ロボットの目標は「人間型」を作ること
人工知能およびロボット工学(ロボティクス)の研究の目標は、人間のようなロボットを作ることである。たとえば、鉄腕アトムのような人間型ロボットを作ることを究極の目標にしている。鉄腕アトムは漫画(アニメ)のキャラクターだが、人間のような、さらには人間そっくりなロボットの象徴となっている。ロボットは、必ずしもすべてが人間型である必要はない。災害現場のがれきの中に入って行くには、人間より蛇に似ている、蛇タイプのほうが便利であろう。用途に応じて、それに適した形と大きさのロボットを作ればよい。その用途の中に、家庭や職場に入って、人間と対話をしながら、生活する(人間と共存する)というものがある。このようなロボットは、できるだけ人間そっくりであることが望ましい。
なぜ「人間型」が望ましいのか?
まず家庭や職場は、人間を前提に作られたものなので、人間そっくりロボットであれば、環境を作り直す必要はない。また、人間は人間を相手にするのが一番自然で、同じ生物として人間同士でコミュニケーションがうまくできるように進化している。ロボットが人間そっくりであれば、人間相手のように自然にコミュニケーションできる可能性がある。人間同士のコミュニケーションでも、見かけは重要である。「人は見た目が9割」(竹内一郎・新潮新書)という本がベストセラーになっていたことを覚えている人もいるだろう。人は見かけではなく中身だといくら言ってみても、中身をわかってもらうには一定期間つきあってもらう必要があり、つきあう気持ちになるには見かけがきっかけとなるからである。同様に人間とロボットのコミュニケーションの場合にも、見かけが非常に重要になる。ロボットが仲間なのか、そうでないかはまず見かけによって判断される。
「人間そっくり」と「人間」と区別がつかない
ロボットの見かけを人間に似せていくと、初め、あまり似ていないうちは親近感が増していくが、中途半端に似ていると、つまり似ているが完全に同じではない場合は、「不気味」に感じるように思われる。さらにその段階を超えると、すなわちそのロボットが人間と区別できないぐらい似ていると、また親近感が増すように思われる。これを日本のロボット工学のパイオニアの一人である森政弘東京工業大学教授(現在・東京工業大学名誉教授)は、不気味の谷(uncanny valley)と名付けた(1970年)。
この「不気味の谷」の存在は、実験に基づいて証明されたものではないが、われわれの直観にかなり合っている。コンピューターグラフィックス(CG)でもこの「不気味の谷」が問題になっている。人間に似ていないキャラクターには、親しさを感じるが、人間に似ているが完全に同じではないキャラクターは、不気味に感じるというのである。下手にリアルなCGを作ると人気がでない危険がある。実際に努力して人間に似せようとしたキャラクターが、不人気で失敗した例は多い。
「不気味の谷」と人間そっくりロボット
森教授は「不気味の谷」が存在するので、人間に似たロボットを安易に目指すべきではないと主張した。この主張は人間型ロボット以外のロボットの研究者に広く支持されている。石黒浩大阪大学教授はアンドロイド科学を提唱して「人間そっくり」のロボット(アンドロイド)を作ろうとしている。彼はまず自分の娘「そっくり」のロボットを作り、次にNHKの藤井彩子アナウンサー「そっくり」のロボットを作り、さらには自分自身に「そっくり」のロボットを作った。
筆者も実物を見たことがあるが、確かによく似ている。石黒教授の研究室の男子学生は、女性のアンドロイドが置いてある状態では下着姿になるのをためらうと聞いたことがある。人間にこのロボットが動いているところを数秒間見せても、人間だと思い、ロボットと気づく人は少ないほどに「そっくり」なのである。
石黒教授のこの試みは「不気味の谷」を超える挑戦ととらえることができる。まだ超えたとは言い難く、見方によっては最も気味悪いレベルに落ち込んでいるとも言えるが、この試みを続けていけば、かなりの程度、人間にそっくりになるはずである。
めざすは、見た目9割タイプのロボット
10割人間と同じロボットは作れない。数秒はだませても、数時間も見つめ続ければばれてしまうだろうが、9割であれば作れないことはない。家族としてつきあって、ロボットであることがばれないのは無理だが、転校生としてあるクラスに加わって、しばらくしても、ロボットであることがばれないというのは実現可能かもしれない。あまり深いつきあいのない同級生であれば、数時間も見つめないはずである。個人的には、同級生になって1カ月の間ばれなければ、カッコなしの人間そっくりロボットと言ってよいと考えている。そのテストを「風の又三郎」テストと名付けたい。
「風の又三郎」ロボットが実現すれば、当然それは「不気味な谷」を超えている。人工知能の研究の目標を達成するためには、中身ももちろん大事であるが、見かけも大事ということである。「ロボットも見た目が9割」なのであろう。
「風の又三郎」
宮沢賢治が1924年ころに書いた生前未発表の童話。山奥の小学校にやって来た転校生の奇妙な子ども・高田三郎を、村の子どもたちは「風の又三郎」(風の神の子ども)ではないかと疑う。やがて風の強い日に転校生は去っていった。子どもの一人が「やっぱりあいつは風の又三郎だったのだ」と言う。