンダーラ地方(現パキスタン北西部のペシャワール地方)で、アレクサンドロス大王の東征以来この地に伝わるギリシア文化(ヘレニズム)の影響を受けて、釈迦の造形化が始まり、仏教圏に普及・発展したとされる(同時代、北インドの副都マトゥラーで独自に生まれたとする説もある)。「日本書記」等によれば、日本には538年の仏教公伝(→「日本の古代仏教」)とともに、百済からもたらされたとされている。
如来部・菩薩部・明王部・天部の仏像には、それぞれ表現上の特色がある。如来は出家の姿で装身具をつけず、法衣をまとい、素足である。頭頂には肉の盛り上がった肉髻(にっけい)、髪は螺状(つぶじょう)の螺髪(らほつ)、眉間にある白い毛の塊である白毫(びゃくごう)、慈悲を洩らさないように手足の指の間にある水かきのような縵網(まんもう)、金色に輝く仏身など、三十二相・八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう[ごう])の特色を持つ。ただし大日如来だけは宝冠を被っている。
菩薩は釈迦が出家する前の在家にあった姿を基本にし(→「出家/在家」)、宝髻(ほうけい)といって頭部を束髪に結い、宝冠を被り、瓔珞(ようらく)と呼ばれる首飾りや胸飾り、腕釧(わんせん)という腕輪などの装身具を身につける。ただ、地蔵菩薩だけは頭を丸めた僧形で表す。釈迦如来には文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)、薬師如来には日光(にっこう)・月光(がっこう)、阿弥陀如来には観音(かんのん)・勢至(せいし)の各菩薩を脇侍とする、三尊形式が定形となる。日本では文殊菩薩は獅子、普賢菩薩は白象に乗っていることが多い。また、日本では神仏習合により、仏のために尽くした神に菩薩号が授与され、八幡大菩薩のように僧形の姿で表されることもある。
明王は密教の教理から生み出され、悪を破砕し、救い難い者も威力をもって仏法に導く使命を帯びた使者としての役割を担う。髪を逆立て、牙を出して、怒った相貌「忿怒(ふんぬ)の相」で表される。冠を被り、不動明王(→「観音信仰/地蔵信仰/不動信仰」)の「倶利伽羅剣(くりからけん)」のような悪を断ち切る「降魔の利剣(ごうまのりけん)や三叉(みつまた)の矛「三叉戟(さんさげき)」、衆生を救い出すとされる縄「羂索(けんさく/けんじゃく)」などを持つ。
天部では、須弥壇の四方に安置され、武装してにらみ、忿怒の相をして仏法を守護する四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天[毘沙門天])や、薬師如来に仕える十二神将などが代表的である。またバラモン教の主要な神々であるブラフマーが梵天(ぼんてん)、インドラが帝釈天(たいしゃくてん)、シバ神が大自在天(だいじざいてん)や大黒天(だいこくてん)などになり、結髪した姿で表される。夜叉や阿修羅など、元は悪鬼だったが仏に帰依して善神となったものも多い。天女の姿をとるのが、豊饒や技芸などを司る吉祥天や弁財天。シバ神の息子ガネーシャが元になった歓喜天(かんぎてん)の象、ビシュヌの乗り物である霊鳥ガルーダを起源とする迦楼羅天(かるらてん)の鳥など、鳥獣の姿で表すこともある。