朴正煕の亡霊はまだ生きている?
緑の並木道に、涼しい風が通り抜けていく。日は暮れかけていたものの、青々とした葉が目にまぶしい。この並木道の向こうには、一体何があるのだろう。「きっと、一番いいものに違いないと思う」
朝ドラでも使われた、『赤毛のアン』の一節を思いながら歩く。そんな私の目に飛び込んできたのは、ブロンズ色の朴正煕(パク・チョンヒ=1963年~79年に韓国大統領)の銅像だった。彼の表情が確認できる距離まで近づくと、私のロマンチックな妄想はバリバリと打ち砕かれた。
韓国の慶尚北道にある亀尾(グミ)という市は、朴正煕の生家があったことで知られている。人口は約42万人。大邱(テグ)市にほど近く、東レの子会社など日系企業の工場も進出している。現在、朴正煕の生家は復元され一般に公開されているが、その敷地に銅像がドンとそびえ立っているのだ。
2016年、崔順実(チェ・スンシル)という民間人を国政に介入させたことによる「崔順実ゲート事件」から沸き上がったろうそくデモを経て、朴槿恵前大統領は罷免された。そして新しい大統領が選ばれようとしている今、朴槿恵とその父・朴正煕を支持し続けてきた「地元の空気」はどうなっているのか。それを知りたくて韓国大統領選挙2日前になる今年(2017年)5月7日、この地を訪れた。夕方だったこともあり客はまばらだった。それでも派手な登山系ジャンパーを着たマダム2人組が、銅像を前に自撮りに励んでいた。
私が「撮影しますよ」と話しかけ、あさっては誰に投票するのかとさりげなく質問すると、すぐに「洪準杓(ホン・ジュンピョ)」という声が返ってきた。 洪準杓は朴槿恵が所属していた、旧セヌリ党の流れをくむ自由韓国党の候補者だ。
続けて、「大邱=馬山間高速道路竣工」など、敷地の別の場所にある朴正煕の功績について書かれたパネルを眺めていた、70代と思しき男性にも話しかけてみる。やはり彼も「洪準杓」と答えた。そしてこう続けた。
「朴正煕のおかげで、韓国は豊かになったんだ。朴正煕がいなければ今頃、北韓(北朝鮮の韓国での呼び名)以下の国だったろう。ドイツが金を貸してくれたから経済が成長して、セマウル(新しい村づくりの意)運動でその金を返すことができたんだ。なのに盧武鉉(ノ・ムヒョン=2003年~08年に第16代韓国大統領)や金大中(キム・デジュン=1998年~2003年に第15代韓国大統領)は北韓に金を渡して、いいように使われてしまって!」
朴正煕の亡霊は生きている。
朴正煕の娘である朴槿恵が大統領となった2013年から16年までの韓国を注目し取材していた私は、ずっとそう考えていた。12年12月の選挙で大統領に当選した娘の朴槿恵は、彼ら彼女らのような「朴サモ」(朴槿恵を熱烈に愛する人たち)に支持されてきた。しかし朴サモは朴槿恵その人ではなく、“朴正煕の娘”を見ていたのではないか。だからた「崔順実ゲート事件」が起きてもまだ、朴家への思慕をやめないでいる。自由韓国党(旧セヌリ党)の大統領候補者の、洪準杓を迷いなく支持するのではないか。
個人的には理解の範疇を超えていた。帰りがてら並木道の両脇に置かれた、「輸出100億ドル達成」「ソウル―釜山高速道路開通」「韓日国交正常化」などと書かれた、これまた朴正煕の功績を刻んだ石碑を眺めるうちに、おかしささえこみあげてきた。
「ヘル朝鮮」(地獄のような朝鮮)を変えたいし、私たちも変わりたい
この数時間前、私は釜山(プサン)にある、韓国大統領選の有力候補(当時)で、〈共に民主党〉の文在寅(ムン・ジェイン)キャンプ(選挙事務所)を訪ねていた。免税店やデパート、飲食店などが並び、連日観光客や地元の若者で賑わう西面(ソミョン)地区の10階建てビルの、8階にキャンプはあった。フロア中央には椅子とテーブルが置かれ、集会スペースになっていた。その一角を陣取る無料軽食コーナーのシルトッ(餅の一種)に手を伸ばす私の前を、せわしなく人々が通り過ぎていく。どの人も表情に、余裕と自信があるように感じられた。同時に、若者が多い印象だった。
「2012年の選挙も負けないと思っていたのに、考え直してみると応援組織が弱かったのかもしれない。人々の支持も足りなかった。でも今は組織を新しく作り直したし、国会議員には(文在寅が所属する)〈共に民主党〉の人が増えました。だから圧倒的に勝っている状況です」
SNS対策チームの、キム・ミンウさんは言った。彼女はツイッターで彼女の1万人以上のフォロワーに対して、文在寅候補(当時)の情報を発信していた。彼女と一緒にいた20代のキャンプボランティアたちに、「なぜ文在寅を支持するのか」と質問した。
「国民とコミュニケーションをとろうとしているし、人権弁護士として活躍してきた彼にはカリスマ性がある」
「上から押し付けるのではなく、皆で韓国を変えていこうという姿勢に新しいリーダーシップを感じるから」
など、次々に声が上がった。韓国での若者の生きづらさを表す「ヘル朝鮮」という言葉があるが、ミンウさんによると「これが国かよ!」という叫びのニュアンスもこめられているという。
まさに「ヘル朝鮮」時代だった、朴槿恵政権の4年間(2013~16年)とは何だったのか。
多くの人に悲しみと衝撃を与えたのは、なんと言っても大人が子供を守らなかった、2014年のセウォル号事件(韓国南西部の珍島沖にて豪華客船が沈没し、不適切な避難誘導で死者・行方不明者が300人を超えた事件)だろう。15年6月にはMERS(中東呼吸器症候群)騒動が起き、当時忠清南道に短期留学をしていた私には、大学から週末のたびに、外出禁止令が言い渡された。そして極めつきは、16年に発覚した崔順実ゲート事件だ。
「これが国かよ!」
と彼ら彼女らが叫びたくなるのは無理もない。亀尾の中高年はさておき、若者の間からは「こんなヘルな国を変えたいし、自分たちも変わりたい」という気持ちが痛いほど伝わってきた。
2日後の大統領選挙は、確かに文在寅が勝利を収めた。20時の投票締め切り直後に各放送局が当選確実を打つほどの圧勝だった。今回の選挙は投票率77.2%(前回75.8%)で、過去20年の間で最高となった。また期日前投票に参加したうちの約24%が20代で、他の世代よりも高かったという。しかし20代の投票率を見てみると、30~40代よりも文在寅支持は低く、劉承旼(ユ・スンミン=セヌリ党から離脱し、「真の保守」を謳う〈正しい政党〉の大統領候補者)や沈相奵(シム・サンジョン=LGBTなどマイノリティへの差別撤廃に積極的な、〈正義党〉大統領候補者)への票も集まっていた。とはいえ、いくら亀尾の中高年が洪準杓に投票しようとも、亡霊が生き返ることはなかったのだ。
21時30分頃、文在寅は自身のツイッターに「光化門、11時、一緒にしましょう」と書き込んだ。広場に向かうとスピーチを終えた文在寅に、党の予備選で戦って敗れた安熙正(アン・ヒジョン)忠清南道知事が、思いっきりハグとキスをしていた(ちなみにこの様子は韓国の作家が中年&壮年BL風イラストにし、安熙正知事はそれを後日、フェイスブックのウォールに転載している)。2012年12月の選挙とは明らかに違うノリを、私も言葉が追いつかないながらも実感していた。きっと朴槿恵には崔順実ですら、市民の前でハグ&キスするなんてできなかっただろう。
人々は普通の人を、大統領に選んだ
翌5月10日、日本語版大統領選挙情報サイト『韓国大統領選挙2017』(http://kankoku2017.jp/)の徐台教(ソ・テギョ)編集長に、選挙をどう見ていたのかを質問してみた。「……こんなに楽に文在寅が勝つとは予想していませんでした。4月に他候補との支持率が拮抗したときはひっくり返る可能性もあったし、やはり前回も出馬した、中道を標榜する安哲秀(アン・チョルス)氏は今回きちんと政策を打ち出していたし。彼のほうが年齢も9つ若かったから、もう少し支持が集まるかと思いましたが……。それにしても政治資金法違反で起訴され、二審で無罪となるも最高裁(大法院)の判決を待つ洪準杓氏が、2位となったのは驚きでした」
徐さんによると、韓国は北朝鮮と38度線で分断されているゆえ、中道という意識が育たないのだという。