09年5月に迫った裁判員制度開始
裁判員制度の実施(2009年5月21日)が迫ってきた。08年秋から裁判員制度の候補者名簿が作成されはじめている。名簿に登載される確率が高い大阪(211人に1人)と、低い秋田(786人に1人)との地域差は最大で3.6倍という。実際に裁判員になるのは、この候補者名簿から事件ごとに抽選で裁判員候補者が選ばれて裁判所に出頭し、そこからさらに選ばれた6人に限られる(全国平均で4900人に1人の割合)。そこで裁判員制度の概略と最近の状況を把握しておきたい。裁判員制度は、市民が裁判員として刑事裁判に参加し、裁判官とともに、被告人が有罪か無罪か、そして有罪ならば刑の種類と重さを決める制度である。
3人の職業裁判官だけで刑事裁判の第1審が行われていた従来の仕組みを変えて、殺人や放火など、一部の重大犯罪について、職業裁判官3人に市民から選ばれた裁判員6人が加わり、合計9人で裁判をしていく。それにより、刑事裁判に市民感覚を生かすための制度が裁判員制度である。
市民が裁判に参加する制度として、アメリカ、イギリスでは陪審制がとられている。刑事裁判のうち、事実の認定(有罪・無罪)を、市民が関与して判定する制度であり、刑の種類と重さは職業裁判官が判定する。一方、フランス、ドイツ、イタリアなどでとられる参審制は、市民から選ばれた参審員が職業裁判官と議論しながら、有罪・無罪の判断のみならず刑の種類・重さ(量刑)も判定していく。
日本の裁判員制度は、陪審制と違って、裁判員が、事実の認定だけでなく、量刑の判断も行うから、参審制の一種といえる。ただ、諸外国の参審制では任期制がとられることが多いのに対して、裁判員制度は裁判員が事件ごとに無作為に抽選で選任される。
野党や弁護士会からも「見直し論」が浮上
このように裁判員は、どういう刑罰を科するかまで判断をしなければならない。殺人や放火などの重大犯罪には、法定刑(条文に定められている刑罰)に死刑が含まれる。被告人を死に追いやる判断は、死刑廃止論者に限らず、ふつうに生活している私たちの感性からすれば、相当に重い精神的負担になる。また、信条的に人を裁きたくない人に裁判員としての職務を強いることは、憲法が保障する思想および良心の自由を侵害する疑いもある。良心的辞退を認めるかどうかは政令(内閣が定める法)にゆだねられたが、結局、明記されなかった(辞退事由政令。08年1月11日閣議決定)。思想・良心の保護は、どういう場合に「自己の精神上の重大な不利益」があるかという運用にかかっていくことになる。
さらに裁判員には刑事罰を伴う守秘義務が負担として課されるほか、裁判への拘束期間が、3~5日を目安にするとはいえ仕事や日常生活と両立しなければならない負担も積み残されたままである。
そのような負担を緩和し、国民が安心して裁判員としての職責を果たすための条件整備が不十分なまま制度を実施しようという状況で、裁判員制度延期論が登場するのは自然の成り行きである。08年8月には日本共産党と社会民主党が、おのおの、条件整備が整うまでの延期を求め、民主党の小沢一郎代表は、民主党が政権獲得後に制度のあり方そのものを見直すべきだとの意向を示した(8月15日会見)。新潟県弁護士会も早々に延期論の決議を行っている。これらは、国民の負担を緩和する条件整備のほか、えん罪を避けるための条件整備が整っていない点も問題視するほか、最高裁判所による08年1月の世論調査でも裁判員制度を市民が理解・支持していないことを指摘している。
このような動きに対して日本弁護士連合会(日弁連)の宮崎誠会長は、人質司法や調書裁判という刑事裁判の根本的な欠陥を指摘しながら、延期したのでは根本的な欠陥を抱えた現行の刑事裁判が続く結果になるだけだとし、実施状況を見ながら改善していく方向で進めるべきだとの声明を発表し、延期論を批判している(「裁判員制度施行時期に関する緊急声明」08年8月20日)。
裁判員裁判は第1審のみ
第1審判決に不服があれば、その当事者は高等裁判所に控訴することができる。ところが、裁判員が参加する裁判は第1審だけであり、控訴裁判所は職業裁判官だけで占められることになる。そこでもし、控訴審で第1審判決が破棄され続ければ、刑事裁判に市民感覚を生かす趣旨は実現できないことになってしまう。控訴審段階で裁判員制度の趣旨を生かすにはどうしたらよいだろうか。裁判員法の制定過程では、控訴審の仕組みを変えることも議論されたが、仕組みの上では従来どおりとすることになった。ただ、「破棄差戻しの原則化」を運用面で徹底することが確認されている。
従来の実務では、下級審判決を破棄したうえで、法の建前とは裏腹に、原審に差戻すのではなく控訴裁判所が自ら判決を下す「破棄自判」が圧倒的に多かった。06年度の司法統計によれば、破棄判決に占める破棄自判の割合は実に98.9%に達する。そういう実務を変える趣旨で、裁判員制度の導入を契機に、あくまで裁判員が加わってなされた第1審の裁判を尊重し、控訴裁判所は自判せずに差戻すだけにとどめ、事後審である控訴審本来の趣旨を運用上より徹底させることが望ましいという方向性が、裁判員法制定過程で確認されたのである。
とはいえ、そのような運用が担保されるような制度上の工夫は何ら定められていない。しかも、実務で破棄自判が圧倒的だった原因は、裁判所としても悪いやつは必ず処罰する(必罰主義)という発想があったからではないか。そうだとすれば、裁判員制度の導入によっていかに第1審を民主化しても、破棄差戻しの原則化にはつながらないだろう。