何を見ているかを読み取る
脳の信号を解読してロボットを動かしたり、コンピューターにコマンドを送ったりするのと同じ要領で、ヒトが何を見ているかを脳信号から読み取ることもできるようになった。ヒトが見ている縞模様の傾きを、fMRIで得た信号から当てる実験を例としてあげよう。この実験では、傾きの異なる縞模様をあらかじめ被験者に見せ、その際の脳活動パターンをfMRIで計測し、縞模様の傾きと脳活動パターンの関係をデコーダーに学習させておく。そして次に、同じ被験者に、ある未知の傾きの縞模様を見せ、そのときの脳活動を、学習を済ませているデコーダーで解読すると、その縞模様の傾きを当てることができる。
縞模様の傾き以外にも、物体の種類、たとえば顔や家、乗り物や道具などをはじめ、物体の色、あるいは画像に映し出される運動方向など、ヒトが見ている視覚情報に現れるさまざまな特徴についても、同様の原理で読み取れることが分かっている。
読心術が成立する
さらに一歩進んで、ヒトが実際に見ている外界の画像だけでなく、ヒトが心の中で注目しているものや、あるいは想像しているイメージでも、同じように脳活動から読み出すことができることが分かっている。同じく、縞模様からなる画像を使った実験例をあげよう。この実験では、まず、傾きの違う縞模様を被験者に実際に見てもらい、そのとき計測した脳活動から、被験者が見ている縞模様の傾きが読み取れるようにデコーダーを学習させておく。そして次に、傾きの違う二つの縞模様を重ねた画像を用意して被験者に見てもらい、どちらか片方の傾きの縞模様のみに注目してもらうようにしておく。このとき得られた脳活動を、先の学習済みのデコーダーで解析すると、この被験者が注目している傾きを当てることができる。
この実験結果は、提示した画像だけからは分からない、そのヒトの心の中での知覚状態を読み取れるという意味で、初歩的な読心術、すなわちマインド・リーディング(mind reading)と見なすこともできよう。
ヒトが見ている映像も再構成できる
しかしながら、これらの方法には共通の限界がある。それは、デコーダーの予測が、事前に学習しておいた数種類の画像の中のどれか一つを選択しているに過ぎず、縞模様を画像としてそのまま復元しているわけではない、という点である。したがって、たとえば、「顔」あるいは「家」の画像それぞれに対応する脳活動のみを学習していたデコーダーを用いた場合では、「車」の画像を見せたときの脳活動を読み取らせても、「顔」あるいは「家」というカテゴリーとして分類することしかできない。では、ヒトが見ている画像を学習済みのカテゴリーに分類して予測するのではなく、画像そのものとして脳活動から再現することはできないのだろうか。
最近、筆者らの研究グループは、ヒトが見ている画像をそのまま画像として復元すること、すなわち「視覚像再構成」に成功した。この技術で重要なポイントは、画像全体をそのまま扱うのでなく、画像を大きさの異なる複数の小領域に分割し、それぞれの小領域の画像のコントラスト状態を脳活動から予測し、その予測値をあとで組み合わせて画像に戻すという点である。この工程により、小領域の予測値の組み合わせで表現できるすべての画像種が再構成可能になる。その結果、わずか数百パターンの画像と脳活動との対応関係を学習しておくだけで、1億通り以上の画像種を脳活動から高い精度で再構成できることが分かった。
脳信号解読技術の未来
ヒトおよび動物を用いた研究から、運動パターンや視覚像が脳活動から読み出せることが分かってきた。脳内の情報がこれまで以上にさらに高精度に、自由自在に読み出せるとしたら、どのような未来がやってくるだろうか。運動の意図が脳活動から正確に読み取れるようになれば、脊髄損傷などにより運動機能に障害をもった人々にとって大きな福音になるだろう。また、発声器官に障害のある人が、脳活動のみを介してコミュニケーションを行うことができるようになるかもしれない。技術が成熟すれば、障害者のみならず健常者に対しても、身体の制約から解放された新しい情報通信手段となり得るだろう。だが、これらの実用や応用においては、fMRIのような巨大な装置を使った侵襲性の低い方法や、脳内刺入電極を使うような侵襲性の高い方法を用いるのではなく、携帯性にすぐれた低侵襲かつ簡便な脳活動計測手段の開発も必要になる。
また、運動や知覚のみならず、人の嗜好性などの複雑な情報までも脳活動から読み取る研究も進められており、脳計測から得られる情報を商品開発や評価に生かす「ニューロ・マーケティング(neuro marketing)」という新しい分野も注目を集めている。
しかしながら、脳内の情報は究極のプライベート情報であるということに留意しなければならない。脳から情報を読み取る技術が進展すればするほど、脳内情報の利用には注意が必要になるであろう。技術の進歩にあわせて、倫理的側面からの議論や法整備について検討していかなければならないだろう。