人との距離をはかるのが苦手で、近づきたいのに気後れして動けないことがある。それは時に、人以外でも起こる。たとえば京都府宇治市のウトロ地区のことは、以前からずっと気になっていた。在日韓国・朝鮮人の集住地域のウトロは、かつては差別の象徴として知られていた。一方で戦後すぐに朝鮮人学校ができるなど、在日の歴史とともに歩んできた町でもあった。そんなウトロを自分の目で見て、知りたいと以前から思っていた。だが地縁も血縁もないからと、遠くから眺めるにとどまっていた。しかし2021年8月30日、私をウトロに向かわせる事件が起きた。
この日の京都府内は、35度の猛暑日だった。暑さがひと段落しはじめた午後4時過ぎ、倉庫になっていた木造家屋から、突然火の手があがった。火は瞬く間に、周辺に燃え広がった。奈良県から来た、当時22歳の男性による放火だった。彼は木造家屋の床板の上に用意してきたキッチンペーパーを差し込み、ライターオイルを撒いて点火した。
最初に火をつけられたこの木造家屋は、ウトロ町内会会長で取材当時61歳だった山本源晙(もとあき)さんが、生まれてから10歳まで住んでいた家だった。
(山本源晙さん)
「あの家に住んでいた頃は、年上も年下もなしにみんな仲間で、いつも一緒にいて遊んでいて。周りに身内もたくさんいたので、どこかの家で焼き肉をやってたら『入って一緒に食べていきー』と言われたりね。そんな思い出がありますね」
山本さんの育った家を含めて、計7棟が全半焼した。半焼した2軒は人が住んでいる家だった。たまたま住民は留守だったので人的被害はなかったが、うち1軒の飼い犬が、放火直後に亡くなっている。
2022年4月にウトロに開館した地域の歴史を伝えるウトロ平和祈念館の館長、田川明子さんはその日自宅にいて、ニュースで放火を知った。
(田川明子さん)
「……なんて言うかな、震えがくるっていうか。何気なく見たニュースで、目の中に飛び込んできた風景が馴染みのある場所で、そこに炎と黒い煙がモウモウとあがっていて。『一体何が起こったのか』って、本当にわからなかったです。あの一帯はね、とても強い西日の差すところなんですよ。あの日は暑かったですから、何かの自然発火かなと。放火とは思いませんでした。いや、『失火であってくれたらいいな』と思いました。でも放火だったと聞いて」
犯人が逮捕されたのは、約3か月後の12月6日。7月に愛知県名古屋市内にある在日本大韓民国民団(民団)や名古屋韓国学校に火をつけ、雨どいや壁などを焼失させた器物損壊の疑いで愛知県警に逮捕され、11月には既に起訴されている。被告人勾留となったその後の取り調べの過程で、彼がウトロにも放火したことがわかったのだ。
「韓国・朝鮮人に敵対感情があった」
私が初めてウトロを訪れたのは、放火から7か月が過ぎた2022年4月初旬だった。
近鉄京都線の伊勢田駅から約10分歩くと、整備されたばかりの道と、5階建ての団地が見えた。その団地を眺めながら、古い家が並ぶ方に向かう。
ドンドンドドン……。
太鼓の音が響いている。チャンゴ(朝鮮半島の打楽器)の練習をしているのだろうか。「南山城同胞生活相談センター」(以下、センター)と書かれた建物に入り挨拶すると、金秀煥(キム・スファン)さんが迎えてくれた。秀煥さんは4月30日にオープン予定の、ウトロ平和祈念館の準備に追われていると笑った。祈念館についての話をしていると、ふと秀煥さんは「放火によって、展示予定だった看板が40枚も焼け落ちた」と口にした。
2022年6月7日に行われた第2回ウトロ放火事件の公判で、被告となった青年は、コロナワクチン接種を巡ってトラブルとなり、離職を余儀なくされ、その後困窮していたことを明かした。そんな時に「医療にアクセスできない日本人もいるのに、外国人を優先するような」オリンピックが開催された。そこで「国民の問題に目を向けて欲しい」という思いでまず名古屋の施設に放火し、奈良の民団関係施設にも火をつけようとしたと供述した(奈良の事案では不起訴処分)。
被告が言うところの「国民の問題」とは何なのか。彼はヘイトスピーチなどを「必要以上に社会が大きく取り上げること」に対して反感を持っていたという。その上で「(放火は)いわゆる不法占拠をされていた方や、慰安婦像設置に関与していたと思われる方に対する抗議」だったとも語った。
自分が不遇な目に遭っているのに、なぜ外国籍者が優遇されているのか。そんな妄想を大きな主語にすり替えてゼノフォビア(外国人憎悪)を煽るのは、排外主義者が得意としてきた手法だ。選挙権を持てず、1982年の難民条約発効まで国民年金にも加入できなかった在日韓国・朝鮮人が、マジョリティより優遇されているはずはない。だが彼はネットに転がる「在日が優遇されている」というデマを鵜呑みにし、火をつけた。
ニュースになれば多くの人が、「僕の問題意識」に気付いてくれるはず。そんな独善的な思いは当然無視され、ネットでバズることはなかった。焦燥感を抱いた彼は、以前目にしたウトロ平和祈念館設立についての、ネット記事を再読する。そこにあった「不法占拠」の文字が気になり始めて10日もしないうちに、オイルとライターを携えてウトロを目指した。
〈日本に在住している、していないにかかわらず韓国・朝鮮人に敵対感情があった〉
指紋押捺問題
外国人登録法(1952年施行、2012年廃止)により、日本政府は、日本に1年以上滞在する16歳以上の外国人が登録証明書の申請をする際に、指紋押捺を義務付けていた。1980年代になると、人権侵害だとして全国で指紋押捺拒否の運動が広がったが、拒否には1年以下の懲役もしくは禁固、または20万円以下の罰金といった刑事罰が科されていた。93年に永住者および特別永住者に限り指紋押捺義務がなくなったが、制度自体は2000年3月まで続いていた。