反軍政デモの中心に登場した僧侶たち
軍事政権の打倒と民主化の実現を求めるミャンマー(ビルマ)の僧侶と市民のデモは、2007年9月、軍による武力弾圧で封じ込められ、多数の死傷者と逮捕者が出た。取材中の日本人フォトジャーナリスト、長井健司さんも射殺された。同国では1988年にも、今回を上回る大規模な民主化運動が軍によって血の海に沈められている。長年の願いがまたしてもつぼみのうちにむしり取られてしまったことへの国民の落胆は大きいが、これによって軍政が勝利したとみるのは早計だろう。()()2007年の反軍政運動のきっかけは、燃料費の大幅引き上げだった。これに抗議するデモが1988年の民主化運動世代の元活動家たちを中心に始まったが、彼らはほとんどが逮捕・拘束された。かわってデモの主役として登場したのが僧侶だった。全ビルマ僧侶連盟が主導するデモは全土に拡大、燃料費高騰への抗議から反軍政の色彩を濃くしていった。そして僧侶のデモに市民が続々と合流し、旧首都ヤンゴンでその数がいっきょに10万人にふくれあがると、軍政は武力行使に踏み切った。
多数の市民のデモへの参加は、僧侶たちのデモが軍政によって自宅軟禁中の民主化運動の指導者アウンサンスーチーと対面した直後からだった。彼女が自宅入り口で僧侶たちに手を合わせている写真が国内外にいっせいに出回ったのだ。
この事実は、民主化運動と仏教の理念がわかちがたく結びついており、多くの国民がそのことを支持していることを示している。逆にいえば、軍政がなぜアウンサンスーチーと僧侶たちを恐れ、弾圧を強化するのかが理解できる。
政治は慈悲の実践
アウンサンスーチーは、ミャンマーの「独立の父」「建国の父」アウンサンの長女として生まれたが、父は彼女が幼いころ、イギリスからの独立直前に暗殺された。インドとイギリスで高等教育を受けた彼女は、イギリス人学者と結婚後は政治とは無縁の生活をイギリスで送っていた。ところが88年に母の看病のため帰国したさい民主化運動に遭遇、その戦列に加わった。建国の英雄の娘は、民主化運動を、軍政下で失われた国民の尊厳を回復する「第二の独立闘争」と位置づけ、民主化運動のリーダーとして、その中核政党である国民民主連盟(NLD)の書記長として、国民の絶大な人気と尊敬を集めていく。敬虔(けいけん)な仏教徒である彼女によれば、政治とは仏教の教えの基本である「慈悲(ミッター)」の実践であり、それが人権尊重と民主主義であるとされる。そして、この目的を達成するために、仏教の非暴力の教えを貫こうとしている。
国民の約9割が仏教徒であるミャンマーにおいて、仏教の教えは欧米のキリスト教徒にとっての聖書と同じように、日々の生活を律する規範とされている。したがって、アウンサンスーチーたちが掲げる政治の大義に、多くの国民がごく自然に共鳴しても不思議ではない。脅威を感じた軍政は、彼女を自宅軟禁し政治活動停止に追い込んだ。
一方、僧侶は、仏教の戒律を守りながら日々精進に努める聖なる存在であるとともに、この国においては、イギリスからの独立闘争以来、国家の命運をかけた変革運動で大きな役割を果たしてきた。学生が主役だった88年の民主化運動にも多くの僧侶が参加した。日々の托鉢をつうじて民衆と接している僧侶は、布施として受けとる食物が次第に少なくなってきていることから、民衆の窮乏を実感することができた。燃料費引き上げで民衆の生活苦に追い打ちをかけながら自らは権力と富を独占する軍政指導者は、「仏法」にもとる存在だった。だから僧侶は「慈経」を唱えながらデモを続けた。
民心を離反させた僧侶への暴力
仏教の教えを信じる多くの国民にとっては、仏法に基づいた政治的正当性を有しているのは民主化勢力であって、軍政ではないことはすでにはっきりと認識されている。くわえて、尊敬する僧侶にまで容赦ない暴力がふるわれたことで、民心は完全に軍政から離れてしまったといわれる。軍政は武力弾圧後も、デモに参加した僧侶や市民への追及の手をゆるめていない。89年以来3回にわたるアウンサンスーチーの自宅軟禁は通算12年を超えるが、即時解放を求める内外の声に軍政は依然として耳を傾けようとはしない。約1200人が政治犯として投獄されたままだ。軍政指導者は、民主化によって自分たちが失うものはあっても得るものは無いと信じている。
しかし、なりふりかまわぬ民主化弾圧はけっして彼らの強さを示すものではなく、その逆であろう。仏教の教えを支えとした民主化運動は地下水脈として涸れることなく流れつづけ、やがて地表に噴出し独裁政権を押し流すであろう。一枚岩とみえる軍政内部にも今回の弾圧をめぐり微妙な亀裂が生じているとの情報もある。国際社会の民主化要求圧力とも連動して、ミャンマーは不安定な情勢がつづくとみられる。
慈経
初期仏典『スッタニパータ』の一節。「他の識者の非難を受けるような下劣な行ないを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」(中村元訳『ブッダのことば』、岩波文庫)などの内容。東南アジアの上座仏教圏では現在も重要視され、結婚式で僧侶が新郎新婦におくる祝福と説教のことばとなっている。