個人の正当防衛に当たるのが、国家における自衛権
自衛権を理解するには、「闇夜に暴漢」のたとえが分かりやすいでしょう。暴漢に襲われたとき、助けを呼んでも誰も駆けつけてくれないときは、自分で自分を守るしかありません。暴漢と争っているうちに暴漢を傷つけてしまっても、そのことで犯罪にはなりません。それは、正当防衛であると認められるからです。正確に言いますと、暴漢に襲われ(急迫不正の侵害)、暴力に対して実力で抵抗するしかなく(他に手段がない)、相手の暴力に対して正当化できる範囲の実力行使(必要最小限)である限り、その実力行使は犯罪としての暴力ではなく、正当防衛としての実力行使と認められるのです。国家についても、同じような考え方が成り立つと認められてきました。つまり、他の国から差し迫った不正な攻撃(侵略)を受けた場合に、実力で反撃する以外の手段がない場合には、その反撃が自分を守るのに必要最小限度な範囲にとどまる限りは、自衛権の行使として認められてきたのです。
集団的自衛権を身近な例で考えれば
身内の人間が誰かに襲われて怪我をしたとします。そうすれば警察がその暴行をした者を逮捕する。それが今の日本では普通のことでしょう。しかし、警察がいない昔でしたら、襲われた人やその身内の者が、その襲ってきた者を実力で追い払うほかなかったでしょう。以上は、人間関係での話ですが、国と国との関係で言い直しますと、ある国(A)が攻撃してきた国(B)に対して自分で自分を守る権利のことを自衛権、Aという国といわば身内の関係にある国(C、D …)がAと一緒になってBを撃退する権利を集団的自衛権、というのです。今の国際社会には、国内におけるような警察に当たるものがまだないので、自分(または身内)を自分(および身内)で守るということが認められているのです。
集団的自衛権の本質
1945年に国際連合(国連)ができるまでは、集団的自衛権という考え方はありませんでした。それまでは、国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることが、厳しく禁止されていなかったので、Aという国とBという国が戦争するとき、C、D…の国がA国側に立って、また、E、F…の国がB国側に立って、互いに戦争することが当たり前のことだったのです。たとえば、第二次世界大戦で、アメリカ、イギリス、ソ連などの連合国が、日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国と戦ったのが典型的な例です。
ところが、国連ができたとき、戦争を含め、あらゆる武力の行使が禁止されました。国連は、他の国を攻撃(侵略)する国が現れた場合には、国連自らがその国を懲(こ)らしめる(国際的な警察のような行動をとる)役割を果たすことにしたのです。
ただし、国連は、国内の警察のような組織を常に備えておくことができないので、突発的な攻撃(侵略)が起こった当座は、攻撃(侵略)を受けた国が自分で自分を守る権利(自衛権)を認めました。それだけではなく、一国だけでは攻撃(侵略)に立ち向かうことができない場合(たとえば、小国が大国の攻撃を受けた場合)のことも考え、攻撃を受けた国に対して他の国が加勢することも認めたのです。
このように、ある国(A)が他国(B)の攻撃(侵略)を受けたときに、他の国(C、D…)がAと一緒になってBを撃退する権利を、集団的自衛権といいます(国連憲章第51条)。ですから、集団的「自衛」権とはいっていますが、その本質は、C、D…がAを守るということですから、他国を守るということ、すなわち「他衛」です。
戦争が法的に禁止されても、1945年以後の国際社会では、アメリカとソ連が対立し、軍事的に厳しい緊張(東西冷戦)がありました。そのため、アメリカを中心とする北大西洋条約機構(NATO)や日米安保条約、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構などが集団的自衛権の名の下に作られ、かつての軍事同盟と変わらない状況がソ連崩壊まで続きました。
集団的自衛権の行使の例
集団的自衛権の行使として軍事行動を正当化しようとしたケースは、いくつか挙げることができます。しかし、国連において集団的自衛権の行使として認められたといえるものは、1990年にイラクがクウェートを侵略したときに、アメリカが多国籍軍を結成しイラクを撃退した湾岸戦争のケースなど、ごく限られた場合だけです。次回は、なぜ今の日本で集団的自衛権が問題になっているのか、私たちが考えるべきことは何か、ということを述べたいと思います。
国連憲章 第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は、ただちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。