2022年12月、政府は「反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有」などを含む安保関連3文書について閣議決定をしました。
しかし私には、保有の必要性を主張した人たちが、反撃──敵基地を攻撃するということがどういうことなのか、正しく理解していたとは思えません。「敵基地攻撃能力を持つ」ことで何が起こりうるのかをしっかりと想像できていれば、その前にやらなくてはならないことがあるという結論に至るはずだからです。
なぜか。「反撃能力を保有する」ということは、誤爆で民間人の命を奪うなどの「戦争犯罪」の加害者になる可能性が、格段に上がるということ。にもかかわらず今の日本は、法治国家であれば当然備えていなければならない「戦争犯罪を適切に裁くための法体系」がごっそり抜け落ちている、いわば国際法上の「不法国家」なのです。
戦争犯罪を裁くのは誰か?
初めにまず、「戦争犯罪」とは何かという話から始めましょう。
戦争犯罪とは簡単に言えば、無差別攻撃、捕虜虐待、強制移動など「戦争中であってもやってはならない」として禁止されている行為のことです。捕虜の適切な待遇や文民保護などを定めたジュネーブ諸条約(1949年)をはじめ、歴史の中で積み上げられてきた国際人道法によって規定されています。
重要なのは、戦争犯罪を起こすのは「侵略した側」「占領した側」に限らないということです。他国への侵略はもちろん国連憲章に違反する、絶対に許されない行為ですが、だからといって侵略された側が「何をやってもいい」というわけではありません。日本がこの先「他国から攻撃を受けた」として反撃を行い、その中で誤って相手国の民間人の命を奪うようなことがあったら、当然それも戦争犯罪として裁かれることになるわけです。
また、第二次世界大戦後は戦争そのもののあり方が複雑化し、「国家対国家」の戦争よりも非正規の武装組織が関与する内戦、紛争などが増加してきました。そうした変化を受けて、1977年に「国際的性質を有しない武力紛争」にも条約を適用させるとするジュネーブ諸条約第二追加議定書が成立(日本は2004年に追加承認)。その後も、国の正規軍以外の組織にも国際人道法を適用しようという動きが、国際社会においてはどんどん強まってきています。
つまり、軍隊とは言えないようなゲリラ集団や自警団、あるいは町内会や婦人会であっても、何らかの武装をした人たちがある程度の集団になって武力衝突を起こせば、そこには国際人道法を守る義務が生じ、守らなければ戦争犯罪を問われる対象になる。日本で重要視される「自衛隊は軍隊かどうか」という問題は、戦争犯罪に関する議論の上では何の意味も持たないわけです。
では、その戦争犯罪を「裁く」のは誰なのでしょうか。オランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC)を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、ICCはあくまで補完的な役割を果たす機関に過ぎません。基本的には、その戦争犯罪を起こした国の政府が責任を持ってその罪を裁くということになります。そのために、ジュネーブ諸条約の批准国には、戦争犯罪を裁くための国内法を整備する義務が課されているのです。
過去の戦争犯罪の中には、当事国以外の政府が裁いたというケースもあります。たとえば、ルワンダで1994年に起こった大虐殺では、虐殺に関与したとして国際指名手配をされた末にフランスで逮捕され、パリで裁判にかけられた加害者がいました。フランス政府がルワンダの司法では適切な裁判ができないなどと主張して、加害者の引き渡しを拒否したのです。もちろんルワンダ政府はフランス政府に激しく抗議しましたが、裁判権が非当事国にも認められているのは確か。当事国が責任を持って裁くことができる法体系を持たない場合には、他国の裁判所やICCによって裁かれる可能性があるということなのです。
「反撃」の際の誤爆で民間人に犠牲が出たら
さて、日本は1953年にジュネーブ諸条約を批准していますから、当然「戦争犯罪を裁くための国内法」を整備する義務があります。ところが日本政府は、「現行法で対処可能」だと主張して、今に至るまで法整備に取り組んできませんでした。自衛隊員が民間人に怪我をさせたり、命を奪ったりしてしまった場合は、国内の刑法によって傷害罪や殺人罪に問うからそれでいいんだ、というわけです。
しかし、刑法と国際法とは、考え方が根本的に異なります。
一般の刑法によって裁かれるのは基本的に、個人的な恨みが動機になっていたりと、個人と個人の関係性の中で起こる犯罪です。しかし、国際人道法が想定している戦争犯罪はそうではない。ある政治意思のもと、国籍や民族といった個人の「属性」を標的にした組織的な行為であって、そこには必ず明確な指揮命令系統があります。たとえば「ジェノサイド(大量虐殺)」が単なる「殺人事件」の集合体ではないように、犯罪としての意味合いがまったく異なるのです。
だから、戦争犯罪を裁く際には、実行犯よりもむしろ、それを指揮・命令した人々の責任が厳しく問われます。その犯罪を発生させた責任が指揮命令系統のうちのどこにあるのかを認定し、起訴・量刑の起点とするわけです。直接的な命令のもとで起こった犯罪はもちろん、末端の兵士が起こした偶発的な犯罪であっても、上官がそれを止められた、あるいは知っていたのに見過ごしたと判断されれば、上官のほうが重い罪に問われることになります。
ところが、日本政府が言うように、自衛隊員が起こした事件を「現行法で対処」しようとすれば、そうはなりません。一般の刑法には「指揮命令系統に沿って処罰する」という考え方はありませんから、もっとも重い罪に問われるのは、現場の実行犯である自衛隊員。上官についてはせいぜい、法解釈によって共犯・教唆犯として罪に問う──ただし、実行犯よりははるかに軽い──ことくらいしかできないということになってしまうのです。
そこで、冒頭で触れた「反撃能力」の話に戻ります。
政府は、他国が日本への武力攻撃に着手した場合に、相手国のミサイル基地などを攻撃することができる、と主張しています。その「攻撃」が目標を逸れ、民間施設を破壊して死傷者が出たら、どうなるでしょうか。
民間人への攻撃ですから、これは明らかな戦争犯罪です。命令した上官よりも、ミサイルの発射ボタンを押した自衛隊員がもっとも重い罪に問われるのはどう考えてもおかしいでしょう。ところが、政府が言うように「現行法で対処」すれば、そういうことになってしまうのです。これでも「現行法で対処可能」だと、果たして言えるのでしょうか。