修正された「地域主権」の文言
民主党が政権の一丁目一番地としてきた「地域主権改革」のための3法案が2011年4月に成立した。10年3月の閣議決定以来、修正もあり、13カ月もの難産の末である。政権のキーワード「地域主権改革」は、野党側の国民主権理念に反するという強い主張で、法律上は「地域の自主性・自立性を高める改革」と改められた。政権側はこれまでも行われてきた「地域主権戦略会議」の法制化は断念するが、会議の存続は認めさせる実を取る妥協に応じることで、法案に盛り込まれた他の具体的な改革は、ほぼそのままで成立させた。
3法は地域主権改革一括法(題名は地域自主自立改革一括法と修正された)、国と地方の協議の場法、地方自治法からなる。地域主権改革の具体化に向けた4年間の工程表の第一陣となる3法案の成立は、予定よりは遅れたが、ようやく最初の成果を出したと言えよう。
「自律」が「自立」に変わった
3法の内容はおおむね、前自公連立政権時の地方制度調査会・地方分権改革推進委員会の成果から得られたものである。ここ20年弱の地方分権、地方分権改革、地域主権改革と、地域の自主性・自立性を高める改革の間は連続しており、名称の違いはあっても内容に顕著な差はない。ただし、政権側の地域主権改革の説明は、3法案提出後の国会の議論を通じて変遷してきた。現在の地域の自主性・自「立」性を高めるとする改革の源流は、1993年に国会両院が行った地方分権の推進に関する決議である。そこでは地方の自主性・自「律」性の強化がうたわれていた。国が全国一律に決める国土の均衡ある発展から、地域差や個性を認め、地方が自らあり方を決めるべき、という意味である。
ところがその後、自律は自立に置き換えられ、平成の合併が進められた。地方にとって自律抜きの分権とは、国からの事務の権限なき移譲と財政的な自立であった。
住民にとって何が変わるのか
国民として見たときに、3法の施行で変わる可能性があるのは、国が政令や省令で一律に決めてきた基準の一部が、自治体の条例などで規定されるという点に尽きる。とはいえ、条例の規定内容はほとんどが政省令どおりと見込まれるから、同様の改革が行われた2000年の第一次地方分権と同様、住民から見れば、規定がどこに書かれていようとも変わらないことであろう。自治体の住民にとっての変化は、今後の可能性としてである。全国一律の基準が地域の実情に見合うかどうかはわからない。これまでは「変では」と思っても、「政令で決まっている」となれば、自治体ごとにどうすればよい、を話し合う余地はなかった。
今後も多くの事務では政省令の標準的な基準に従って条例などで定めることに変わりはないが、ズボンのすそ上げぐらいしかできなかった既製服でも、追加料金(自前の条例の制定)を払えば袖を出したりパッドを増やしたりはできるようになる、というくらいまでの「自主性」は発揮できる可能性がある。しかし法律による事務を行うこと自体は選べない。既製服のデザインが気に入らなくても、それを着なければならないことは変わらず、私服に替えたり、服を着ない、ということは相変わらず許されないのである。
地域の自主性とは
3法案成立前の11年4月には、第二次地域自主・自立改革一括法が国会に提出された。ここでは地方分権改革推進委員会勧告のうち、各省庁との折衝を経て合意されたものが提案されている。だが、それらも自治体の住民にとっては、目に見えた改革と感じられることはおそらくない。変わることはほぼ一つだけ。地域の実情に合わないと思う基準があれば、政省令の標準どおりではなく、それぞれの議会に「実情に合わないから少し変えてみよう」と提案できるようになることである。なるほど、これは自主性の発揮であるが、一方では自らが関係する施策についてはもっと充実させたいので、基準をより高規格のものへと改めるべきである、という要望がでてくることも想定される。事実、地方分権以来、これまでの世論やさまざまな運動を見ると、「地方に任せると基準の切り下げが起こるから、国がより高い基準を維持するべきだ」という声が幾度もあったのである。
その結果、これまで国による政省令の枠付けで規定されてきた予算配分が、自治体内の住民の間で行われることになる、ということも、地域の自主性の発現である。調整は容易ではないだろうが、いみじくも換骨奪胎された自立可能な地域という観点から行われることとなるのであろう。全国一律で決まっている、という説明よりは、国の基準によっているが、しかし自治体としての水準はこれでよいと決定した、という説明を行うことが、地域の自主性なのである。
改革はどこへ向かうのか
今後の地域自主・自立改革はどのように進むのであろうか。国の出先機関を地方に移管すべき、という議論が進められてきた。しかし今回の震災をうけて、やはり国が直接責任をもって実施すべきなのだ、という主張が国と地方の両方から出ている。被災した東北地方の復興のため、そこに県を廃した道州制を導入するべきなのか、それとも国の出先機関を県に移管すべきなのか。あるいは、廃止された北海道開発庁のように、国の出先機関を束ねた機関を設置すべきなのか。震災対応は確かに国家的な非常時ではあるが、これらの発想は集権・融合という、地域の自主・自立とは逆の方向である。しかし今回の震災で被災したのは広大な自治体ばかりであるから、広域での事務の実施自体はあまり現実的ではない。一般論としては、自主性を高めるためにはこの地域はどうしていこう、という決定の主体の維持と、それを実施していく比較的に広域の主体とが分離し、これまでの権限移譲とは異なった第3の分権が行われる可能性もあるかもしれない。いずれにしろ、今後の展開は国民が何を望み、何を支持するかにかかってくるであろう。