日本国憲法は「解散」をどう定めている?
今回、降って湧いたような衆議院の解散ですが、そもそも衆議院の解散とはどういう制度なのでしょうか。「解散」とは、「任期満了前に衆議院議員の議員としての身分を失わせる行為」です。解散されると「解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない」(日本国憲法54条)ことになっています。
衆議院議員の任期は4年ですが(同45条)、解散は議員としての任期が満了する前に、議員という公的な身分を奪って元の私人、つまり「ただの人」にすることなのですから、極めて重大な行為です。
「国会や内閣のなし得ることの根本は憲法に書いてあるのだから、憲法に解散権の行使に関する規定があるだろう」。そう睨んだ人はなかなか鋭いですね。しかし実は、日本国憲法には解散権の所在や行使の要件について決定的な条文が無いのです。このことが衆議院の解散を巡る議論を複雑にしていることは、間違いありません。誰が解散の権限を持っていて、どういう時に行使し得るかについて、学説もいろいろと分かれています。
一つ確かなのは、「解散は内閣総理大臣の専権事項」という言い方が正確ではないということです。内閣総理大臣は国務大臣の任免権を有していますから(憲法68条)、事実上解散の閣議決定を引き出すことも出来ます(小泉純一郎首相の「郵政解散」が有名ですね)。でも、これまでも首相に政治的なパワーが足りない場合などには、解散に踏み切れなかったことも多いわけですから、正確にいうならば、「場合によっては、内閣総理大臣が解散を強行することが出来る」と言うにとどまっています。
解散の「決定権」を持つのは誰?
このように日本国憲法には解散権の所在や行使の要件について決定的な条文がありませんが、関係の深い条文には、解散を行う形式的主体を定めた憲法7条3号と、内閣不信任決議の効果を定めた憲法69条があります。天皇の国事行為について7条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」として、第1号から第10号まで10の国事行為を挙げています。そのうち、3号が「衆議院を解散すること」なのです。
しかし日本国憲法下で天皇は、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(4条1項)とされています。そこで、衆議院の解散という、まさに国政の基本に関する権能を有しないのは当然で、7条3号にいう解散は天皇の形式的な権限にとどまることになります。では誰が実質的な解散決定権を持っているのでしょう。
この点について学説は、解散権が内閣に帰属すると理解する点においてほぼ一致していますが、その理由付けや解散権の限界については説が分かれています。中でも大きな論争は、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」という憲法69条の場合に、衆議院の解散が限定されるか否かを巡るものでした。
吉田茂内閣が行った、日本国憲法の下での最初の解散(1948年)は、「69条の場合に解散が限定される」とする理解によってなされました。その次の解散(52年)は、7条のみに基づいて、内閣が一方的になしたものだったため、身分を失った野党の衆議院議員が違憲訴訟を提起しました。訴訟を起こした議員の名前から「苫米地(とまべち)事件」と呼ばれる、有名な事件です。
この訴訟で最高裁判所は、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときは…裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである」と述べて、司法判断を避けています(最大判昭和35・6・8民集14巻7号1206頁)。後で関連する話をしますので、上の緑字で示した箇所を心に留めておいてください。
苫米地事件で最高裁大法廷が上のように示して以降は、政治においては7条によって衆議院を解散することが慣行となっています。しかし、実質的な解散決定権を導く根拠や要件を巡る学説の対立は解消したわけではありません。解散権をどう理解するかは、そもそも議院内閣制とはどういう仕組みなのか、議会と内閣はどういう関係として理解すべきなのかといったグランドデザインにも関わることなので、そう簡単に議論が収斂(しゅうれん)するものではありません。憲法の明文の規定がない中で、解釈によって一義的に正しい答えを導くのはたいへん難しいことです。
解散の「正当性」を判断する基準は?
衆議院の解散という問題は、慣行によって具体的な意味内容が形作られていくという視点から見る必要があります。先に示した苫米地事件で見たように、最高裁はこういう問題に関与しないという態度を明らかにしています。憲法上、明明白白に違憲か合憲かを判断するのが難しい領域なのです。つまり、衆議院の解散という「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」のルール作りは、内閣、国会、そして私たち市民に開かれている側面があるのです。これまで日本では、「抜き打ち解散」とか「死んだふり解散」とか、衆議院の解散の作法を巡って、あるいは解散総選挙で民意を問わない「たらい回し政権」の是非を巡って、多くの批判がなされてきました。解散が「憲法に違反している」とは言えなくとも、「不当である」として政治責任は問われます。
憲法学の通説も、次のような場合の解散を「不当」として理解してきました。
「解散は、憲法六九条の場合を除けば、
(1)衆議院で内閣の重要案件(法律案、予算等)が否決され、または審議未了になった場合、
(2)政界再編成等により内閣の性格が基本的に変わった場合、
(3)総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結等)に対処する場合、
(4)内閣が基本政策を根本的に変更する場合、
(5)議員の任期満了時期が接近している場合、
などに限られるべきと解すべきであり、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である」(芦部信喜/高橋和之補訂『憲法〔第5版〕』岩波書店、2011年。325頁)。
芦部信喜という憲法学者は、戦後憲法学を担いリードした人物です。上に挙げた書物は、今でも国家公務員試験、地方公務員試験、司法試験等の各種試験における基本テキストとして位置付けられています。つまり上に述べたような解釈は、現在の日本で、統治作用に関係した仕事に就いている人間の多くが勉強したであろうものなのです。
今回、総選挙にあたって安倍晋三首相の示した「税制こそ議会制民主主義と言ってもよい。その税制において大きな変更を行う以上、国民に信を問うべきであると考えた」(2014年11月18日記者会見)との旨の発言は、今回の解散の理由を上記(4)に求めたものだったろうと思われます。もっとも、「自己都合解散」といったネーミングが広まったように、「選挙に大義が無い」ことなどが厳しく問われ、上に緑字で示したところの「解散の不当性」が問われています。
選挙の争点は解散をする内閣が設定するものではなく、解散することの是非も含め、私たちが設定するものです。何しろ、解散という国家行為は「最終的には国民の政治判断に委ねられているもの」(苫米地事件判決)なのですから。
国民もより良い政治づくりに携わっている
まとめましょう。憲法の規定に唯一の正解が無い以上、解散権の限界、解散の正当性といった問題の答えは「良い慣行」を積み重ねてゆくことでしか得られません。慣行の集積がルールを作り出すものなのです。そして、より良い政治のための仕組みを作り上げてゆく過程において、国民は重要なアクターです。もちろん、国民の参加に過度の正統性を認めて、選挙で勝ちさえすれば「国民が了承したのだから何をやっても許される」といった「選挙独裁」は許されません。政治を憲法に従わせるという立憲主義は、民主主義的な手続き、すなわち多数決で決められることをも制約するところに、意味があるものだからです。そのことを踏まえつつ、日本国憲法の下で、国民が公的なルール作りにも大きな役割を担っていることに自覚的に、選挙権の行使をする必要があります。