この法律は、日本の「安全保障に著しい支障を与えるおそれ」(第3条)のある情報を秘密にできると定めるものだ。この法律の何が問題とされるのか。以下では、まず特定秘密保護法(以下「保護法」)が現段階で抱えている個別的問題を改めて整理し、次に、より根本的な問題を指摘してみたい。
「保護法」、四つの問題点
保護法が抱える個別的な問題としては、(1)何が「秘密」に指定されるのかの範囲があいまい、(2)国民の「知る権利」への配慮が不十分、(3)秘密指定の半永続的な更新が可能、(3)内部告発などがしにくくなる、の4点にまとめることができる。それぞれの何が問題なのかを、以下に解説してみる。
(1)「秘密」範囲の拡大
保護法は防衛、外交、スパイ活動、テロに関する四つの事項を秘密指定のできる項目とし、その情報を漏らした人間を罰するとしている。もっとも、これら四つの事項以外にかかわるものでも、もし日本の安全保障にとって重要な情報であると行政の長が判断すれば秘密指定ができる。
このため、一体何が「秘密」と指定される範囲となるか、あらかじめ特定することが極めて難しいというのが第一の問題として指摘されてきた。内閣は、特定秘密に「含まれない」ものの具体的なリストを提示しているが、上記4項目に何が具体的に含まれるのかは分からない。言い換えれば、防衛や外交機密の名にかこつけて、時の政府の都合で様々な情報が隠ぺいされてしまう可能性がある。
(2)「知る権利」の制限
政府が情報を隠ぺいしようとした時に、国民の基本的権利である「知る権利」を行使して、情報が公開されるための制度的な保障がなければならない。
日本国民は、情報公開法(01年)でもってこの「知る権利」を行使することができるが、秘密指定された情報はその対象から除外されることになっている。そのため野党の民主党は、第三者が秘密指定の是非を決定できるよう、情報公開訴訟で不開示となった情報を裁判所がチェックすることのできる「インカメラ制度」と呼ばれる制度の導入を主張している。
しかし、文書そのものの提出を政府は拒否できる上、30年の指定解除以前は何が不開示の対象となるかも分からないため、「知る権利」の十分な行使は困難なままである。マスメディアが取材してこの情報を入手しようとした場合にも、その取材先および取材者が処罰対象になってしまう可能性もある。
(3)「秘密」の永続
保護法では秘密指定は5年までと定められる一方、その後も30年まで秘密指定を継続できる。法案の修正協議で、60年以上の秘密指定はできないことになったが、それもかなり曖昧な七つもの例外指定があるため、事実上意味をなしていない。
NHKによれば、やはり国家機密を扱う「防衛秘密」に指定された情報は5年間で5万5000件あるが、そのうち3万4300件は秘密のまま廃棄、つまり公開されない情報として処理されてしまっていた。保護法が同じように運営されれば、いったん秘密に指定された情報の多くは、国民に対して永遠にその情報も、秘密となった理由も開示されない可能性が出て来る。首相を含む第三者機関が秘密指定の妥当性や廃棄の可否をチェックすることになっているが、第三者機関は実際には官僚が構成することになるから、果たして中立・公平に判断できるかは未知数である。
(4)「内部告発」の抑制
保護法では実際に被害が生じない場合でも、秘密情報を漏らした側だけでなく、それを入手した者も罰せられるとしている。海上保安官が2010年にYouTubeに海上保安庁の巡視船と中国漁船が衝突する映像を公開したことが問題になったが、こうした行為も保護法で罰せられる恐れが出てくる(なお、この保安官は国家公務員法守秘義務違反容疑に問われたが無罪となった)。
仮に政府の不当な行為を告発しようとした関係者がいたとして、懲役10年の刑を科せられることに萎縮し、同様にマスコミも処罰を避けようとして、社会が知るべき情報であっても、それが知らされないままとなってしまうかもしれない。
以上のように、極端な形で運用されれば、国民は、誰が、どのような理由で、何を秘密の対象としたのか知らされないままに、処罰されかねないという危険性を抱えた法律である。「由(よ)らしむべし、知らしむべからず(人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない)」がそのまま法律になったのが「保護法」なのである。
もっとも、保護法に対するこうした指摘は、時の政府が悪意を持って法律を運用した場合にのみ成り立つもので、現政権が力説するように、適切な形で運用されるならば問題ないとする立場もあるだろう。例えば保護法の第21条は、同法が国民の基本的人権を不当に侵害するものではなく、国民の知る権利を保障する報道や取材の自由に配慮しなければならないと規定し、一般人がたまたま秘密情報を知ってしまい、それを漏らしても処罰はされないと定めている。担当大臣が答弁するように、このような原則が守られるのであれば、保護法は何ら危険なものではなく、むしろ日本の安全保障にとって有益なものだということができる。
つまり、保護法に反対か賛成かは、最終的には法律が守られるのか守られないのか、それがどのように運用されるのか、政府を信頼するのかしないのかなど、予想することが困難な根拠のない先入観やイデオロギー的立場に沿って議論されているのが現状だ。このままでは、水掛け論で終わってしまう可能性が大きい。
しかし保護法の問題はもっと根深いところにある。現政権の政策的・思想的な指向とも関係がない。民主党政権下でも、同種の法案は検討されていたからだ。
したがって保護法を批判するためには、その規定や運用のされ方をみるのではなく、より構造的かつ原理的な捉え方をしなければならない。その構造的な問題というのは、アメリカの世界戦略と日本の外交力欠如の負担を市民に押し付けようとしていること。その原理的な問題というのは、その国が正しい方向に進んでいくために不可欠な民主的統治を否定してしまうことである。それぞれをみてみよう。
アメリカの要請に応える日本政府
「保護法」が必要とされている理由として、日本の既存の国内法が機密漏えいに十分に対処できていないことが挙げられている。ただし、守秘義務違反があった場合、現存の国家公務員法や自衛隊法、刑事特別法に照らし合わせて、民間人を含め、実刑が下せるようになっている。国家公務員法が定める守秘義務違反が最長懲役1年といったように、これらの罰則規定は軽いという指摘もある。しかし「日米相互防衛援助協定(MDA)等に伴う秘密保護法」で定める最高刑は保護法と同じく懲役10年で、07年のイージス艦情報漏えいでは、自衛官が同法に基づいて処罰されている。
こう考えた場合、「保護法」が今になって検討されているのは、単に機密漏えい対策の強化以外に理由があると推論するのが妥当だ。簡単にいえば、保護法はアメリカ政府の強い意向を受けて進められているものである。保護法は第1次安倍晋三内閣の時にも制定が目指されたが、この時日米間ですでに軍事機密漏えい防止のための「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」が締結されている。その後もアメリカ政府は日米同盟を深化させる条件として、日米の2プラス2(安全保障協議委員会)の場などを通じ、日本の機密情報保護の国内法制化を要請してきた。それが、民主党政権のもとでも機密情報保全についての協議が進められた理由である。
アメリカ政府は、第2次安倍政権の発足後も、法案が審議入りする前から、日本の情報保全の取り組みを歓迎すると表明している(「朝日新聞」2013年10月3日)。ブッシュ政権でアメリカ国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長を務めたマイケル・グリーンは、「集団的自衛権、特定秘密保護法、日本版NSCの創設、穏当な防衛予算の増加」は、日米連携強化の基礎だと主張した(同11月9日)。安倍首相も、やはり秘密保持が海外のNSCとの「情報交換の前提」だと認めている。