懸案にけりをつけた鳩山首相の退陣
鳩山首相は普天間基地移設問題について、自らが公言した「5月末までの決着」にこだわり、5月28日、「辺野古崎への移設」の日米共同声明を発表した。これを踏まえて政府方針の閣議決定に持ち込もうとしたが、連立相手である社民党の福島瑞穂党首が署名を拒否したため、罷免という荒療治までして閣議決定にこぎつけた。これでは社民党どころか沖縄県民の理解には程遠く、決着とは呼べない「決着」で幕となった。各報道機関の内閣支持率は20%ラインを割り込む危機状態に陥った。この頃から民主党内の参議院議員から「このままでは参院選は戦えない」との声が強まる。小沢幹事長が“鳩山降ろし”にゴーサインを出したとの情報もある。5月31日、6月1日と鳩山首相は小沢幹事長と輿石東参院議員会長と鳩首協議した。席上、輿石氏が退陣を迫ったが、鳩山氏は容易に首を縦に振らず結論を持ち越した。
ただ2回目、1日の会談を終えて小沢、輿石両氏が仏頂面で出てきたのに対し、最後に出てきた鳩山氏は、「続投ですか」と記者団に声をかけられて、にっこり笑って親指を立てるサムアップのサインで答えた。この親指は何を意味したのか。
その後の行動から考えると、小沢氏らが鳩山首相の単独辞任のシナリオを描いていたのに対し、鳩山氏が「一緒に辞めていただきたい」と道連れ辞任を求め、小沢氏が応じざるを得なくなったようだ。当初のシナリオがすっかり狂ったのが小沢氏の渋面の原因との見方が有力だ。
鳩山首相が辞任の理由を二つ挙げたところがミソだ。一つは普天間問題で、これだけなら単独辞任の道を取らざるを得ないが、二つ目に「政治とカネ」の問題を付け加え、「クリーンな民主党を取り戻そうではありませんか」としたところに“抱き合い心中”を可能にする仕掛けがあった。鳩山氏は最後の最後で「小沢処分」という民主党最大の懸案にけりをつけた形だ。
菅新首相の発言に小沢グループが激怒
後継最有力だった菅直人氏は、かつて「民主・自由両党合併」を実現した当事者であることもあって、当初、小沢幹事長との仲も悪くないとされていた。ところが民主党内で小沢氏と距離を置く前原誠司国土交通相、岡田克也外相らが相次いで菅氏支持を打ち出す中で、菅氏自身が「小沢さんにはしばらく静かにしていただいたほうが、本人にとっても民主党にとっても日本の政治にとってもいい」と明言した。これを聞いた小沢グループは激怒。対立候補擁立に奔走し、出馬に意欲を見せていた樽床伸二氏を推した。ただ、当初取りざたされた一致して推すまでに至らず、自主投票になってしまったところに小沢グループの弱点も見えてきた。6月4日の代表選結果は菅氏291票で、樽床氏129票を抑えて圧勝した。
菅氏は同日午後、首相に指名されるや、官房長官に仙谷由人氏、党幹事長に枝野幸男氏を起用した。二人とも小沢氏とは距離を置いてきた人物。小沢グループが猛反発し、菅氏周辺でさえ心配したほどだが、菅新首相は方針を変えなかった。
この人事における「反小沢」の姿勢が評価されたのか、共同通信が4、5両日実施した世論調査では「菅新首相に期待する」が57.6%と高かった。民主党支持率も36.1%に急回復を示した。「表紙替え」効果以上の上々の滑り出しだ。
政権の座を喜んでいる状況ではない
しかし、だからと言って菅新政権は前途洋々かというと、そうではない。国民新党が連立継続の条件とした郵政改革法案の今国会成立を断念したため、亀井静香金融相兼郵政改革相が6月10日夜辞任表明し、早くも波乱が起きた。菅新首相が苦手な外交日程も目前に迫っている。25日からカナダのハンツビルで開かれる主要国首脳会議(G8)とG20世界経済フォーラムで存在感をどこまで示せるか。
その先に最大の難関である7月11日投開票の参院選が控えている。内閣支持率と民主党支持率の回復は追い風だが、小沢幹事長が敷いた「複数区の2人擁立」など不安材料がないとはいえない。
参院選でのマニフェスト(政権公約)にも絡むが、財政再建問題、消費税引き上げ問題をどの時点で持ち出すか。ギリシャ危機が起きてから、日本の巨額な財政赤字は世界的な問題になりつつあり、大胆な行動が求められてもいる。そこで菅首相はマニフェスト発表のさい、「自由民主党が提案している10%は一つの参考」と発言した。これが参院選の最大の争点となるのは間違いない。
普天間移設問題も鬼門だ。鳩山首相が辞めたからといって沖縄県民の怒りが収まったわけではなく、いくら日米合意を推進しても、肝心の地元の了解を取り付けるのは至難の業だ。
いずれにせよ菅新首相は政権の座に就いたことを喜んでいるような状況ではない。艱難辛苦に耐えて、長期政権につなげられるかは全くの未知数だ。