2021年2月、東京オリンピック・パラリンピックの開催をひかえたこの時期に、大会組織委員会会長の森喜朗氏が辞任した。原因は、女性差別発言。この「事件」をどう考えるのか、政治とジェンダーの専門家、三浦まりさんに聞いた。
見えてきた「意思決定の闇」
森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会前会長の女性差別発言は、日本社会の性差別にまつわるさまざまな問題を、一気に可視化させるものだったと思います。
一つは、あの発言が重大な性差別だとわかっていない人が、森さん本人以外にもかなりの数いたことです。もちろん、まったく問題のない発言だと思っていた人は少数でしょうが、「そこまで騒ぐことか」「謝罪して撤回すればすむだろう」と思っている人はおそらく結構いたのではないでしょうか。森さんの周囲の人たちにしても、当初は辞任を求めることもなく容認していたわけですよね。こういう発言がひどい性差別だという認識を、社会全体にさらに広げていく必要性があると感じました。
そしてもう一つ可視化されたのが、日本社会の「意思決定の闇」です。重要な意思決定の過程から女性が排除されているというだけではありません。森さんが辞任することになった後に、元日本サッカー協会会長の川淵三郎さんを後継に指名したことに象徴されるように、重要なことをすべて密室の中で決定し、一度権力の座についた人は極めて長期間にわたって力を持ち続ける。それどころか、その職を退いてもなお院政のように権力を行使できるという、「密室政治」。そうした非常に醜悪な日本の権力構造が見えてきたというのが、今回の一件の本質だったと思います。
他方で、それに対する抗議の声があれほどまでに大きくなったことも、一つの「事件」ではなかったでしょうか。発言から辞任まで9日間、その間に多くの人たちが、さまざまな手段で怒りの声をあげました。五輪の組織委員会や東京都に抗議の電話をかけた人もいれば、組織委員会の建物前での抗議集会に参加し、プラカードを掲げた人もいた。インターネット上でも辞任を求める署名がいくつも呼びかけられ、15万筆近く集まったものもありました。また、通常なら政治的な発言を控えるであろうアスリートや芸能人の中にも、「不適切な発言だ」と明言したり、聖火ランナーを辞退したりといったかたちで抗議の意を示した人たちがいました。また、オリンピックのスポンサー企業も対応を迫られました。
つまり、常日頃からこうした抗議行動に参加している、いわば差別に敏感な人たちだけではなくて、きわめて広範に抗議の声が噴出し、社会全体が沸き上がった。その結果、市民社会が森さんを辞任に追い込んだわけです。これまでいくつもの性差別発言が社会的に高位につく人からなされてきましたが、かたちばかりの謝罪ですまされてきました。今回は辞任というかたちで責任を取らせることができた点で画期となる事件でした。新しい規範が形成されたといっていいでしょう。今後の日本社会にとって大きな意味を持つのではないかと考えています。
ただ、ここで気をつけないといけないのは、なぜあの発言が問題だったのかという認識です。男女を区別したことがよくなかったとか、女性の話は長いという根拠のない偏見を述べたことが問題だととらえるのでは不十分です。女性を意思決定の場に増やす、また女性がその場で発言する、そのことの意義を毀損し、女性に沈黙を強いる効果を持ったことが問題だったのです。女性が男性と対等に参画することを阻害する効果を持ったという意味で、性差別発言だったのです。
ちなみに、後任に女性が選ばれたことについては、よかったと思いますし、それ以外の選択肢はなかったと思います。川淵さんが辞退を表明した後、一部では「次の委員長には女性を選ぶべきだ」という声があった一方、「男女を問わず適任者を選ぶべきであって、女性に限定するのは逆差別だ」といった声も聞かれました。
組織のトップとしての資質に男女は関係ないというのは、一面ではそのとおりです。しかし他方で、性差別が現実にあることがこれだけ注目されているタイミングで、影響力のあるポジションに女性がつくということの意味は大きい。「女性が選ばれた」というだけで、組織として前進しようとしているというメッセージを出すことができるのです。逆に言うと、そうしたメッセージを出せない男性を選ぶのであれば、女性を選ぶ場合より高い能力が求められるのが当然ではないでしょうか。
後任に選ばれた橋本聖子さんについては、過去のセクハラ問題が取り沙汰されました。女性だからといってセクハラの加害をしないわけではないということが改めて確認できます。セクハラ防止はスポーツ界にとっての喫緊の課題です。橋本さんにその課題を解決することができるのかが、厳しく問われています。残念ながら現時点では、セクハラを容認する人たちに取り囲まれているせいなのか、過去の反省も十分ではありません。そうなると、今後のセクハラ防止に対する取り組みにもあまり期待できないのではないかと思います。
それでも、「潮目」は変わりつつある
世界では政治の場でも女性リーダーの活躍が当たり前になっていることを考えると、日本の現状はあまりにも遅れている。世界から少なくとも20年は遅れを取っていると言わざるを得ません。それでも、ここ1~2年で「潮目」が変わってきたと感じています。政府や企業からも「変えないといけない」という意識を感じるようになりました。
直接のきっかけは、2019年12月に発表された世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本が153ヵ国中121位と、前年からさらに11位も順位を下げたことです。その衝撃で、さすがに「見ないふり」はもうできない、という空気ができてきたのだと思います。
女性差別発言
2021年2月3日、元総理大臣・森喜朗氏は、JOC(日本オリンピック委員会)の臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困ると言っておられた。だれが言ったとは言わないが」などと発言。さらに、「組織委員会に女性は7人くらいおりますが、みなさん、わきまえておられて」とも話した。
イノベーション
「新結合」「新機軸」「新しい切り口」などの意。