ワーキングプア急増の背景②──勤労世帯の生活保障の脆弱
OECD(経済協力開発機構)の報告書「1990年代後半のOECD諸国における所得格差と貧困」(2005年)によると、税制と社会保障給付によって貧困が緩和される割合は、他のOECD諸国に比べて日本が著しく低い()。額面の収入で測った勤労年齢人口(18~65歳)の貧困率は、他の諸国よりも低めなのに、税を引き、社会保障給付などを加えた後の「可処分所得」で見た日本の相対的貧困率の高さは、OECD諸国ではメキシコ、アメリカについで第3位。勤労年齢向けの、公的な社会支出の大きさを、対GDP比率(医療・老齢年金・遺族年金などを除く)で見ると、日本はメキシコについで低い方から2番目だ。
つまり、税制や社会保障、各種の社会的支援の制度などによるワーキングプア救済の力が非常に弱いのが日本の特徴なのである。勤労世帯に対する日本社会のセーフティーネットは、著しく脆(ぜい)弱であるといえる。
具体的には、まず、児童手当を始めとする社会手当が極めて貧弱だ。年功型賃金による賃金上昇で子育て費用をカバーする、というこれまでの「社会常識」は、日本型雇用の崩壊で役に立たなくなりつつある。そもそも、母子家庭はそうした「社会常識」の外だった。
次に、社会保険が勤労世帯の最低生活を保障する機能が弱い。たとえば、国民の4割が加入する国民健康保険は保険料が高く、一方で未払い者には過酷な罰則規定により、医療機関の受診を事実上制限している。また、受診時の窓口支払い3割は高すぎる。3割負担が始まった直後、愛知県保険医協会が実施したアンケートによると、健保本人あるいは国保世帯主の38%が受診回数を減らすと答えている。なお、国民健康保険には、長期の傷病で働けない者に対する保障措置である「傷病手当」制度が(「出産手当」制度も)ない。
さらに、急拡大した非正規労働者の社会保険加入に対する監督体制がきわめて弱い。雇用保険は度重なる制度改正の影響もあり、保険の一般求職者給付を受けているのは失業者の5人に1人にすぎない(2005年、厚生労働省「雇用保険事業統計」)。
最低限度の生活を保障する、最後の拠り所であるはずの「生活保護制度」は、1960年代半ば以降、勤労世帯を窓口で排除する制度運用を続けてきた。
結局、日本のこれまでの社会保障がヨーロッパ諸国と大きく違うのは、勤労世帯の最低生活保障をわずかしか含んでいないことである。それは、日本型雇用がその役割を担っていたからであった。
「想定外」のワーキングプア急増
ワーキングプアが大量に存在するという状況は、高度経済成長後期以降の社会システムでは「想定外」であった。現在でも、ワーキングプアを救済する制度はほとんどない。そのため、ワーキングプアの大量存在は、多くの領域で以下のような深刻な「社会的排除」を引き起こし始めている。①貧困基準未満の世帯にいる子どもが、高校卒業後に進学できる可能性は小さい。しかし、高卒求人は大幅に減少した。②のように、結婚年齢の男性が配偶者を有する率は年収に比例し、年収300万円未満の有配偶者率は低い。雇用労働者では、30~34歳の男性のうち、年収300万円未満は97年の50.5万人(13.7%)から2002年には88.5万人(21.5%)に増加した。したがって、低収入で結婚が困難な男性は、この5年間で大きく増えたことになる。低収入による結婚の困難は、重大な「社会的排除」である。③医療からの排除はすでに述べた。長期の傷病者における、医療からの排除、雇用保険の脆弱、傷病手当制度の不在は、無業期間の長期化、若年ホームレス化の大きな背景である。
これまでの「想定外」という位置付けを引き継ぎ、日本の政府はワーキングプアの大量存在を公式に認めてはいない。逆に、貧困基準(つまり生活保護基準)を引き下げて、統計上のワーキングプア世帯数を下げる努力が行われている。今後、生活保護制度の見直しは激化した貧困問題の焦点となろう。
求められる勤労世帯の支援制度
今後、ワーキングプアを減らすためには、どうすればよいのか。まず、フルタイムで働いた場合の最低賃金額を、単身者生活保護基準に所得税や社会保険料、勤労に伴う経費等を加えた額に届くよう上げるべきであろう。地方中都市でアパートを借りて一人暮らしをする若者を想定すると、230万~240万円を年間1800~2000時間程度の労働で得られる時間給水準が必要となる。
また、児童手当、社会保険、各種社会福祉制度、学校制度を、最低賃金・フルタイム就業で子育てができる水準に再設計する必要があろう。日本型雇用を前提とした旧来の社会保障理念を転換し、勤労世帯の最低生活を国家が支えるシステムを構築する、という方向である。
さらに、若者の職業訓練のチャンスを保障していた日本型雇用が大幅に後退したため、ワーキングプアの比率はこのままでは大幅に上昇しかねない。一つの企業への長期雇用を前提としない、あらたな技能訓練システムの整備を急ぐべきである。
雇用保険
雇用保険による給付には、①求職者給付(一般求職者給付、高年齢求職者給付、特例一時金など)、②就職促進給付、③教育訓練給付、④雇用継続給付(育児休業給付、介護休業給付など)があり、その中心は一般求職者給付である。雇用保険制度は制度改正が相次ぎ、一般求職者給付の総額、および完全失業者に対するその給付率は、2000年度から05年度で、それぞれ2兆129億円(32.3%)から、9944億円(21.7%)へと大きく減少している。勤労者の最低生活を保障するセーフティーネットの、大幅な後退である。