では、ハエは本当に五月蠅いと形容されるほど迷惑な存在なのでしょうか?
ハエとは何者か?
昆虫は分類学上、鱗翅目(りんしもく)や鞘翅目(しょうしもく)など29の目(もく)に分けられます。ハエの仲間はその中の双翅目(そうしもく)と呼ばれるグループに分類されます。この目の中にはハエの他にアブや蚊の仲間も含まれていますが、これらの昆虫には翅を2枚のみもつという共通点があります。小学校の理科の授業で、昆虫とは、脚が6本、翅が4枚ある生物のことを指すと習った方が多いと思いますが、例外もあるのです。ただし、よくよく双翅目昆虫の翅を見ると、大きな翅の後ろにとても小さな突起状の構造物を1対見つけることができます。これは平均棍(へいきんこん)と呼ばれ、正確な飛翔姿勢を制御する働きをしているのではないかと考えられています。
双翅目の中でハエの仲間として分類される昆虫は、2014年現在、国内では3626種類が記載されており、その数は毎年増え続けています。この中には、なじみがあるイエバエやキンバエ、ショウジョウバエなどのほか、ハナアブのように「アブ」と呼ばれながらハエに分類される昆虫も含まれます。逆に、チョウバエやキノコバエのように「ハエ」と呼ばれながら分類上はハエではない昆虫は含まれません。
病原菌の運び屋
筆者らが特定のハエの存在を問題視するのは、時として人間に多大な健康被害をもたらす場合があるためです。中でも、注目すべきはイエバエです。腸管出血性大腸菌O157が原因で起こる食中毒が問題になった1990年代、発生場所の周囲には高い確率で牛舎がありました。そこで、国立感染症研究所昆虫医科学部が中心になって、全国の畜舎などで採集したハエ類の保菌状況について調査が行われました。その結果、捕獲した0.5%のハエからO157菌が検出されたのです。多くはイエバエで、牛の糞便を介してO157を伝播している可能性が強く疑われました。口から取り込んだ大腸菌は消化器系内で分裂・増殖しますが、イエバエはこれらを約6分おきに体外へ排泄します。そのうえ、イエバエは他のハエに比べて屋内侵入性が非常に強く、食物にたかるなどして、食中毒菌を媒介しやすいのです。
かつて夢の島と呼ばれ、東京都内で出された生ゴミを埋め立てていた中央防波堤埋立処分場では、1990年代後半まで生ゴミをそのまま廃棄していたため、イエバエを中心として非常に多くのハエが発生しました。イエバエ対策のために色々な種類の殺虫剤が使われましたが、抵抗性を獲得するために殺虫剤が効かなくなる問題に直面し、効果的に防除することが困難となっていました。もうこれ以上使える殺虫剤がないかと思われたころ、都内のゴミ処理場では生ゴミを高温で焼却処分する方式に変更されたことから、幸い、夢の島でのハエの問題は解消しました。
寄生したり、寄生虫を媒介したり
おもに中南米に生息するヒトヒフバエやアフリカに生息するヒトクイバエなどは、幼虫が人体の皮下に寄生し、蛹(さなぎ)になるまで生活します。ヒトヒフバエの場合、まずは蚊やダニに卵を産み付け、それらの虫が人を吸血する際に幼虫が移動して人への寄生が成立するような、巧みな生存戦略をもっています。日本でも、キンバエやニクバエの仲間が、寝たきりになっている人の床ずれや壊死(えし)した外傷患部に卵を産み付け、そこで幼虫が発育してしまうことがあります。アフリカの睡眠病という病気はツェツェバエと呼ばれる吸血性のハエによって感染が成立します。余談ですが、最近、アフリカのシマウマがなぜ縞模様をしているのかという長年の論争に決着を付けるような発表がなされました。その論文によると、ツェツェバエは通常の馬に比べてシマウマの縞模様から吸血することを明らかに嫌う傾向があるというのです。シマウマの縞模様は、ツェツェバエによる吸血にともなう睡眠病の被害を避けるように進化してきた結果だというのです。
ウイルスの運び屋でもある
ハエはウイルスの運び屋としても問題です。1960年代、まだ我が国にポリオが存在していた時代にさまざまなハエ類を採集してウイルス分離を試みた結果、キンバエの仲間からポリオウイルスが高い率で検出されています。 また、2004年に京都府内の養鶏場で鳥インフルエンザが発生した際には、現場周辺で捕獲された、大型で冬に活発に活動するオオクロバエから感染力を有したウイルスが検出されました。また、ニワトリは目の前のオオクロバエをとても積極的に摂食することも観察されたことから、このハエが鶏舎間の鳥インフルエンザの伝播に関与していることが強く疑われました。さらに厄介なのは、その行動範囲の広さです。筆者らは腐った魚でオオクロバエをおびき寄せて捕獲し、修正ペンで背中にマーキングをした後リリースし、別の地点で再捕獲をするという調査を行いました。すると、4時間後に1キロメートル離れている場所で再捕獲されたことから、このハエは高速で飛翔し、短時間のうちに広範囲にわたって活動していることが分かりました。
ハエを見る目が変わるかも
ハエをよくよく観察してみると、意外にきれい好きであることが分かります。目、触覚、口器といった重要なセンサーが集積している感覚器に付いた汚れを、前脚を使ってしきりに掃除します。この行動はグルーミングといい、皆さんもご存じの、前脚を互いにこすりつける行動は、グルーミングの結果集められたゴミを最後にふり落とす役割があるように見えます。実は、ハエはけっこう人の役にも立っています。
ハエの触覚にあるセンサーにはさまざまな特殊能力があることが分かってきています。例えば、人間のがん細胞が出す特殊な匂い物質を感じ取ることができるといい、将来、高感度の検査機器の開発に結びつく可能性があるのです。
ヒロズキンバエというハエの幼虫は、糖尿病の治療に用いられています。
睡眠病
アフリカの西部や中央部でみられる、トリパノソーマと呼ばれる原虫を吸血性のツェツェバエが媒介することによって引き起こされる風土病。感染すると睡眠周期が乱れたり、最悪の場合は昏睡状態に陥り、死に至ることがある。
ポリオ
口から入ったポリオウイルスが、腸内で増えることによって発症する感染症。多くの場合、特別に症状を示すこともなく、免疫によって完治することになるが、まれに脊髄に侵入して深刻な麻痺(まひ)をもたらすことがある。成人に比べ、乳幼児の発症が多い。