「武漢」をあえて強調する人たち
閉じられた店のシャッターには、臨時休業を知らせる貼り紙があった。
「武漢風邪で暫くお休みします」
東京都内の喫茶店。特に贔屓(ひいき)にしていたわけではないが、駅前の便利な場所にあるので何度か足を運んだことのある店だった。
「武漢風邪」の文字が網膜に焼き付いて離れない。
ああ、そうだったのか。あなたも、そうだったのか。
香ばしいコーヒーの匂いも、クラシカルな内装も、寡黙で誠実そうな店主の顔も、すべてが色あせた記憶として流れ去っていく。冷めきったコーヒーを出されたときのように、気持ちが妙にザラついた。
なぜにわざわざ人口に膾炙(かいしゃ)したわけでもない「武漢風邪」を用いなければならないのか。あえてそうすることで、差別や偏見を喚起したかったのか。それが社会に亀裂をもたらすものだという想像力もないのか。
”非常時”とされるときこそ、日ごろから何を見てきたのか、どこに視線を向けていたのかが浮き彫りとなる。残念ながらこの店でコーヒーをいただくことは二度とないだろう。店が差別を煽るのであれば、客も店を選ぶ権利がある。
世界保健機関(WHO)がウイルスの呼称に国名や地名などを付けることは避けるといったガイドラインを定めたのは2015年のことだ。特定の地域や民族に対する攻撃、差別や偏見の助長を防ぐことが第一の目的である。さらには疾患名が疾患に対する理解をミスリードすることをも考慮している。地域名を用いることで、感染地域が限定的なものだと誤解される可能性も否定できない。
だが、それに挑むように、拒むように「武漢」を強調する者たちが後を絶たない。
「武漢風邪」「武漢肺炎」「武漢ウイルス」「武漢熱」。”敵は武漢にあり”とでも言いたげな物言いが、耳目に飛び込んでくる。
商店だけではない。麻生太郎財務相は3月10日の参議院財政金融委員会で「新型とか付いているが、『武漢ウイルス』が正確な名前なんだと思う」と発言。他にも「武漢ウイルス」を呼称する国会議員、地方議員が相次いだ。
こうした物言いが、主に保守派を自認する人々、あるいは排外的な傾向の強い人々の口から発せられているところに、医学とは無関係な文脈が透けて見える。
コロナ禍の以前から抱えていたであろう「反中国」の感情だ。
「志村けんは中国人に殺された」
それが差別の第一波だった。
誤解しないでほしい。疫病の初期対応や情報公開などに関して、中国を批判することに異を唱えているわけではない。そもそも取材をめぐって中国での拘束歴を持つ私は、同国政府や政治体制に対していかなる肩入れをする理由もない。
しかし、特定の事象を一般化し、その国に住む人々、そこにルーツを持つ人々に憎悪を向けることは間違っている。差別や偏見を煽る行為は絶対に許されない。
たとえば、新型コロナ肺炎の国内感染者が初めて確認された今年(2020年)1月以降、日本社会では、中国人に対する様々な差別案件が各地で報告されている。
「中国人入店禁止」の張り紙が掲示された飲食店や土産物店が相次いだ。
逆に”攻撃”される店もある。横浜・中華街の複数の中華料理店には「中国人はゴミだ! 細菌だ! 悪魔だ! 早く日本から出ていけ!!」と書かれた手紙が届いた。
愛知県では、クルーズ船のウイルス感染者を藤田医科大岡崎医療センターが受け入れた際、「外国人に税金を使うな」「中国人を追い返せ」といった抗議電話が相次いだことを大村秀章知事が明かしている。
日ごろから外国人排斥を訴えている差別者団体は、コロナ禍に便乗したヘイトデモを東京・銀座で実施した。参加者らは中国人の蔑称である「シナ人」を連呼しながら「日本に流入させるな」と叫んだ。
コメディアンの志村けんさんが新型コロナに感染し、亡くなった直後には「中国人に殺された」「日本にいる中国人は国に帰れ」といった書き込みがネット上であふれた。
コロナ禍は、もともと日本社会に溶け込んでいた差別と偏見を、”非常時レイシズム”ともいうべき、よりわかりやすい形で表出させたといえよう。
当初、中国人に限定されていたかのように見えた”コロナ便乗ヘイト”は、次第に日本在住のすべての外国人をターゲットとするようになった。
3月末、自民党・小野田紀美参院議員は生活支援の給付金に関して、ツイッターで「マイナンバーは住民票を持つ外国人も持ってますので、マイナンバー保持=給付は問題が生じます」と書き込んだ(注)。給付対象からの外国人排除を訴えた発言としか読み取ることができない(真意を聞きたく同議員事務所に取材の申し込みをしたが、現在までのところ返答はない)。
ネット上ではこれに同調し、「外国人を支給対象から外せ」といった書き込みも少なくなかった。
結局、外国人(外国籍住民)という属性だけで給付対象から外されることにはならなかったが、それでもすべての外国人が給付金を利用できたわけではない。
「10万円(の給付金)? 私にはムリ。もらえない」
取材で出会ったネパール人の男性(31歳、群馬県在住)はため息交じりにそう答えた。難民申請中の彼は、4月末に、コロナによる生産減で自動車部品工場の仕事を失った。給付金の支給対象は、住民基本台帳の登録者に限定される。つまり住民票を持っていない難民申請者、仮放免者、あるいは職場とのトラブルなどでオーバーステイになった元技能実習生などは給付金を利用することができないのだ。
彼はいま、友人の家に身を寄せながら、地域の支援団体が提供するわずかな米と缶詰だけで生き延びている。
そう、制度から「外された」人が日本には数万単位で存在するのだ。
「浅ましい」のはいったい誰なのか
排他の空気が日本社会から色彩を奪う。
今春、埼玉朝鮮初中級学校幼稚部(園児41人、さいたま市)を襲ったのは電話やメールによるヘイトスピーチの嵐である。
「国に帰れ」「日本人と同じ権利と保護があると思っているのか」──。
怒声に脅え、電話の受話器を手に取ることのできない職員もいたという
きっかけは「マスク配布問題」だった。
3月上旬、さいたま市はウイルス感染防止策として市内の幼稚園や保育園、放課後児童クラブに備蓄マスクを配布することを決めた。ところが、市は「直接に指導監督する施設ではない」ことを理由に、朝鮮学校を配布対象から外した。
当然、同園側はそれに抗議したが、それに対し市の担当者は、配布マスクが転売される可能性を示唆したのである。
なんということか。国籍や人種にかかわらず、地域で暮らすすべての人の命と健康を守ることが地方公共団体の責務ではないか。さいたま市は、行政としての責任を放棄したことになる。
「子どもの命の線引きをされたような気持ちになった」
私の取材にそう答えたのは同園・朴洋子園長だ。
「私たちは何が何でもマスクを寄越せと言いたかったわけではありません。朝鮮学校の園児たちも同じように扱ってほしかっただけなんです」(同)
この件は新聞などでも大きく報じられ、市に対しての抗議も相次いだ。
(注)
https://twitter.com/onoda_kimi/status/1244619519944867841