2015年4月1日、これまで中東紛争で幾多の血が流され、市民が犠牲になってきたパレスチナが、正式に国際刑事裁判所(ICC : International Criminal Court)のメンバー国になった。イスラエルによる占領下で、虐殺などの深刻な人権侵害が絶え間なく繰り返されてきたパレスチナがICCに参加することで、中東の歴史にどんな新しい可能性をもたらすのか? 国連経済社会理事会との協議資格を有し、国連の人権にかかわるあらゆる会議への参加が認められる国際NGOであり、この絶望的な「不正義」を乗り越えようと、国連の場などで活動を展開してきた「ヒューマンライツ・ナウ」の事務局長をつとめる伊藤和子弁護士が解説する。
国際刑事裁判所とは何か?
国際刑事裁判所(以下ICC)とは、2002年に発足した、常設の国際的な刑事裁判所である(日本は07年10月1日に加入)。裁かれるのは、戦争犯罪、ジェノサイド罪、人道に対する罪など国際法上の最も重大な罪を犯した個人の刑事責任だ。
第二次世界大戦後、ニュルンベルク戦犯法廷などでナチスのホロコーストなどの重大犯罪が裁かれた後、同じように重大な人権侵害によって悲惨な犠牲が再び繰り返されないために、重大人権侵害を罪に問う、このような裁判所の設立は長い間夢想されてきた。20世紀の終わりにそれが現実に近づき、1998年、16カ国の代表がローマに集って国際刑事裁判所設立条約(ローマ規程)が採択され、2002年に60カ国が批准して正式に発足した。現在では、世界123カ国が参加する文字通りの国際法廷となったのである。
ところが、ICCは条約に基づく機関であるため、原則としてメンバー国で発生した犯罪にしか管轄が及ばないという限界がある。発足時、国連安全保障理事会(安保理)の常任理事国5カ国のうちアメリカ、中国、ロシアはこれに参加せず、イスラエルも参加しないまま現在に至っている状況では、この限界は軽視できるものではない。大国の行う重大な人権侵害を抑止できないのである。ローマ規程は、ICCのメンバー国外で発生した事態であっても、安保理が平和に対する破壊ないし脅威があるとみなして、事態をICCに付託することを決議した場合は、例外的にICCの管轄が及び、捜査や公判が開始できると規定する。
これまでに、メンバー国ではないスーダンのダルフール地方での虐殺や、リビアでの重大な人権侵害について、安保理決議を受けてICCが捜査を開始してきた。しかし、安保理はしばしば「機能不全」に陥り、大国が利害関係を持つ紛争について沈黙・容認してきた。安保理常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアのいずれかが拒否権を発動すれば、いかに重大な人権侵害でも捜査や訴追を妨害することが可能となってしまっている。中東パレスチナをめぐる紛争はまさにそうした構図にあてはまる。
不処罰が続く中東紛争
イスラエルによるパレスチナ占領の歴史は、国際法違反の歴史だったといえる。しかし、国際社会はこうした国際法違反に実効的対策を講じることなく、パレスチナの無辜(むこ)の市民が虐殺されることを事実上容認してきた。安保理は、国連の中で唯一強制権限を有する機関であるが、パレスチナ問題についてはアメリカなどが一貫してイスラエルを擁護するなか、イスラエルがいかなる軍事行動、戦争犯罪や人権侵害を繰り返しても、安保理は機能不全のまま何らの行動もとれずにきた。
たとえば2014年7月8日に始まり、1カ月以上続いたイスラエル軍のガザ侵攻は典型例である。「境界防衛(Protective Edge)」作戦と名づけられたガザ侵攻では2000人以上のパレスチナ人が殺害され、このうち500人は子どもだったという。確かに、ガザを支配するハマスもロケット砲で民間人を殺害する被害を出しているが、犠牲者数はガザの住民のほうが桁違いに多い。まさにワンサイドゲームが展開された。
とりわけ、この侵攻では、国連が運営する病院や学校が標的とされた。しかも、市街地が空爆されたため、家を追われた民間人が病院や学校に避難したのを知りながら、その学校や病院が意図的に攻撃された。この攻撃への抗議活動は世界各地で起き、日本でも7月にキャンドルアクションが実施された。
意図的な民間人攻撃や無差別攻撃は許されない。紛争中でも民間人は保護されなければならず、無辜の市民を攻撃対象としてはならない。これは、文民保護を規定するジュネーブ第4条約をはじめとする国際人道法に基づく確立されたルールだ。これに反する民間人殺害は戦争犯罪に該当する。
ところが、国際社会の警告や抗議にもかかわらず、イスラエル軍は無差別攻撃をやめることなく、犠牲を出し続けた。
14年と同じようなガザへの空爆・侵攻は08年12月から翌年1月までも行われ、イスラエルの軍事行動は、1400人にも及ぶ犠牲者を出した。
この時は、国連が設置した事実調査団(ゴールドストーン調査団)が派遣され、調査団は、紛争当事者によって戦争犯罪が行われた可能性が高いとして、イスラエルとパレスチナ側双方による責任ある調査と刑事責任の追及がなされなければ、安保理がICCに事態を付託し、国際的に戦争犯罪として調査・訴追すべきだ、と勧告した。
しかし、それから6年以上経過したが、何らの刑事責任も問われずにきている。安保理はこの問題についてICC付託に関するアクションを全く起こしていないからだ。
これに加えて、09年にはパレスチナ当局がICCの管轄権を受諾するとの申請書をICC検察局に提出したが、検察局は「パレスチナが国にあたるのか判断できない」などとして、捜査を開始しないと宣言し、多くの人を失望させた。
このように、どんな戦争犯罪や虐殺行為をしても、国際的に何の制裁・処罰もされないことがわかれば、加害国は人権侵害を繰り返すであろう。人権侵害の不処罰は、さらなる犯罪や人権侵害を助長し、罪もない民間人、特に女性や子どもたちを犠牲にしてきた。
軍事侵攻だけではない。ガザに対する封鎖、ヨルダン川西岸地区への「入植」、家屋破壊など、日常的に続く違法行為も、実はジュネーブ条約に反する戦争犯罪に該当する。日常的な人権侵害の横行はパレスチナの人々の人生に深い絶望感をもたらしている。
こうした不処罰・不正義の構図を変える必要がある。
ICC加入が紛争の平和的解決に
そんななか、パレスチナは国家承認に向けて歩みだした。2012年11月、国連総会でパレスチナは初めて「オブザーバー国家」と認められた。オブザーバー国家とは、国連の非加盟でも国際機関や国際会議に参加資格のある国で、バチカンなどがこれにあたる。
さらに、14年12月には、「パレスチナが17年には独立国家になる」という安保理決議が提案された。12月30日に安保理はこれを否決したが、これを受けたパレスチナ自治政府は、翌日の12月31日、ICCに関するローマ規程を含む16の国際条約に署名した。
明けて15年1月1日、ICCの担当部局は、パレスチナ自治政府による同裁判所加入を宣言する文書を受理した。1月7日、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は、パレスチナが4月1日にICCの締約国に正式になることを認めた。