デング熱を媒介する蚊が、あなたを探し出す
ヒトスジシマカはテレビや新聞で紹介され、すっかり有名になりました。成虫の胸部背面にある1本の白い筋状の鱗粉(りんぷん)がその名の由来で、脚は白黒の縞模様が特徴です。夜に人が寝静まってから吸血にやってくる単色茶褐色のイエカの仲間とは異なり昼間活動するタイプで、庭先や竹やぶ、林でしつこく吸血にやってきます。では、蚊という昆虫が何を頼りに「あなた」を探すのかと言えば、二酸化炭素、におい、熱、色です。中でも特に重要なのは二酸化炭素で、筆者らが蚊の成虫調査に使うトラップは、二酸化炭素の固体であるドライアイスで、これだけで多くの蚊を誘引し、捕獲することができます。また、汗などに含まれる乳酸、酢酸、アンモニア、吉草酸(きっそうさん)といった体臭も吸血源動物を探るうえで重要です。
蚊はこれらの嗅覚を頼りに、ある程度動物に近づくと、次に視覚が働き、色の濃い物体に特に引き寄せられます。そして、最終的に吸血部位を特定するうえで頼りにするのが「熱」です。吸血するのはメスだけですが、蚊を入れたケージの中に40℃ほどのお湯を入れた容器を置くと、そこに血液が入っていなくても、蚊はしきりにガラス容器から血を吸おうとします。
蚊に刺されやすい人は?
代謝量が多く、二酸化炭素を多く排出する人、体温が高めな人、黒い衣服を着ている人には、蚊が寄ってきやすいと考えられます。汗のにおいに引き寄せられますが、たくさん汗をかいて皮膚の温度が下がると、逆に刺されにくくもなります。ときどき、「お酒の影響」について聞かれますが、特にビールなどは二酸化炭素が溶けている状態ですし、体内で代謝されたアルコールは二酸化炭素にもなります。さらに、飲酒後は一時的に体温が上昇することが知られていますので、蚊を誘引しやすい状態になっていると言えるでしょう。
血液型との関係もよく質問されますが、肯定するにも否定するにも科学的根拠がないというのが実情です。一つ言えることは、ABO式の血液型を決める「赤血球上の糖鎖」は揮発性ではないため、それ自体を蚊がにおい物質として認識することはできないということです。そもそも、蚊にとって血液型を判別することのメリットが科学的に見あたりませんので、筆者としては懐疑的です。
ただし、血液型によってかかりやすい病気があったりすることは事実のようですので、蚊がその病気を微妙に感じ取って血液型を判別できている可能性も、現段階では否定できません。
蚊からどう身を守ればよいか?
一つは虫よけ剤の使用です。現在日本で売られている虫よけ剤の唯一の有効成分はディート(deet)です。生後6カ月未満の子に使用しないことや、12歳未満に使用回数の制限がありますが、用法通り使用すれば効果は高く、吸血の被害を防ぐことができます。また、住環境で蚊を増やさないためには、何よりも発生源を除去することが大事です。ヒトスジシマカは行動範囲が比較的狭いので、個々の生活空間にある発生源、つまりどんなに小さくても水たまりをつくるものを除去することで、吸血される機会は減るでしょう。たとえば、バケツ、古タイヤ、レジャーシート、植木鉢の受け皿、岩のくぼみ、雨水マス、空き缶などをはじめ、墓地の花立てなども、蚊にとっては理想的な発生源となります。
成虫の場合は直射日光と風を嫌いますので、雑草を刈りとり、木は適宜剪定(せんてい)して風通りをよくすることも重要です。
昨14年、デング熱患者が多く感染したと思われる東京・渋谷の代々木公園周辺では、急きょ、感染蚊対策として殺虫剤が散布されました。使われたのは、蚊取り線香の成分の仲間で比較的人間への毒性が低いピレスロイド系殺虫剤です。散布前後に行われた捕獲調査の結果、ヒトスジシマカへの高い防除効果が確認されましたので、適切に薬剤を用いれば感染蚊が駆除できることがわかりました。また、雨水マスに発生した幼虫に対しては、脱皮や羽化を阻害する薬剤を入れることで、成虫になるのを防ぐことができます。
殺虫剤が効かない蚊の出現
今のところ、殺虫剤はヒトスジシマカに対して効果的ですが、安心はできません。なぜなら今後、デング熱対策で多くの殺虫剤が使われ続けると、やがて「殺虫剤抵抗性」の問題にぶち当たると予想されるからです。年間で6~7世代に及ぶ繁殖サイクルの中で、抵抗性遺伝子をもった、ほんのわずかな数の「殺虫剤の効かないヒトスジシマカ」が徐々に選抜され、やがて集団の大部分を占めるようになるのです。筆者らは現在、おもに首都圏でヒトスジシマカを採集し、殺虫剤感受性のモニタリングを行っています。殺虫剤が効かなくなる前に対策を立てるためです。また、昨14年の経験をもとに、東京都や埼玉県では複数箇所の公園内で定期的にヒトスジシマカの調査を行い、その結果をホームページ上で公開しています。
困った問題は、抵抗性集団の出現だけではありません。日本の温暖化は年々進行し、本来亜熱帯性のヒトスジシマカが生息できる環境が広がりつつあります。国立感染症研究所の調べでは、1950年に栃木県北部までしか確認されなかったのが、どんどん北上を続け、今では秋田県や岩手県まで生息地を拡大しています。年平均気温11℃が定着の境界となると見られ、将来的には2035年には本州の北端まで、2100年には北海道まで分布を拡大すると予想されています。
デング熱は今年も流行するか?
正直「可能性は結構あります」という答えにならざるを得ません。理由の一つに、近年の輸入症例、つまり海外で感染し、帰国後に発症する例の多さが挙げられます。最近の円安と観光立国政策にともない、海外からの旅行者も増え、ウイルスが国内に持ち込まれる可能性が増大しています。また、一昨年の2013年に日本を訪れたドイツ人観光客が帰国後デング熱を発症した例が報告され、日本国内での感染が強く疑われました。つまり、実は2年連続でデング熱の国内感染は起こっていたようなのです。
さらに、今回の流行をきっかけに、国民や医療機関でデング熱に対する意識が格段に高まり、デング熱が、実は日本国内のみで生活していても感染しうる病気であると認識されるようになりました。保険適用された簡易診断キットを備える機関も増え、デング熱が疑われた場合には、素早く診断できる環境が整いつつあります。
マラリア(malaria)
熱帯・亜熱帯における代表的な感染症で、マラリア原虫によって引き起こされる。発熱、倦怠感、関節痛、嘔吐(おうと)、下痢などの症状をともない、死に至ることもある。ハマダラカの唾液腺(だえきせん)には、マラリアの原因となるマラリア原虫の「胞子」が集まっており、ヒトを吸血するときに注入する唾液と一緒にこれが体内に侵入。肝細胞で増殖したうえで、血液中に放出されることによって発病する。
黄熱(yellow fever)
アフリカや南アメリカなどの熱帯・亜熱帯地域に分布するウイルス感染症。潜伏期は3~6日で、軽症であれば発熱、頭痛、嘔吐(おうと)などをともなうものの、数日で回復する。重症になると、さらに目眩(めまい)や高熱、脈拍数の低下、黄疸(おうだん)、下血などをともない、致死率は20%に及ぶ。サル日本脳炎と同種のフラビウイルス属のウイルスによるもので、このウイルスはサルとヒトを宿主とし、ネッタイシマカによってランダムに媒介され、感染が広がる。
日本脳炎(Japanese encephalitis)
東南アジアや南アジアを中心に分布するウイルス感染症で、時に重篤な急性脳炎を引き起こす。潜伏期は6~16日で、高熱、頭痛、嘔吐(おうと)、目眩(めまい)などに続き、意識障害や筋肉の硬直、麻痺やけいれんなどをともなう。脳炎を起こした場合の致死率は20~40%にも及ぶ。黄熱と同じく、フラビウイルス属のウイルスによるもので、ブタなどの家畜に感染することでウイルスが増殖し、それを吸血したコガタアカイエカに刺されることでヒトに感染する。
ウエストナイル熱(West Nile fever)
アフリカ、ヨーロッパ、中東、中央アジアなど、広範囲に分布する、ウイルス感染症。名前は、ウガンダのウエストナイル地方で最初の患者が見つかったことにちなむ。潜伏期は3~15日で、発熱、頭痛、背中の痛み、筋肉痛などをともない、約1%の患者がまひや昏睡、けいれんなどの髄膜炎や脳炎を発症する重篤な症状を見せる。このウイルスに感染した鳥からの吸血時にアカイエカなどが感染し、その蚊に刺されることでヒトが感染する。
チクングニア熱(Chikungunya fever)
西アフリカ、中央アフリカ、南アフリカ、東南アジアなどに分布する、ウイルス感染症。潜伏期は3~7日程度で、発熱、関節痛、発疹、倦怠感をともなう。頭痛や筋肉痛も見られるほか、関節痛は症状が回復してからも長期間継続することがある。チクングニアウイルスに感染しているヒトから吸血することでヒトスジシマカやネッタイシマカがウイルスに感染し、その蚊がさらに他のヒトを刺すことで感染が広がっていく。
フィラリア症(filariasis)
東南アジアやアフリカ、南アメリカなどを中心に熱帯・亜熱帯に分布する「フィラリア」という糸状の寄生蠕虫(ぜんちゅう)による感染症。リンパ系に寄生したフィラリアによって、リンパ液の流れに異常をきたして発熱を繰り返し、おもに足に「リンパ浮腫」が起こり、強い痛みをともない外観を損なう「像皮病」へ進む。子どものときに感染して、成人後になって発症することが多い。おもにアカイエカの仲間によって、ヒト~蚊~ヒトの感染サイクルで感染が広がる。
デング熱(dengue fever)
中央アメリカ、南アメリカ、東南アジア、南アジア、アフリカ、オーストラリアなどの熱帯・亜熱帯地域に分布するウイルス感染症。ネッタイシマカとヒトスジシマカによって、ヒト~蚊~ヒトの感染サイクルで感染が広がる。
通常は、感染から3~7日後に発熱や頭痛、眼窩(がんか)痛、筋肉痛などをともなうが、1週間ほどで回復する。しかし、一部の患者においては、平熱に戻りかけたとき突然に血漿(けっしょう)の漏出や、鼻血、吐血、下血などをともなう「デング出血熱」に進行。さらに進行すると、ショック症状を示す致死性の「デングショック症候群」に発展する。