対決と協調に揺れた米中関係史
アメリカと中国は朝鮮戦争で戦火を交えた。その後も、アメリカは長く中国を封じ込めたが、旧ソ連が両国の最大脅威となった1980年代には「準同盟国」と言われるまでに接近した。しかし、学生・市民の民主化運動を人民解放軍が鎮圧した天安門事件(1989年)の後、ソ連が崩壊し中国が最大の残存社会主義国になると、中国の人権や少数民族問題をめぐり対立する時代を迎えた。「天安門」後、アメリカの歴代政権は、クリントン大統領が「バグダッドから北京までの独裁者との対決」を訴え、ブッシュ大統領も中国を「戦略的ライバル」と見なすなど、いずれも政権初期は中国との対決姿勢を強調した。しかし、中国が急速な成長で政治的に安定し、市場としての魅力が増すようになり、北朝鮮の核問題や対テロ戦争で協力が欠かせなくなると中国を「戦略的パートナー」(クリントン政権)、「ステークホルダー(利益共有者)」(ブッシュ政権)と呼んで協調をはかるようになった。
オバマ政権は、大統領選挙で中国との対決姿勢を打ち出すことなく誕生し、発足直後から金融危機や温暖化など地球規模の課題で中国との協力関係を目指した。それは2009年に世界経済の安定や北朝鮮核問題の前進につながる成果を生み出し、G2(二大国)時代と呼ばれるまでになった。しかし、アメリカが人権批判を控えたことは共産党政権による国内抑圧のみならず、インターネットの自由や台湾、チベット問題から地球温暖化など地球規模の課題に至るまで、中国の対外姿勢の強硬化を招いた。オバマ政権は2010年初頭から対中政策の見直しを迫られ、新たな米中関係の均衡に向けた生みの苦しみが続いている。
中国の協力を求めたオバマ政権
オバマ政権は、大統領選前から日本など従来の同盟国にとどまらず、中国やインドなど新興国と多角的な協調関係を求める方針を打ち出した。ブッシュ政権の、国連軽視や京都議定書からの「離脱」などのユニラテラリズム(単独行動主義)は各国の反発を招いた。また、08年9月のリーマン・ショックであらわになった金融危機の克服が、アメリカ一国の力では無理だったという現実的な理由もある。とりわけ中国は、アメリカ向け輸出で生まれた膨大な貿易黒字を米国債などドル資産で貯め込み、世界一の外貨準備高を誇っている。アメリカは危機に瀕した金融機関や自動車産業に巨額の公的資金をつぎ込み、投資の拡大で成長の下支えを図らなければならない。これらの財源は中国や日本に米国債を買ってもらうことでまかなうしかない。
安全保障をアメリカに依存する日本と違い、アメリカの圧力にさらされてきた中国では、米国債を買うことはイラク戦争の出費を支えることになるという国内の反発が強い。とはいえ、米国債を手放しドル暴落を招けば、中国も大きな損害を被りアメリカ市場を失いかねない。アメリカと中国は、冷戦当時の米ソが核兵器を使えば双方が破滅する「相互確証破壊(MAD)」で平和を保ったのと同じく、ドル暴落への恐怖によって経済的に支え合っている。
2009年2月、国務長官として約50年ぶりに初外遊をアジアから始めたクリントン長官は最初の訪問地こそ同盟国の日本を選んだが、中国に対しこれまでにない友好姿勢を示した。クリントン長官は、大統領夫人だった1995年、北京の国連世界女性会議で「自由とは平和的手段で意見を述べた人を投獄しないことだ」と発言した人権擁護のヒロインだった。しかし、国務長官としての訪中前には「(人権問題などが)協力を邪魔するようなことがあってはならない」と語った。
09年5月末、北京大学で講演したガイトナー財務長官が「米ドルへの投資は安全だ」と述べると、聴衆は爆笑した。天安門事件から20年となる6月4日直前に、当時の民主化運動拠点だった北京大学で行ったこのスピーチで、ガイトナーは、人権問題への懸念を、ほのめかすことさえなかった。7月末、ワシントンで初めて開かれた米中戦略・経済対話に、中国は2人の副首相級を含む史上最大規模の150人の代表団を送り、アメリカも外交・経済担当の閣僚が勢ぞろいした。あいさつしたオバマ大統領は「米中両国の関係が21世紀を形づくる。それは世界のいかなる二国間関係に劣らず重要だ」と述べ、中国重視を強調した。
対中政策を転換するアメリカ
09年11月、新たな対中外交の集大成として行われたオバマ大統領の初訪中には、その後の関係悪化の影がすでに忍び寄っていた。大統領は胡錦濤国家主席との会談で、翌12月の気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)において、「政治的宣言」にとどまることなく、ただちに効力を発揮する「総合的合意」を達成できるよう努力すると申し合わせた。金融危機の克服には「アメリカはもっと貯金し浪費を減らし中国は国内需要を促す」(オバマ大統領)と、両国経済の在り方にまで立ち入って「戦略的信頼」を構築することを目指した。しかし、首脳会談に先立ち、オバマ大統領が上海で行った地元大学生との対話は、クリントン、ブッシュ両大統領の対話と異なり、全国に中継されることはなかった。大統領が「私は自由なインターネット使用と、検閲からの解放の強力な支持者だ」と強調した部分は中国側報道では削除された。これは2010年に入って明らかになる、検索大手グーグルに対する検閲をめぐる米中対立の伏線だった。
アメリカが人権批判を抑制し実益優先の対中外交を展開しているのを見越して、中国は09年12月、ネットで政治体制を批判する声明を発表した評論家の劉暁波に国家政権転覆扇動罪で懲役11年の有罪判決を下し、内外に波紋を広げた。これに先立ち行われたコペンハーゲンのCOP15でも、温家宝首相は再三にわたって合意達成に向けた非公式首脳会議への出席を拒み、オバマ大統領との首脳会談さえ渋る自国利益優先、アメリカ軽視の態度を示した。
これらの事態がアメリカの対中姿勢見直しにつながったようだ。10年1月にクリントン長官が中国を名指しで批判する「インターネットの自由」に関する演説を行ったのは、政権発足以来、人権状況批判を抑制してきた対中姿勢を事実上、転換するものだった。
続いてアメリカは台湾に対し対空誘導弾パトリオット(PAC3)など総額64億ドルの武器を売却する方針を決定した。オバマ政権になってから初の台湾への武器売却で、中国は激しく反発、米中軍事交流を停止するなど対抗措置に出た。オバマ大統領自身も、訪中前には見送ったチベットのダライ・ラマ14世との会見に踏み切り、中国の圧力に屈しない強硬姿勢を示した。一気に緊張した二大国の関係は、東アジア情勢のみならず、温暖化や核不拡散といった地球規模の課題の将来にも暗い影を投げかかけている。
しかし、米中は金融危機や北朝鮮の核問題などをめぐり一層、相互依存を深めた面もあり、激しく論争することはあっても、それぞれの国益を侵す対決のエスカレートは避けるほかない。根深い相互不信をはらみながらも実益を軸にした協調を保つことこそG2時代の実像である。