海外の国や地域を専門にする著述業のなかで、私のような「中国ライター」はちょっと特殊だ。理由は「その国の話題だけ書いていても(ひとまず)専業で生活が成り立つ」からである。仮にこれが、タイやインドの専門ならかなり難しい。それどころか、物価の差を考えればアメリカやEUが専門の場合ですら大変かもしれない。
日本で専業中国ライターの暮らしがひとまず成り立つ理由は、世間における中国の話題の需要が圧倒的に高いからである(同じ中華圏の台湾や香港も含めるとさらに増える)。現在、メディアで中国の話題が出ない日はほぼない。すくなくとも今世紀に入って以降、中国は日本人にとっていちばん強い関心を持たれている外国なのだ。
ただ、関心の強さが「理解」につながっているかというと別問題だ。中国の体制に問題が多いことは確かにせよ、メディアの報道はステレオタイプに流れがちである。特に週刊誌や民放の政治ワイドショーなどの商業色が強い媒体の場合、情報の受け手の知識の範囲内でものを伝えなくてはいけない制約もあって、顧客(=日本の一般人)の先入観に合致する情報を繰り返し強調して伝える傾向がどうしても強くなる。
たとえば、現在30代以上の日本人には、中国の負のイメージとして、2011年の温州列車衝突脱線事故を想起する人がいまだに多い。これは公式発表で40人が死亡した大事故で、当局側が事故車両を現場の高架下に埋めたエピソードも有名だ。
だが、実は中国ではその後も、2015年の長江フェリー沈没事故(442人死亡)や天津市倉庫爆発事故(165人死亡)、2022年の中国東方航空墜落事故(132人死亡)など、よりインパクトの強い事故がいくつも起きている。だが、これらを現在でも覚えている日本人はほとんどいないはずである。
その理由は、温州列車事故が海外メディアの報道規制が比較的弱かった胡錦濤時代に起きたことで、日本国内での報道が非常に加熱したいっぽう、後の3事故は習近平体制下での取材の制約を受けて、日本での報道が盛り上がらなかったためである。日本社会で知られる中国のイメージが、「日本側の報道」にかなり強く規定されていることがわかる話だろう。
ピントがずれた「流行語」
そのため、日本のメディアやその影響を受けたSNS世論では、中国の話題について、ある時期ごとに定型化された決まり文句が持ち出され、流行が終わって数年経つと誰も覚えていないという現象が繰り返される。
一昔前の中国崩壊論や2019年の周庭さん(香港デモそれ自体ではなく「周庭さん」である)、一昨年末ごろからは台湾有事などのトピックが代表的だ。他にSNS限定で、毎年初夏の豪雨の時期に必ず持ち出される「三峡ダムは決壊寸前」という話題もある。
これらの「流行語」はいずれも、リスクの大きさが実際は限定的だったり、実はその問題(たとえば香港デモ)を理解するうえではあまり主要な人物ではなかったりと、現実の中国問題とはややピントがズレた話になりがちな点に特徴がある。
そのため、メディアの商業的な理由に拘束されない立場のプロたち(研究者や経済アナリストなど)や、日本の報道のトレンドに必ずしも合致しなくても現地の事情を伝えるタイプのライターやジャーナリストは、中国を理解するうえでは貴重な存在だ。日本の対外貿易は中国への依存度が高く、加えて近年の中国は軍事やインテリジェンスの面での脅威度が上がっている国でもあるため、粗雑な「流行語」に流されない中国情報の価値は高い。
ところが、実はこうした「中国がわかっている人」たちの情報発信が、近年になり危機に瀕している。理由はさまざまな要因を背景とする、日本と中国の人的交流の縮小だ。
現地に行かなければ「イヤな国」になる
まず、2020年のコロナ禍以降、中国側が日本人の渡航にビザ取得を義務づけたことをはじめとした諸々の理由によって、中国に渡航する日本人が大きく減った。愛国イデオロギーの暴走が背景とみられる日本人児童への襲撃が相次いでいることもあり、中国に駐在するリスクも過去になく上がっている。
加えて、日本人ビジネスマンの拘束が報じられたことや、国家安全部が中国経済の問題点の批判すら封じ込める動きを見せたことで、ジャーナリストはもちろん研究者や経済アナリストでも、中国渡航に慎重になる動きが広がった。これまで中国に(「従属する」以外の形で)近しい立場にいた人ほど、中国に近づきにくくなっているのだ。
私自身の経験から述べれば、中国は現地に行かなければ行かないほどイヤになる国である。習近平政権下で、中国社会の全体に「政治」の匂いが強くなった近年はなおさらだ。
いくらネットが発達しても、私たちが中国国外から得られる中国語の現地情報は、中国政府側の「正能量」な(政治的に正しい)ニュースか、もしくは西側のRFA(自由アジア放送)やBBCが報じる厳しい対中論調の記事のどちらかだ。いっぽう、ネットで中国の一般人の投稿を見ると、政治的に敏感な話には大量の「水軍」(ネット工作員)の批判的リプライで荒らされていたり、すぐに削除されていたりしてうんざりする。いっぽう、中国側のショート動画サイトなどでは、「流量」(インプレッション)を稼ぐ目的で反日ネタを発信する人も多い。
本来、外から見るこうした「イヤな中国」のイメージを修復してくれるのが、実際に渡航して自分が直接触れる現実の中国だ。もちろん、それはそれで別種のイヤなこともたくさんあるが、なんだかんだで憎めないと感じてしまうことが多い。
現地で旧友に会ったり美味いものを食べたり、具体的には形容しがたいが中国特有のスケールがでかい感じの人や物を見たりすることで、文字や映像では伝わらない中国と向き合えるからだ。
現在、そのチャンネルが狭まったことで失われたものは大きい。周囲を観察する限りでも、かつては比較的穏健なスタンスだった研究者やジャーナリストが、香港デモやコロナ禍を境に従来の一線を越えた強硬姿勢を示す例がかなり増えた。これも、現地渡航のハードルが上がったことと無縁ではないだろう。
「カッコいい中国古典世界」と「ヤバい現代中国」
そこで、政治的にイヤな面とは別の角度から中国に迫れないか。もしくは、本来は政治色のないトピックを深掘りすることで、政治的な中国を相対化できないか──。
中国に行きづらくなった「中国屋」の一人である私の場合、最近はこういう角度の書籍を多く書くようになった。恐竜のトピックから中国を描いた『恐竜大陸 中国』(角川新書、2024年6月刊)や、中国史を切り口に現代中国を読み解こうとした『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書、2024年9月刊)は、まさにそういう本だ。
恐竜はファン向けの話としても、「中国史」は現代中国を誤解なく理解するうえでは間違いなく重要なファクターである。だが、これは現代中国が専門のジャーナリストや研究者などの「中国がわかっている人」の間でも、意外と知識のエアポケットになっている分野だ。
そもそも、現代の日本は直近の世論調査(内閣府「外交に関する世論調査」2023年9月)で「中国に親しみを感じない」と回答した人が86.7%に達するいっぽう、2024年夏に『キングダム 大将軍の帰還』が興行成績75億円、約513万人を動員するという、不思議な現象が起きている国である。
つまり、世論はとことん「中国ぎらい」のはずなのに、日本人俳優が古代中国人を演じた映画が大ヒットを記録するという、大いなる矛盾が発生しているのだ。