2011年3月11日の東日本大震災から5カ月。いまなお先の見えない厳しい環境の中にある福島県の自治体はどうなっているのか。次々と起こる不測の事態、およそ復旧・復興からほど遠い現実が浮き彫りになった。
殺到する市町村役場の窓口
現在、福島県内で地震によって庁舎が損壊し、文化ホールなどに仮移転しているのが、郡山市、須賀川市、国見町、川俣町の4市町であり、原発災害によって地域外に役所機能を移転しているのが、双葉郡8町村と飯舘村の9町村である。これだけでも厳しい環境にあるのに、被災者でもある職員が頭を抱える事態が次々と起こっている。
6月下旬から、福島県内に限らず、東北各地の市町村役場の窓口が異常なほど混み合っている。6月20日から、被災者であれば高速道路を無料化する措置がとられ、そのために必要な被災証明を受けるために、クルマをもつ多くの市民が市町村役場の窓口に殺到したからだ。
この措置は、政権交代を誇示するかのような政策の一つであった高速道路の土日休日1000円上限措置の廃止や無料化社会実験の凍結と同日に実施された。本来、趣旨はまったく別のはずだが、あたかもその代替措置であるかのように報道されている。いずれにしても、国土交通省と高速道路各社から唐突なプレス発表があったのが6月8日で、実施までには12日間しかなかった。
大量に発生する新しい事務
市町村役場は対応に追われた。プレス発表と同時に市民からの問い合わせの電話がひっきりなしにかかってくる。どれほど甚大な被害を受けた役場だとしても、新しい事務が突然、しかも大量に発生することになった。なおかつほとんどの職員は報道以上の情報をもっていなかった。
国土交通省のプレス発表には、必要書類として「被災を証明する書面(被災証明書、罹災証明書等)」とあるだけだ。高速道路各社のプレス発表には「発行市町村により名称が異なることがあります」とあって、その証明書が市町村で発行されることが暗示されており、なおかつ「Q&A」で「被災したことを市町村が判断し、証明した書面であれば無料の対象となります。証明書の名称・様式は問いません」と具体的に書かれている。
振り回される市町村
罹災証明書の発行という業務はこれまでも市町村の役場にあった。たとえば火事に伴って火災保険を請求するときなどに利用される。基本的には全壊とか半壊とか、役所の職員が現場を見て判断してから発行される。今回の震災でも、津波や地震に伴う家屋の倒壊などに関する罹災証明書が発行されている。
しかし高速道路無料化のための証明書は性質がまったく異なる。罹災の程度が問われるわけではないから、極端にいえば、どのような形でも被災していれば該当することになる。当然、証明の対象者はこれまでの罹災証明書とは比較にならないほど大量になる。あたかも既存の制度を利用するかのように見えながら、実質的にはまったく新しい制度が求められているのである。
問われる役場の対応能力
私の知る限り、市町村の役場は驚くべき対応能力を見せた。被災者の高速道路無料化策がどれほど練られたものであるかわからないが、ひょっとしたら誰かの「思いつき」かもしれないような措置に対し、市民が望むものについては何が何でも提供するという姿勢を見せた。市町村によっては完全に割り切って「高速道路用被災証明書」という新しい様式を作って対応したところもあった。市民が住所と氏名を書けば、役所の判を押すだけになっている。つまり地震にあったということが、即、被災したという考え方であり、それはそれで潔いような気がする。
一方で、既存の罹災証明書の概念の枠内で対応する市町村もあった。市民は何がどの程度壊れたかを申請しなければならなかった。ただし、そのような市町村でも厳格な運用などできるはずもなかった。1件ごとに現場確認など到底不可能だ。そもそも震災からすでに3カ月以上が経過している。すでに補修されているかもしれないし、壊れたものは捨てられているかもしれない。それでも申し訳のように写真添付が求められているが、写真が添付できない場合には自己申告に基づいて証明書を発行している。
復旧や復興に取り組む余裕がない
ただし、どんなに運用上の工夫をしようとも、新規大量の事務処理が、こともあろうに震災直後で猫の手も借りたい役場の窓口に降ってわいたことは事実だった。一事が万事、震災後の役所はこんな状態である。国が「思いつき」のように制度をいじくって、事務処理は市町村任せになっている。
いま被災地自治体では、国の補正予算に反映させるための復旧復興事業の「震災査定」に追われている。例によって、国の府省出先機関から、あれが足りない、これを書き直せ、と細かい指示が飛ぶ。しかし、そもそも復旧、復興という二段階概念は成長期の考え方ではないのか。元に戻すというよりは縮小して良質な生活を保障する方向に進むべきなのに、あいかわらずハードの公共事業が中心で、生活再建や教育文化には手当てが行き届いていない。いまのところ、復興や復旧に取り組むような余裕は被災地自治体の役場にはみじんもない。