あなたは「投資」なるものをしているだろうか?
私はまったくしていない。というかその辺りのことについて全く知識がないので「怖い」「素人が手を出すものじゃない」という言葉しか浮かばない。
が、「投資」という言葉をやたらと最近、耳にする。私が好きなバンド、ゴールデンボンバー・樽美酒研二氏までが『新NISA始めます。』という曲を発表したくらいだ。
なぜ今、「投資」がアツいのか。
背景にあるのは先進国で唯一30年間賃金が上がらないというこの国の衰退だろう。
今や非正規雇用率は4割まで増え、その平均年収は正社員530万円に対して正社員以外202万円(国税庁、2023年)。しかも「失われた30年」の中で賃金は減り続け、所得の中央値はこの25年で130万円以上ダウン。
気がつけば日本は「経済大国」から転落し、韓国に平均賃金を抜かれ、GDPは中国、ドイツに抜かれて2位から4位に。そこに20年からのコロナ禍が大打撃を与え、この3年は凄まじい物価高騰。昨年からは米の値段も高騰した。その一方で、外国人観光客たちが日本人にはとても手の出ない値段のものを「安い安い」と喜んで消費している。
このような状況、一昔前であれば「働く者たちが連帯して企業や政府を追い詰め、賃上げを勝ち取ろう」とかになっただろう。
が、25年、そのような気運は皆無(ごく一部にはある)。働く者たちはそれぞれが敵・ライバルとして分断され、連帯する相手ではなく、騙し、出し抜く相手になって久しい。
働いてもマトモな賃金が得られない人が多くいる中で、気がつけば企業はやたらと「副業」を推進し、政府はしきりに「投資」を勧めるようになっている。しかし、失敗して全財産を失ってももちろん「自己責任」だ。
そんな自己責任社会が長く続いた結果、人々の内面には「報われていない者」はすべて本人の努力不足という意識が深く刻まれている。私は困窮者支援の現場に約20年いるのだが、20年かけて、刷り込みはより強固になったと感じる。
例えば08年の「年越し派遣村」(派遣切りに遭うなどして職も住まいも所持金も失った人々が東京・日比谷公園で年を越した。6日間で参加したのは500人以上)の頃、失業し、住まいも失った人々の間にはうっすらとだが連帯感があった。喫煙所なんかでは「政治への怒り」「小泉政権への憤り」「強欲な派遣会社への憎しみ」が当たり前に語られていた。
しかし、あれから十数年。同じような現場で感じるのは、多くの人が「自分はここにいるあいつらとは違う」という思いを抱えていることだ。
どういうことか。例えばコロナ禍、私は困窮者支援の現場で相談員をしてきたが、派遣村の時と違い、昨今は「当事者同士の交流」を目にすることはほとんどない。なぜかと言えば、そこにいる多くが「自分はいろんな不運が重なって仕事や住む場所を失っただけで、ここにいる怠け者とは違う」と思っているからだ。
自己責任論が個人の内面にまで浸透しきった結果、「今、困っている人」を、同じ境遇の人までもが「本人の努力不足」「怠けや甘えの結果」と断じる光景が見られるようになったのだ。
だからこそ、困窮している人が何百人と集まったところで「連帯」など生まれない。人はどこか下に見ている相手と共に何かをしようなどと思わないからだ。それが「自己責任」を究極まで埋め込まれた果てに起きている分断でありアトム化だ。
そんな中、ロスジェネとそれ以下の世代に顕著なのは「経営者マインド」の搭載だ。自らが最低賃金ラインで働いているのに「労働者」という意識は希薄で「最賃上げろ」なんて言い分を見ると「バイトがそれだけの働きをするのか」「中小企業が潰れる」などと口にする。
昨今は、それに加えて「投資家マインド」を搭載している人が増えているように思う。経営者どころか、投資家目線で世界を俯瞰するようなスタンス。そんなマインドが蔓延する理由のひとつに、不安定層も投資をしているということが指摘されている。
なぜ、リスクを知りつつも手を出すかといえば、ここまで書いたように、今の日本ではどんなに真面目に働いても「報われる」ことはほぼないからだ。そうなると、「自分一人が投資で勝ち抜く」というのが唯一のサバイバル術になる。というかそれ以外、「一発逆転」の方法なんてほぼないという地平に私たちは30年間放置されている。
そうして本当に時々、「ニート、ひきこもりだったけれど投資で一攫千金」「会社を辞めて投資で悠々自適」みたいな話がごくごく稀にあったりする。現代日本に生きる人々にとって、それは唯一くらいの「手が届きそうなシンデレラストーリー」ではないだろうか。
そんな現代、「みんなが求めているのはライフハックとサバイバル術だけなんだ」と痛感したことがある。それは昨年出した『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書、2024年)という本が売れたこと。
内容はと言えば、この20年間の困窮者支援の現場で得た社会保障の使い方や、役所で門前払いを食らった時の支援団体の頼り方、親の介護についての公的制度や自らの孤独死に対してできうる準備、さまざまなトラブル解決方法などのノウハウをまとめたもの。
同じようなテーマの本はこれまでも出してきた。しかし、そこには当事者のルポルタージュや分析、政治の無策についての記述も多くあった。派遣村直後の貧困問題が「旬」だった頃はそれなりに売れたが、ブームが過ぎてからはとんと売れなくなっていた。
が、そこからルポと政治色と分析を抜き、完全に「ライフハック本」にしたら売れたのだ。値段は990円。「ラーメン一杯の値段で無敵になれる」と打ち出したら、当たった。
余裕がない時代には、「今すぐ役に立つ」ものしか売れないという事実を痛感した昨年。
そんな経験を通して、「投資」に希望を見いだす人々の存在が以前より身近なものになり、この界隈のことを知りたいという欲望が湧いてきた。が、いかんせん、とっかかりがなさすぎる。
しかし、最近、SNSで「ものすごくわかりやすい投資の本」として紹介されているものがあった。それは芥川賞作家・羽田圭介氏の『羽田圭介、家を買う。』(集英社、2025年)。