[この記事は、2016年11月26日に東京の星陵会館で行われた『新しい日米外交を切り拓く』(猿田佐世著、集英社クリエイティブ)の刊行記念シンポジウム「新しい日米外交を切り拓く-過去・現在・そしてアメリカ大統領選を経て」(新外交イニシアティブ主催)での白井聡さんの講演をイミダスサイト上に再録したものです。]
トランプ大統領でどうなるか……よりもまずは「日本」がどんな国でありたいのか?
さて、今回のトランプ大統領誕生によって、いよいよ「対米自立」というか、要するに「アメリカにくっ付いてりゃ、どうにかなる」という時代はもう終わったんだということが、劇的に示されたというふうに見る向きも多いわけです。確かに、この認識自体は正しい。けれども、本当に、じゃあ、今すぐそれを実行に移せるのであろうかというと、私は大変悲観的というか、まずできないだろうと思っています。なぜかと言えば、そのような意志や覚悟、熟慮に基づく決意、それらすべてが日本社会には欠けているからであります。
例えば、それがどういうところに表れているかと言うと、今回の大統領選挙に関する報道機関の姿勢です。私はそれを見て、大変強い違和感を持ったわけです。なぜかと言うと、もっぱら「トランプさんがなったらどうだ、ヒラリーさんがなったらどうだ」。こういう話を延々と、メディアは垂れ流していたわけですけれども、順序がおかしいだろう、と私は言いたいわけです。
まず、われわれがどうしたいのか、どんな国になりたいのかというのがあって、それを実現しようとする際にトランプ氏が大統領になると、条件としてこういうことになってくる、ヒラリー氏になると、こういうことになってくる。そこでどういうふうに対応していこうかという話になるのが、本来の物事の道筋のはずです。
ところが、われわれがどうなりたいのかということに関する議論というのは、いっさいなくて、いきなり「トランプがなったらどうだ、ヒラリーがなったらどうだ」と、こういう議論ばっかりだった。物事の順序が転倒しているのです。
なんでそうなるのか。論理的に考えると、可能性は二つあります。「どうなりたいのかということを、何も考えていない」というのが、一つの可能性。もう一つの可能性は「どうなりたいのかということについてはあまりにも自明なので、それについて誰も何も言わない」のいずれかであろうと。たぶん、現実には、その両方ということなんだろうと思うんです。
つまり「何も考えないで、アメリカにくっ付いていく」というのが、誰も吟味しないところの前提なのであって、だからトランプになったらどうだ、ヒラリーになったらどうだということで、右往左往ということになっているわけですね。
こんな具合ですから、TPPもトランプ氏になって撤回確実ということで、「良かった、良かった」という声もあるわけですが、私は全く楽観できないと思っています。要するに「アメリカ・ファースト」ということで――もちろんアメリカは、常に自分たちの国益追求を第一位に置いてやってきたと思いますけれども――その本音を、今後はもう隠さずに露わにしていくんだということがその言葉の内実なんではないか、と考えられるわけです。
もちろん、今の時点で、今後、トランプ政権が実際にどういう政権になっていくのかについては、まだ何とも断定的なことは申し上げられませんが、一つの可能性としては、今言ったように、より一層むき出しの形で、国益追求をやってくる。あるいはアメリカに本拠地を置くところの多国籍資本の利害を追求することを、やってくるんではないか。だから、TPPなんか手ぬるいと、要は日本から、どうやってカネを吸い上げるかだと。「TPPの枠組みじゃ手ぬるいから、もっと効率良くカネを吸い上げるぞ」と。
例えば、国民皆保険の問題があります。日本の国民皆保険制度を崩壊させて、これを民間保険に取って代わらせるということになると、90兆円とか、100兆円という市場が生まれるわけです。これを獲得したいと涎を垂らしているウォール街の関係者が、いっぱいいる。その人たちがトランプ政権と結託した場合に、どういう要求をしてくるのか。
あるいは安保体制です。これも、選挙期間中のトランプ氏の発言が物議を醸したわけですが、どうなるんだろうか。一番ありうる帰結は何かというと、要するに駐留経費負担をもっと増額せよと要求してくるということです。今、日本が米軍の駐留経費の70%ぐらい(2017年1月26日公表の防衛省試算によると86.4%)を負担しているということですけれども、これを100%、あるいは120%、150%かもしれませんが、出せと。「出さねえなら引き揚げるぞ、この野郎!」と、こういう態度を取ってくるということも、ないとは言い切れません。
本来だったら、「TPPに代わって、日米二国間FTAで日本から富を吸い上げるなんてとんでもない! われわれの生活を破壊するな」と言うべき話です。安保体制だって「そんなに無理難題を押し付けてくるんだったら、もう結構!」と言えばいい。しかし、安倍首相が、そういう態度を取れるかと言えば、取れるわけがない。
したがって、こういった露骨な要求に対して、唯々諾々と、あるいは嬉々として従う行動を取るということが、私は短期的には、一番ありうることなんじゃないのかと見ています。
本当の「対米自立」を目指すには「精神的な従属」からの脱却が必要
そういった惨状に対して、世論形成をしている立場にある人や、あるいは「考える世論」として存在している覚醒した一般民衆が、こうした現実をどう見ていくべきか。私は、トランプ大統領誕生について言えば、これは「来るべきものが来たと」いうことだと思っています。ちなみに、これは最近いろいろなところから聞くのですが、例えば、日本人と知り合いのアメリカ人が「ごめんなさい。こんな人が大統領になってしまって、私は本当に恥ずかしい……」と、よく謝っていると言うんです。そういえば、確かリチャード・アーミテージ元アメリカ国務副長官も同じようなことを言っていましたけれども、別に謝られる筋合いのことではない。アメリカが立派な国でないことについて彼らは謝っているようですが、どれだけ傲慢なんだろうかと思います。そんなことだから世界の色んな所で憎まれているわけで、いい加減そのことに気づくべきです。
それで、トランプ氏やその支持者集団について盛んに「怖いよ、やばいよ、野蛮だよ、暴力的だよ」と言われているわけですが、私から見ると、その暴力性なり野蛮性なりというものは、共和党のブッシュ・ジュニア政権が体現した野蛮性や暴力性と、「何が根本的に違うんですか?」と問いたくなるわけです。ハッキリ言って、何が違うんだかさっぱりわからない。せいぜい程度の差が少しあるくらいのものです。
ブッシュ・ジュニア政権もあれだけのことをやりながら、一応、国際主義の仮面ぐらいは被っていたかもしれない。トランプ氏はその仮面も捨てましょうやということで、私から見ると、何ら本質的な違いはないと思うんです。現状はだいぶ前からそんなものに過ぎないわけで、「これは文明の危機だ」というようなことを言って嘆いている日本のリベラル知識人たちを見て、私は「ああ、この人たちは、アメリカが偉大でないと不安になる人たちなんだ」と思いましたね。ならば、彼らは心配する必要はないかもしれない、他ならぬトランプ氏が「アメリカをもう一度偉大な国にする」と言っているわけですから……(笑)。
何が言いたいかというと、一般に「対米従属」と言ったとき、そこには軍事的な従属だったり、経済的な従属だったりと、いろんな側面があるわけですが、私はそういった実体的な従属とは別に、精神の面でもっと自由にならなきゃいけないんじゃないかと思うわけです。アメリカがずっと偉大でなきゃ困るというふうに思っている人は、知らず知らずに精神的な面で対米従属しているんじゃないかと。そういった意味でも、トランプ政権誕生は、対米自立の必然性を、確かに告げているということであります。
先ほども触れたように、冷戦構造が終わったことによって、戦後の日米関係の基礎は根本的に変わりました。まだ冷戦構造があったときには、日本がアメリカにとってアジアにおけるNo.1パートナーであるという位置づけは揺るがなかったわけですが、当然、その地位も根本的に変わったわけです。ですから、アメリカとしては、かつてはいろいろ文句はあっても庇護したり、あるいは互恵的な関係を結んだりしていたわけですけれども、日米関係はそこからむしろ「収奪の構造」へと変わってきたわけです。