3試合を投げ抜いた上野
1次リーグを6勝1敗の2位で決勝トーナメントに進出した日本は、まず準決勝でアメリカと対戦した。先発はエース上野由岐子。延長9回にもつれ込む接戦となったが、1-4で惜敗した。上野は147球を投げた。約4時間後、3位決定戦のオーストラリア戦で上野は再び先発。今度は延長12回、171球でサヨナラ勝ちした。そして翌日の決勝でアメリカと再戦、95球の完投勝利で金メダルをもぎ取った。2日間で3試合完投、計413球。試合内容もさることながら、この鉄腕ぶりがプロ野球の「先発ローテーション」という概念に慣れていた日本人の心を揺さぶった。なぜこのような“常識外れ”の投球が可能だったのか。ソフトボールのウインドミルと呼ばれる独特の下手投げは、野球の投球に比べれば体への負荷は小さいとされる。試合も7回終了のため、球数も少なくすむ。実際、日本国内でも全日本総合選手権や日本リーグの決勝ラウンドなどでエースが1日2完投することも珍しくはない。投球過多による疲労を重視するアメリカですら、アテネ・オリンピックではエースのフェルナンデスが準決勝、決勝と2日連続で完投している。上野自身も過去に1日2完投、2日3完投の経験はある。ただ、世界トップクラスの強豪を相手に、しかも2試合が延長戦という過酷な状況は初体験。1人も気を抜けない打者と対峙するうちに体は限界を超えた。右手中指はマメがつぶれ、脚にはけいれんを起こした。やはりソフトボールにおいても、尋常ではない2日間のピッチングだった。
すべてはアメリカに勝つために
日本のソフトボールは96年アトランタ大会から始まった過去のオリンピックで4位、2位、3位という好成績を残している。しかし頂点にはどうしても手が届かなかった。今回は何が違ったのか。上野の成長だけではなかった。一つの大きな要素として「世代交代」が挙げられる。アテネ大会後、過去3大会で主力投手だった高山樹里が代表から外れ、宇津木麗華、斎藤春香、山路典子という3人の主力打者は、所属チームの監督に就任した。その斎藤が2007年から代表監督となり、宇津木妙子・元監督が築いてきた伝統を基に、新しい代表チームを形成することができた。監督の所属チームに偏りがちなメンバーも、適材適所の選手をバランスよく選出。大事な3位決定戦で逆転2ランを放った広瀬芽(めぐ)、サヨナラ打の西山麗、決勝で先制打の狩野亜由美。いずれも今回が初出場という「オリンピック第2世代」のメンバーだった。また、戦いの方向性が、はっきりしていた。野球の日本代表のように「金メダルしかいらない」と声高に叫ぶことはなかったが、全員の思いは「打倒アメリカ」に集中していた。1次リーグのアメリカ戦では、上野、坂井寛子という2人の主力投手を温存し、史上初のコールド負けを喫したが、これも想定内だった。リーグ1位も2位も決勝トーナメントでの条件は同じ。「捨て試合」をつくったことで、精神的なショックを残さなかった。アメリカ対策も徹底していた。エースのオスターマンには、アテネ・オリンピックで1安打11三振完封負け、06年世界選手権決勝でも1安打14三振完封負けと、完ぺきに抑え込まれていた。この屈辱を晴らすため、ひたすらビデオ研究を繰り返し、球種を見破る方法を発見。男子選手の球を打つことで長身左腕にも慣れてきた。その努力が決勝での山田恵里主将の本塁打につながった。上野はアメリカ戦のために新球シュートを覚えていたが、大一番まで隠し通してきた。それが準決勝からの好投を生んだ。すべての準備は、あの2日間のためだった。
この激闘は、終盤を迎えていた北京オリンピックのクライマックスとなった。決勝の視聴率は全競技中最高の30.9%、瞬間最高では49.3%を記録した(関東地区)。視聴者を引きつけた一因に、1点を争う緊迫した試合展開がある。そもそもソフトボールは点が入りにくい競技だ。延長戦で無死二塁から始めるタイブレーク方式も、点を入れやすくして決着を早くつけるため生まれた。投手成績を見ても、上野は日本リーグ入団1年目から防御率0点台をキープしているが、1人が突出しているわけではない。ほかにも年間4~5人が0点台の数字を残している。つまり、どのチームもエースとの対戦は1点取れるかどうかの勝負になる。野球とは1点の重みが違う。だから見ている側にも緊張感が持続するとも言える。
正式競技復活への熱き思い
オリンピックの正式競技からはいったん退くが、復活を望む声は多い。ヨーロッパなどでは男子の野球と1セットに考えられている向きがあるが、完全に別の競技として復帰活動をするべきだろう。野球に比較すればグラウンドは小さく、投手のマウンドも不要。そのため専用球場を建設する必要がない。試合時間は2時間前後のものが多く、スポーツ中継としては受け入れられやすい。登録選手数が1チーム15人と野球の24人よりずっと少ない。何より、大リーガーが参加しない野球と違い、オリンピックは世界最高の選手が集まる舞台になっている。そして今大会でアメリカの「金メダル独占」が崩れたことも有利な要素だ。柔道が日本の金メダルの減少とともに世界へ普及していったように、バレーボールが西欧や中南米に普及して日本が強豪国からはじき出されたように、多くの国の切磋琢磨が競技を世界に広めていくことは明白だ。北京オリンピックの表彰式終了後、日、米、豪の選手全員が集まり、「バック・ソフトボール」と声を合わせた。2016年のオリンピックで復活させたいという各国の必死さが伝わってくる光景だった。どの国も競技環境に恵まれているとは言えない。アメリカやオーストラリアの代表の中には、日本の実業団に活躍の場を求める選手もいる。その日本すら、チーム数は減少傾向にある。また、オリンピック実施競技から除外されたことにより09年度の日本ソフトボール協会に対する国の補助費は、7000万円から300万円に激減する。
「ソフトボールって面白い」。あの413球のあと、上野が発した言葉に共感するファンも多いだろう。やはりこの競技には、どうしてもオリンピックが必要だ。