アルゼンチンアリやセアカゴケグモといった危険な外来生物の定着を、すでに日本は許してしまいましたが、ヒアリの定着だけは阻止しなければなりません。
裸一貫の結婚飛行
ヒアリたちがドーム状の蟻塚、すなわち巣を形成することはよく知られています。彼らのコロニーは女王アリを中心に、メスの働きアリたちで構成されますが、女王アリが1匹のみのタイプと、女王アリの姉妹が数十~100匹くらい共存しているタイプがあり、後者はより多く見られるとともに「巣別れ」することもあります。なお、現時点で、日本に侵入したヒアリたちのそれぞれがどちらに属しているかまでは判明していません。
ヒアリのコロニーでは、繁殖期を迎えると、羽の生えた新しい女王アリや、羽の生えた雄アリが生まれ、巣から飛び立ちます。新女王アリは飛行中に別の巣の雄アリと出会って交尾をし、その精子を体内に貯蔵して産卵のたびに少しずつ受精に使います。この「結婚飛行」の中、うまく風に乗れば10キロ規模で移動することもあって、新女王アリがどこへ、どこまで飛んでいくかは予測できません。そして、着地すると自ら羽を抜き、新しいコロニーを作りはじめます。
ここまでの過程は、新女王アリにとって自らのライフステージの中でもっとも弱い状態にあります。まさに1匹のみの裸一貫で新しい巣作りの旅をしているので、鳥をはじめ、着地後にはクモやカエル、トカゲなど、その土地にいる生物に食べられてしまうことも珍しくありません。
大集団で引っ越しが得意
ヒアリは、原産地では河川の氾濫原のようなところに巣を作っています。洪水で巣が水浸しになると、働きアリたちはつながって筏(いかだ)のようになり、そこに女王アリや幼虫、サナギなどを乗せて、流されていきます。そして、適当なところに上陸して、新しい巣を作ります。こんなふうに、ヒアリは、もともと、引っ越しするのが得意なアリなのです。また、原産地ではヒアリは土の中で巣を作っていますが、侵入したアメリカなどでは、朽ちた木や建物の壁の隙間、電気設備の中にまで巣を作ることが報告されています。手頃な環境さえあれば、たちまち自分たちの住処(すみか)にできる適応力を、ヒアリは持ち合わせているのです。
ヒアリが海上コンテナに潜り込んで、日本に侵入してきたのも、この引っ越しが得意で、コンテナの朽ちた床板などを巣にできる能力があったからです。
テープ貼りはご勘弁を……
近頃、「これがヒアリかどうか、確認してください」という相談があとを絶ちません。中には、「セロハンテープ」に当該のアリを挟んだサンプルが送られてくることがあるのですが、とても悩ましいところです。日本各地で、ヒアリと近縁で見た目もよく似たアカカミアリの侵入も同時に起こっています。両種を見分けるには、顕微鏡で歯の形状や胸の形など、細かな部分を確認しなければなりませんが、テープのせいで曇りガラス越しに見ているに等しく、細部の確認ができないのです。
そのため、テープからサンプルのアリをはがすのですが、体長が2~6ミリしかないアリを、触覚や脚などを破損しないように少しずつはがしていく作業は、実に半日を費やすほどで、たいへんなストレスにさらされます。
テープを使ったサンプル採取は、かつてアルゼンチンアリが国内に侵入した際に呼びかけられた方法で、近隣種がいなかったためにこのやり方が有効でした。今後サンプルを送っていただく場合は、何匹かを殺虫剤で殺して、アルコールを入れた小瓶に漬けた状態にしてくだされば、同定の手間と時間を大幅に短縮させられます。覚えておいていただければ幸いです。
生息域はどこまで拡大する?
以前、東南アジアは材料資源を輸出する最たる地域でしたが、経済発展が進むにつれ、現在は中南米がそれに代わっています。こうした経済活動の動向がヒアリの原産地と重なったことが、彼らの生息域の拡大につながりました。物流のグローバル化が背景にある以上、今後もヒアリの生息域は広がっていくことでしょう。日本の場合、ヒアリ原産地である中南米の環境条件をもとにシミュレーションした結果、埼玉県あたりまでしか定着できないだろうとの結論が導かれました。しかし、1995年に大阪で発見されたセアカゴケグモは、オーストラリアの主に熱帯地域が原産ですが、今や北海道にも定着しています。外来生物は、往々にして侵入した場所で進化して、環境に順応していく力を備えているものなのです。
本当に「殺人アリ」か?
「侵略的外来種ワースト100」に選定され、警戒レベルでいえば1~2位を争うほどのヒアリの怖さは、「殺人アリ」の呼び名とともに、どこか間違った広まり方をしているようです。アリはハチの仲間なので、実は多くのアリの仲間が毒バリをもっています。ただし、彼らのハリは、「巣を守る防衛」のためだけに使われるといって差し支えありません。ヒアリも同じ行動原理にのっとっているだけで、大きな違いといえば、ほかのアリよりも強い毒をもっていることくらいです。
もちろん、刺されれば激しく痛むことは確かですし、ときに化膿もしますが、致死率で考えると、「殺人」という形容は大仰でしょう。何よりも心配されるアナフィラキシーショックも、発生する確率は1%にも及びません。もし、症状が出たとしても、医療機関が充実している日本であれば、すぐに適切な処置をしてもらえるので、命を落とすようなことはまずないと思われます。実際、台湾のようにヒアリが定着して約10年になる人口密集地帯でも、ヒアリによる死亡者は報告されていないのが実情です。
アメリカでは年間に100人以上が死亡すると報じられますが、健康保険制度がなく医療費が高額なアメリカでは病院へ行かない人が多いうえ、この調査自体が、ヒアリと思しき生物に刺された人やその身内を対象にしたアンケートにもとづくアバウトなものです。
ヒアリの本当の怖さは?
アメリカでは、牧草地に暮らすヒアリが、巣を踏んだ牛を集団で襲ったり、養鶏場でヒナを襲ったりすることがあって、農業被害は年間600億円にものぼるといわれています。また、彼らは油が大好きという、奇妙な食性をもっています。そのせいか、機械油がある電気機器などの中にも入り込み、回路をショートさせるトラブルを起こしています。その結果、信号機や空港の管制システムなどが故障したり、住宅が火事になったりと、毎年、大きな被害が生じています。
日本でいうと、どこかの港湾でヒアリが大量に見つかって風評被害が広がれば、ヒアリ定着の可能性が低い北海道に物流が集中するような事態も起こり得ます。すると、風評被害を受けた地域の経済が落ち込むいっぽう、北海道から貨物を運ぶとなれば、コストが跳ね上がるほか、数々の流通トラブルも生じるようになるでしょう。
また、日本には自然を身近に感じて、季節を愛好する風習が根付いています。春にはゴザを敷いて花見を楽しみ、夏には浴衣に草履・下駄履きのスタイルで散策することなどは日常の一部です。ところが、ヒアリが定着してしまったら、そうした無防備な風習や楽しみの数々を私たちは手放さなければなりません。
ヒアリの本当の怖さは、健康被害以上に、農業や経済、そして文化までも破壊してしまう力を備えていることです。