トップアスリートの合理的な動き
トップアスリートの動きは共通して、力みがなく美しく見える。実はこれには理由がある。物理法則にのっとった合理的な動きをしているからだ。この動きは、一連の動きの中の絶妙なタイミングで力を入れたりリラックスしたりを繰り返すことによって形成される。つまり、運動中、常に力を入れているのではなく、身体を積極的に動かしたり身体が自然に動くことを利用したりする局面がある。動きの合理性をいくつかの例をもとに紹介しよう。
まず、誰もができるブランコの立ち乗りを例にしてみる。ある程度の振り幅を得た後に立ち乗りに移行した状態で、ブランコの揺れの中でタイミング良く膝(ひざ)の曲げ伸ばしをすることによって、さらに振れ幅が増す。これはパラメータ励振(れいしん)と呼ばれる、振幅が増加する物理現象なのである。
ここで鍵となる膝の曲げ伸ばしは、ブランコの半径を減少・増加させるが、最下点で膝を伸ばして最上点では膝を縮めるタイミングが最適であることが分かっている。つまり、曲げ伸ばしの回数を闇雲に増やしても、適当なタイミングで行っても意味がなく、逆効果である。
重要なのは、動きの中でタイミング良く力を発揮して身体の曲げ伸ばしを行うことであり、そこではリラックスと緊張のタイミング良い繰り返しが行われている。
実は、このパラメータ励振を一流のハンマー投選手やゴルファーが用いていることが最近の研究で明らかになってきた。ハンマー投であれば、4回転半の回転の中で、ハンマーの最上点では回転半径を増加させ、最下点で回転半径を減少させることを行っている。このタイミング良い回転半径の増減が、ハンマーの効率良い加速に有効に作用する。
次に、ムチ運動である。ムチは根元を力強く瞬間的にスイングするだけで、末端部が音速近くまで達するほどに加速される。これは、質量の大きい根元に与えた運動エネルギーを、質量の少ない末端部にうまく伝えることによって起こる物理現象である。ムチのような連続体でなく、二つの部位を連動した二重振り子においても、同様に根元の部位の振動によって末端部を高速に動かすことができる。身体もいくつかの部位が連動して動くので、この二重振り子の運動原理をうまく使うことによって末端部を高速に動かすことができる。
実際に、トップアスリートの卓球のスマッシュやバレーボールのスパイク、あるいはサッカーのキック動作などのように上肢や下肢を高速でスイングさせる動作では、この二重振り子の運動原理がうまく使われていることが明らかにされている。
つまりここでは、身体をいくつかの部位が関節で接合された複合体(図表2であれば関節1と関節2)として考えることが重要で、そしてその末端部を高速に動かすには、末端部にある手関節や足関節を直接動かすのではなく、逆にその関節はリラックスさせ、胴体に近い関節で発揮したエネルギーをうまく利用して、高速でスイングするのである。
合理的な動きが生じるときの身体感覚
パラメータ励振にしろ、二重振り子にしろ、それらに共通するのは、力を常に発揮するのではなく、動きの中でタイミング良く力を発揮することである。よって、身体部位は一連の動きの中で、能動的に動く局面だけでなく、受動的に加速される局面がある。この受動的に動く状態では、力を発揮して運動する本人は、とても特殊な感覚を覚える。例えば、自然に加速される上肢はあたかもムチのように感じられる。半径を変化させることで加速されるハンマーは、自然に加速されるように感じる。受動的に加速される感覚は、ハードル走、走り幅跳び、走り高跳びなどの踏み切りでも物理現象を基盤として共通に得られる感覚である。踏み切りでは、踏み切りの瞬間だけでなく、その一歩前からの一連の動きが重要である。それは、助走(ランニング)は水平に移動しているように見えるが、詳細に見ると、そこに上下動も加わっているからである。この上下動が生じる原因は、ランニングは片足が地面に接地する着地期と両脚が離れる空中局面を繰り返していて、空中局面では身体重心が放物運動をするからである。
よって、着地期では、落ちてくる身体を一度受け止めて再び上昇するための力を発揮する必要がある。 そして踏み切りではその発揮する力を上昇に効率良く使うため、できるだけこの下降局面を少なくする工夫が必要であり、それを可能にするのが踏み切り一歩前の滞空時間を少なくする調整なのである。
さらに踏み切りでは、脚を一本の棒のように思いっきり突っ張っていく。その突っ張りは地面を蹴るというよりも、むしろ関節を固めてぶつけるという感覚である。この局面は、脚をバネに例えて、そのバネの硬さと弾性エネルギーの関係から研究されているが、バネの硬さを高める(関節を固める)だけで身体が受動的に上方向に加速されることが明らかにされている。このような踏み切りができるアスリートは、この踏み切りであたかも身体が浮き上がるような感じを受けるのである。
このようにトップアスリートが感じ取る特殊な身体感覚は、物理現象に密接に関係している。さらに、後編の「メンタル編」で説明するように、神経システムの特性に基づく知覚特性とともに、トップアスリートの身体感覚が形成されている。