ちなみに、今でも20歳になる前日から選挙権があるって知っていましたか? だから皆さんの中には、17歳で投票することになる人もいるかもしれません。
いずれにせよ、有権者になったのだから投票に行きなさい!といきなり言われてお困りの方もいるかもしれません。ボクは普段、政治学という学問を研究しています。政治学というのは、世の中の政治的な出来事、つまり権力というものが絡む出来事を解明する学問です(ということはほとんどすべてのことが研究の対象になります)。中でも投票というのは民主主義で最も大事なことの一つですから、皆さんの参考になるようなことが少しは言えるのではないかと思って、この文章を書いています。
そこで、(1)そもそも有権者とは誰を指すのか、(2)投票とはどのようにすればいいのか、そして最後に、(3)民主主義とはどういうものなのか、について説明をしてみたいと思います。
なぜ10代が選挙権を持つようになったの?
これまで選挙で投票できる年齢は、成人年齢と一緒の20歳と法律で決められていたことはご存知だと思います。これが2歳引き下げられて18歳になったのは、2007年の「国民投票法」という、憲法改正のために必要な法律で、投票年齢を18歳にしたのにあわせたからです。選挙ではなく国民投票が引き下げの発端だったのですね。ただ、これで日本の有権者は240万人、全有権者でいえば2%ほど増えることになりました。でも、誰を有権者にするかは恣意的に決められるというのは古今東西、共通してみられることです。19世紀の話ですが、イギリスではそれまで財産のある成人にしか選挙権がありませんでした。ところが、何度か選挙法を改正して資産のない人にも選挙権が与えられ、有権者の数は少しずつ増えていきました。1867年の第二次選挙法改正では、有権者の数は一気に80%も増えたといいます。日本では1925年に、やはり資産に関係なく誰でも投票できる、いわゆる普通選挙が実現しました。
そんな古い話、と思われるかもしれません。でも、例えばこの1925年の普通選挙で選挙権が与えられたのは成人男性のみで、女性に参政権が認められたのは第二次世界大戦後の1945年になってからです。実際、女性が一票を持つようになったのは比較的最近のことで、アメリカでは1920年、スイスでは、女性が投票所に足を運べるようになったのは1971年と、つい最近のことにすぎません。皆さんのお祖母さんの世代であれば、選挙権がなかったかもしれないのです。
同じように、ティーンエイジャーが選挙権を持つようになったのも、比較的最近のことです。先進国の多くでそれまで20歳だった選挙権が18歳に引き下げられたのは70年代に入ってからのこと。それというのも、当時は学生運動が盛んな時期で、自由なライフスタイルの実現など、戦後生まれの新しい世代が権利を求めるようになったからです。今では選挙権を20歳としているのはモロッコや台湾など、ごく一部の国に過ぎません。中には韓国やオーストリアのような、成人年齢より選挙権年齢の方が低い国すらあります。
このように有権者の範囲はその時々によって変わっていっていますが、お金持ちの男性だけでなく、普通の男性も、女性も、若者も、といった風に有権者とされる人たちの範囲がいつも拡大していく流れは一貫しています。このプロセスのことを「民主化」といったりしますが、この流れが後戻りする例はまずありません。例えば19世紀のフランスでは国王が有権者の数を制限しようとしたことがありますが、その時の国王は民衆に追放されてしまいました。
何のために投票するの?
ここで覚えておかなければならないのは、民主主義というのは、有権者が政治に関心を持たなくとも、政治は有権者を放っておかないようにできている、ということです。日本国憲法の前文を読んでみます。そこには「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と書いてあります。これは、政治は主権者としての国民が、政治家に自らの権力を一時的に預けているということを意味しています。しかも、それは「人類普遍の原理」とまで宣言しているのです。
どういうことかというと、政治家や政党など、私たちの代表が何かをするとき、それは必ず「国民のためだ」と言うということです。政治があるのは、政治家のためではなく、有権者たちのためだということ。だから、実際は有権者に責任はなかったとしても、それは有権者のせいにされてしまう。好むと好まざるとも、それが民主主義という仕組みだということを意識することが、有権者になるということなのです。だから投票しないことは、皆さんが持っている権力を政治家が勝手に行使してしまう可能性があるということになります。
何を基準に投票したらいいの?
では、有権者になったとして、何を基準にして投票したらよいでしょうか。政治学には投票行動論という分野があって、人はどういう時にどう投票するのかということについて侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が今でも交わされています。これまで言われてきたことを要約すると、人が投票するには大体四つのパターンが確認できます。一つは「所属による投票」です。これは、労働者なら社会主義や社民主義政党に、富裕層やブルジョワ層なら保守的な政党や自由主義政党に投票するというものです。社会の階級や階層に応じて投票先が決まる、ということですね。ただ、これは1960年代くらいまでの話で、どの国もかつてほどの階級社会ではなくなって、そういう風に投票する人々はどんどん少なくなっていると言われています。
そこで出てきたのが、有権者は争点や政策に基づいて投票するという「争点による投票」の説明です。日本でもマニフェスト選挙といって、ある争点に関する政党の政策をきちんと読んで、そこで自分が好ましいと思う政策を並べる政党に投票すべきだと随分言われました。
ただ、これは実際には難しい。そもそも争点に基づいて投票するには、多くの政党がそれぞれ違う政策を掲げていなければ、選びようがありません。似たような政策を多くの政党が約束していれば、結局どこに投票したらいいかわかりません。また、政策といってもいろいろな政策が並びますから、ある政策についてはA政党のがいいけれど、別の政策についてはB政党のがいいと思った時、結局どこに投票すればいいのかはわからない。そもそも、自分が好ましい政策が何なのか、きちんとわかっている有権者でなければ、こういう投票はできません。例えば、話題の「アベノミクス」なんて経済の専門家でも意見が分かれていますから、普通の有権者が判断するのは無理でしょう。
有権者は好きな党首や候補者に投票するんだ、という説明もあります。AKB48総選挙のように、応援する「推しメン」に票を入れるようなものです。アメリカの大統領選挙では、候補者の人柄や価値観が重視されます。日本では、2005年の総選挙で小泉純一郎首相が、政策の実現のためというより、自分を応援するために投票してほしいと有権者に訴えて、大勝しました。もちろん、当時騒がれたように、これでは独裁的な政治を生む可能性もあります。
だから、最近では、有権者がどうしたいというよりも、政治家が何をしてくれたかを判断して投票するのが大事だ、という議論も有力です。つまり、政治家や政党が何を言っているかではなく、選挙が近づいてきて、それまで政権を預かっていた政治家や与党が自分に満足するものだったらそのまま同じところに投票し、そうでなかったら違う政党に投票する、という方法です。
なぜ投票率が低いの?
よくよく考えると、投票するということ自体、自然なことではありません。「あなたの一票が政治を変える」と言われても、実際に自分の一票で国の政策はおろか、候補者の当落も決まることはありません(一票差で決まった国政選挙というのは日本ではいまだありません)。