不適格教員の排除としては無意味
教員免許更新制とは、これまで無期限だった教員免許に10年間の有効期限を設け、更新の条件として教員に講習を課すというものだ。しかし、この免許更新制にダメ教師を淘汰(とうた)する効果はない。そのことを説明しよう。「指導力不足教員の認定」という制度がすでにあって、ここに教員免許更新制を追加しても、免許更新制はまったくの空振りになるのである。「指導力不足教員の認定」は、校長の申請によって各地の教育委員会が教師として力量不足の教員を判定し、研修させ、場合によっては辞めさせることのできる制度である。2000年ごろから機能している。
指導力不足教員の認定は難しい。校長とソリが合わなかっただけという場合もあるだろう。指導力不足の判定は、医師や弁護士などを含む判定委員会が行っている。判定が下っても、まず研修を受けて職場復帰をはかり、それでも改善されない場合に配置転換や免職をするということになっている。これだけの仕組みを作っても、不当であるという訴訟がいくつも起きている。
いっぽう、教員免許更新には毎年10万人近くがやって来る。これだけの数をこなして、かつ「あなたの更新はできません」と合理的・客観的に言えるだけの判定方法が存在するだろうか。更新講習の修了成績で「あなたはもう教壇には立てません」とやったら、たちまち各自治体は不服申し立てと訴訟頻発でパンクするだろう。
不適格教員がいたとして、教員免許の更新拒否によって排除しようとすることも無意味である。それでは、更新時まで最長で10年も待たなければならないではないか。
けっきょく、免許更新制は、すでに教壇に立てなくなった者に追い打ちをかける効果しかない。しかし、法に抜け穴があるので、その効果すら怪しい。現在、教員免許を持っており教職に就いていない、いわゆるペーパーティーチャーを救済するために、免許の失効は現職教員にしか適用されない。だから、免許を取り上げられそうになったら、先に退職してしまえばいいのである。
教員資質向上ならもっとやり方がある
教員免許更新制には、不適格教員を排除する効果がない。そのことを文部科学省や中央教育審議会はよく知っていた。だから、免許更新制を導入する理由は、「最新の知識・技能を身に付ける」ためとなっている。つまり、免許更新制の実態は、現職教員の必修講習なのである。これにはいくつも問題がある。5点ほど挙げよう。(1)この講習は、はじめから現職教員のための研修として設計すればよいことだった。実際、講習を受けられるのは現職教員と採用予定者に絞ってある。免許更新と連動させたために、膨大な数のペーパーティーチャーに無用の不利益を与えたし、文科省と教育委員会は煩雑な事務処理を抱え込んだ。
(2)すでにある研修制度と重複する。初任者研修も10年研修もすでに行われている。各教育委員会はいろいろな研修を用意している。
(3)講習がほんとうに教員の資質向上に役立つのか疑わしい。そもそも、有効な講習が開発されたからこの制度を作ったのではない。更新講習制度を決めてから内容を考えている。
(4)最新の知識・技能を身に付けるための講習なら、校長・教頭など管理職が率先して吸収しなければ意味がない。それなのに、管理職を講習から除外している。
(5)教員が疲弊する。実質は現職教員に課される必修講習であるのに、個人の免許更新だとして、給料は支払われず、時間は休日を潰さなければならない。しかも受講料3万円は自己負担。
安倍内閣と教育再生会議の拙速
では、なぜ、このように無意味な制度ができたのか。それは政治的妥協のためである。重要なことは、「教員の資質向上のために、免許更新制とからめて講習を受けさせよう」とはじめから推進したところは、どこにもないことである。免許更新制を推進した人たちは、不適格教員の排除がやりたかったのである。それに抵抗した文科省が、資質リニューアルのための免許更新制へとそらしたためにできた制度である 。
文科省は、もともと免許更新制導入に否定的であった。02年に出た中教審答申は、「不適格教員の排除には役立たない。教員の資質向上なら教員養成と研修の問題」と言った。
ところが自由民主党文教族は、不適格教員を辞めさせる手段があれもこれもほしい。04年に中山成彬文科大臣が免許を更新制にするよう影響を及ぼした。中教審は妥協し、06年の答申で「教員の資質向上としてならいいでしょう」と言った。
安倍晋三内閣は06年10月に教育再生会議を設置し、教育改革の目玉商品を作りたかった。教育再生会議は、教員を審査できる免許更新制を目指した。それに対して文科省は換骨奪胎をはかる。そんなことをしたら教員の人事管理は大混乱するからである。そして07年にでき上がったのが「資質向上のための更新制」であった。
安倍内閣の拙速だと思う。もしも、いったん実務者レベルに落としてゆっくり調べたら、この免許更新制は予算の無駄遣いであることが、浮かび上がっただろう。
国と地方の二重権力こそが問題
教育は形式的には地方自治になっているが、国の法令や指導が多いため、実質は二重権力状態になっている。それを利用して国会議員たちが、文科省経由で全国的に教育に影響を及ぼしたがる。国会議員本人たちは理想と正義に燃えているが、実際に起こっているのは指揮系統の混乱であり、無責任体制の助長である。免許更新制に対して、教員たちは従うしかない。受けるしかしょうがない講習ならば、退屈なものであっても、なんらかの意味を見つけたほうが得だ。いっぽう更新制を運営する行政や大学の関係者は、自分のしていることが無意味だとは考えたくないだろう。講習を受ける側も実施する側も、免許更新制は「効果がある」という理由をたくさん見つけることだろう。
公務員世界では、いったん法令ができると、意味を問われずに慣習となっていくものである。
教育改革をほんとうにやろうとするなら、地方分権と学校自治を確立し、住民に対して責任をとる体制をきちんと作ることから始めるべきである。
中央教育審議会(中教審)
1952年に設置された文部大臣(当時)の諮問機関。2001年の中央省庁再編により文部科学省に引き継がれた。教育・学術・文化に関する施策について調査・審議し、文部科学大臣に建議する。文科省の重要な施策は、かならず中教審を通した上で出される。
教育再生会議
安倍晋三首相が掲げた教育再生を推進するため、2006年10月、閣議決定により内閣に新設された首相の諮問機関。学力向上、規範意識向上、責任体制確立などによって教育を改革しようとした。中央教育審議会との二重構造ができ、複雑な政策決定経路を現出させた。安倍内閣退陣に伴い失速して、08年1月に最終報告書を提出して解散。同年2月の閣議決定に基づき、福田康夫首相がより穏健な「教育再生懇談会」を設置した。