急速に進展する民主化政策
長年にわたり軍事政権下のミャンマー(ビルマ)に垂れ込めていた暗雲からやっと薄日がもれはじめた。2011年3月の「民政移管」によって誕生したテインセイン政権が、相ついで民主化への政策を打ち出しはじめたからだ。ミャンマー国民も国際社会も、1年前には考えられなかったような変化をおおむね前進と歓迎しているものの、国民の多くが望んでいる真の民主化実現までの道のりはまだ遠く険しそうだ。テインセイン大統領が率いる新政権は、10年11月の総選挙後に自宅軟禁から解放された民主化勢力指導者アウンサンスーチーとの協力を確認し、彼女の率いる国民民主連盟(NLD)の政党参加を可能とする法改正や政治犯への恩赦、メディア規制の緩和、平和的デモ集会の容認などをおこなった。それとともに、1948年のイギリスからの独立以来つづいていたカレン民族同盟(KNU)など少数民族武装勢力との戦闘終結交渉にも乗り出した。
一連の流れの大きな節目となったのが、2012年1月の政治囚の完全釈放だった。651人の政治囚には、民主化勢力や欧米諸国などが釈放を強く求めていた、1988年の民主化運動の指導者ミンコーナインやコーコージー、2007年の反政府デモを主導した若手僧侶のリーダーであるガンビラ、少数民族シャンのシャン諸民族民主連盟党首クントゥンウーらもふくまれていた。
12年4月におこなわれる国会の補欠選挙にはNLDも多くの候補者を立て、アウンサンスーチーは地方遊説の先々で多数の熱狂的支持者たちを集めている。1989年以降3回、計17年にわたり国家破壊分子として自宅軟禁されてきた彼女の国政復帰が実現しようとしている。
こうした動きと並行して、アメリカのクリントン国務長官はじめ欧米諸国の政府高官らが次つぎにミャンマーを訪問し、関係改善について大統領やスーチーらとの会談を開始した。欧米による経済制裁が緩和される可能性も出てきた。日本政府はODA(政府開発援助)の再開を表明、玄葉光一郎外相はテインセイン大統領らとの会談で日本企業の投資促進について協議した。ASEAN(東南アジア諸国連合)は2014年のミャンマーの議長国就任を認めた。
中国依存からの脱却
ミャンマーが民主化にむけて大きく舵を切りかえたのはなぜか。最大の理由は、貧困と圧制に対する国民の不満をこれ以上力ずくで抑え込むことができない、と軍政は判断したからであろう。民主化運動へのきびしい弾圧によって国際的に孤立した軍政の後ろ盾になっていたのは中国だった。中国は、自国の経済発展に必要なミャンマーからの石油、天然ガスのパイプライン建設や港湾の整備などへの経済協力、軍事援助などによって、ミャンマーとの緊密な関係を築いてきた。国連におけるミャンマーの人権問題討議についても、中国は反対した。しかし、経済は最貧国状態から脱することはできず、軍政の指導者たちと彼らにつながる政商たちが利権を独占して金持ちになるいっぽう、ほとんどの国民はその日の糧を手に入れるのに精いっぱいだった。07年の僧侶たちの反政府デモは物価の高騰が直接の引き金だったが、仏教徒が9割を占める国民から聖なる存在と尊敬されている僧侶まで武力で弾圧したことで、軍政は国民から完全に見放された。
経済を本格的に立て直すには、国際社会の協力が不可欠であり、中国一辺倒は国の進路を危うくするおそれもあった。中部の古都マンダレーなどは、すでに中国経済圏に取り込まれ、中国語が氾濫(はんらん)する状況となっている。11年9月、北部カチン州で中国と共同で進めていた水力発電ダムの建設をミャンマーが凍結すると発表したことは、脱中国のあらわれとして驚きをもって受けとめられた。欧米諸国からの経済制裁を解除するには、民主化へむけた実績をしめす必要がある。同年1月からアラブ諸国に広がった大規模な民主化運動「アラブの春」も軍政指導者を不安にさせたと思われる。いっぽう、アメリカのオバマ政権は、アジアにおける中国の影響力をけん制するためにアジア重視戦略を打ち出した。テインセイン政権下の民主化進展はこのような内外情勢をふまえた判断にもとづくものとみられる。
憲法が保障する軍人支配体制
だが、やっと差しはじめた薄日が、南国特有のギラギラした輝きをとりもどせるかどうかは予断をゆるさない。かりに48選挙区で争われる4月の補選で民主化勢力が48議席すべてを獲得したとしても軍人支配の基盤はゆるがない。テインセイン大統領自身が旧軍政のナンバー4だった軍人出身であり、議会(上院224議席、下院440議席)は旧軍政の翼賛政党・連邦団結発展党(USDP)が上下両院で約7割の議席を占めている。さらに08年に軍政下で制定された憲法は、議員の4分の1を軍人推薦枠とさだめ、非常時に国軍最高司令官が全権を掌握できるとしている。憲法改正も議員の4分の3以上の賛成が必要で、軍部の賛成がなければ事実上不可能に近い。この憲法をどのようにして改正していくか、それに政権が応じるか否かも今後の民主化進展を占う大きな試金石となっている。だから欧米諸国は、関係改善の動きは開始したものの経済制裁の解除には慎重で、今後の進展を見守りながら判断するとの姿勢をくずしていない。釈放された「88学生世代」と呼ばれる民主化運動グループも、アウンサンスーチーへの支援は表明しながらも、国会参加については「危険な選択」と懸念している。テインセイン政権の政策が、軍人支配の体制を維持するための衣がえにすぎないならば、民主化勢力が体制側の対外的な民主化アピールに利用されてしまうおそれがあるからだ。また、軍内部が大統領の路線支持でまとまっているのかどうかも不明である。
国民のための改革を!
そして何よりも大切なのは、民主化が本格的な軌道に乗り出したとしても、それが経済発展にむすびつき、その成果が国民に公平に分配される「よき統治」システムが確立されるかどうかである。ミャンマーは豊富な天然資源と人件費の低い労働力にめぐまれた、成長の潜在力に富む国である。欧米や日本が民主化の進展とともにミャンマーへの接近を加速させようとするのも、経済進出を狙ったものである。だがそのパートナーがこれまで同様、軍人やその取り巻きの利権集団であるなら、国民はせっかく手に入れた政治改革に失望することになるだろう。日本の政府と経済界は新政権の「民主化」に便乗して目先の経済利益だけを追求することなく、ミャンマー国民全体のしあわせを視野に入れた改革の後押しにつとめるべきだろう。