「動的防衛力」の登場
日本防衛の指針である「防衛計画の大綱(防衛大綱)」から、防衛力を最小限に抑える「基盤的防衛力」構想が消えた。代わりに登場したのは「動的防衛力」という自衛隊を積極的に活用する脅威対抗型=所要防衛力の構想である。
閣議決定される前日の2010年12月16日、内閣官房の山内正和審議官が新大綱のポイントを報道陣に説明した。
「まず動的防衛力を構築すること。冷戦時代からの基盤的防衛力によることなく、即応性、起動性に富んだ防衛力に切り換える。第二に、選択と集中の構造改革。緊縮財政の下で陸海空自衛隊の縦割り予算を見直す。第三に人事制度改革。若年自衛官を増やし、人件費を効率化する」
政権獲得後、初めて防衛大綱を策定した民主党にとって、自由民主党政権から半世紀以上も続く自衛隊の悪弊、すなわち陸海空自衛隊ごとに1.5対1対1に固定化されていた予算配分を見直すことにためらいはなかった。
この点は評価できる。冷戦後、2度の大綱改定を経たにもかかわらず、マザーユニット(中心要素)を自負する陸上自衛隊は部隊を減らすどころか、増やし続けた。駐屯地・分屯地は157カ所。全国にまんべんなく部隊配備することにより、「陸上自衛隊には政治力(=集票力)がある」との神話が生まれた。
隊員の待遇改善要求が自民党の政治家を通じて国会に提出され、その都度実現した。約14万人の隊員数と部隊の全国展開は、陸上自衛隊と自民党の双方に利益をもたらしてきたのである。
政治家に巧みに働きかけ、自らの思う方向に誘導する「逆シビリアンコントロール」が得意とされる陸自の勢力を削ぐことで、民主党政権には「(政治が軍事のあり方を決定する)シビリアンコントロール」を確立させる狙いもあったと推測できる。
人事制度改革も陸自への切り込みを狙ったといえる。幹部ばかりが多く、肝心の「兵」が少ない陸自は使い勝手が悪いからだ。
軍拡競争に陥る危うさも
しかし、こうした割り切りを「基盤的防衛力」構想の放棄にまでつなげたのは、大失態というほかない。そもそも「防衛計画の大綱」は、1958年から四次にわたった防衛力整備計画が「防衛力はどこまで拡大されるのか」との国民の不安を招いたことから、具体的な整備目標を掲げる目的で76年に初めて策定された。76年の大綱には、限定的小規模侵攻に独力対処できる程度の防衛力を持つことを意味する「基盤的防衛力」構想が明記された。大規模侵攻には日米安保条約によるアメリカの打撃力を期待し、日本は専守防衛に専念するという憲法との整合性が図られたのである。
基盤的防衛力の概念は冷戦後、2回改定された大綱にも残されていたが、2010年8月、有識者による諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」は首相に提出した報告書の中で、基盤的防衛力を「静的抑止」と定義し、「有効性を失った」と断定した。高い運用能力を見せつける「動的抑止」への転換を主張し、民主党の外交安全保障調査会も同調し、大綱に盛り込まれた。
今回の大綱に登場した「動的防衛力」は「動的抑止」と同じ意味で、軍事力には軍事力で対抗すべきだという「所要防衛力」構想を採用していた四次防以前への先祖返りといえる。軍拡を進める中国と北朝鮮を意識する中で、とくに中国の海軍力強化に対抗して南西諸島への機動展開能力の強化を打ち出している。だが、09年まで21年連続して国防費を2けたずつ増やしてきた中国に対抗していけば、無限の軍拡競争に陥ることになる。
運用を通じて自衛隊の軍事力を明示するとしており、さじ加減を誤れば、憲法で禁じた「武力による威嚇」につながりかねない危険性を併せ持っている。
潜むアメリカ追従の思惑
日本は「基盤的防衛力」構想の下でも海外派遣を繰り返し、アメリカのアフガニスタン攻撃、イラク戦争を全面支援して自衛隊を現地へ派遣した。イラクでは名古屋高裁で憲法違反と断じられたように、武装した米兵を空輸する米軍の後方支援にまで踏み込んでいる。06年に日米合意した米軍再編ロードマップでは、陸上自衛隊の海外派遣専門組織である中央即応集団を在日米陸軍司令部のあるキャンプ座間に移転させ、航空自衛隊の司令部である航空総隊を在日米空軍司令部のある横田基地に移して、日米一体化をさらに進めることが決まっている。運用の強化は十分実現している。
また、あらためて南西防衛を打ち出すまでもなく、前大綱下で防衛省は先島諸島への部隊配備を検討していた。冷戦下、北海道に4個師団を集中配備したり、朝鮮半島に近い対馬に陸海空自衛隊の部隊を配備したりするなど、警戒体制に合わせた部隊配備も実施した。
「基盤的防衛力」の下でも自衛隊改造が可能なのに、なぜ「動的防衛力」などという周辺国を刺激するような底の浅い言葉を用いるのか。そこにはアメリカに追従する思惑が潜んでいる。
10年2月、アメリカは「ジョイント・エア・シー・バトル(=統合空海作戦)」の概念を盛り込んだ「4年ごとの国防計画見直し(QDR)」を発表した。エアシーバトルとは、中国軍を第一列島線(九州、沖縄、台湾、フィリピンに至るライン)に封じ込め、太平洋への進出を拒否する軍事ドクトリンである。
今回の大綱では、南西諸島に沿岸監視部隊を新設し、中国の潜水艦に対抗して潜水艦を16隻から22隻に、那覇の戦闘機部隊を1個から2個に増強する。これはエアシーバトルの狙いと軌を一にするもので、アメリカの対中国戦略への全面協力を意味している。「動的防衛力」は、アメリカに対し、日本のやる気を示した言葉といえるかもしれない。
そのアメリカは1月、中国の胡錦濤主席を国賓待遇としてアメリカに招待し、オバマ大統領と8回目の首脳会談を実現した。一方、菅首相は昨年11月、横浜であったアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で胡錦濤主席との正式会談を実現したが、その時間はわずか22分間であった。
中国に対して硬軟使い分けるアメリカと比べ、中国とのパイプがない民主党政権は大綱改定を通じて軍事強化ばかりを際立たせた。政治の貧困を軍事で補う最悪の安全保障体制となった。