歌謡曲の黄金時代であった70年代の流行歌には、男女の関係の変化を映したさまざまな言葉がちりばめられていた。筆者はかつて拙著『どうにもとまらない歌謡曲』(晶文社、2002年)において、ジェンダーを補助線に、歌謡曲の歌詞をさまざまな切り口で読み解く作業を試みた。
そこで今回は、新たに「ポリアモリー」(複数恋愛)という切り口から、歌謡曲が透かし出す男女観・恋愛観について考えてみたい。
阿久悠というパイオニア
話の導入として、多様な性のあり方に関する拙著の議論を少し振り返っておく。筆者はまず、「あゝ蝶になる あゝ花になる/恋した夜はあなたしだいなの」と山本リンダが歌う〈どうにもとまらない〉(1972年、阿久悠作詞)という作品が、「花が女か男が蝶か」と前の年に森進一が歌った〈花と蝶〉(71年、川内康範作詞)に目配せするバイセクシュアル・ソングである可能性を指摘した。
さらに、山本リンダと同じく阿久悠が作詞を担当したピンク・レディーの諸作品では、宇宙人やモンスターや透明人間が、世間の規範から外れたマイノリティ――とりわけ性的少数派――を、象徴的かつ共感的に暗示しているのではないか、とも述べた。
1970年代当時は社会的に認知されていなかったLGBTという概念であるが、近年は日本でも次第に人権意識が高まり、同性愛者には生産性がないなどと発言する政治家がいれば非常識と批判される程度には、性の多様性をめぐる認識も深まってきた。
だがここでもうひとつ強調したいのが、「複数恋愛」を意味する「ポリアモリー」という概念である。
これは20世紀末のアメリカで広まった概念で、同時に2人以上の相手と親密な関係を結ぶことを指す。ただ、お互い隠し立てをせず、当事者全員の合意を前提とする点において、関係を秘密にする「浮気」や「二股、三股」とは異なっている。
ポリアモリーを実践する異性愛者を性的マイノリティに含めるか否かは議論の分かれるところだが、LGBTコミュニティにおいて、複数恋愛の権利は重要である。たとえばバイセクシュアリティとは、一人の相手ではなく、同時に男性と女性の双方と交わりを持つ可能性を含んでいるからである。
相手の性別がどうあれ、複数の人間を同時に愛することは、今日的な価値観に照らすとき、ひとつの生き方として尊重されねばならない。
思えば、これはまさに、山本リンダの主張である。「港で誰かに声かけて/広場で誰かとひと踊り」したあと、「木かげで誰かとキス」さえする〈どうにもとまらない〉や、「一人二人恋の相手は星の数」と宣言する〈じんじんさせて〉(72年、阿久悠作詞)などを思い出されたい。日本の歌謡曲は、ポリアモリーという言葉が生まれる以前から、先駆的にこのモチーフを歌の中に取り入れていた。
注目すべきは、こうした複数恋愛ソングの水脈が、このあと詳しく見ていく通り、男性より女性の恋の自由を主題にしてきたことである。
これは、複数の相手と関係を持つ場合、男性より女性のほうが世間の批判を浴びやすい、という状況の裏返しにほかならない。つまり、「プレイボーイ」は時として褒め言葉にもなりうるが、「プレイガール」は基本的に蔑視の対象となる。この社会的風潮に対し、ある種の流行歌は疑問を投げかけてきた。
従来は「色狂い」や「尻軽」というレッテルのもとに蔑まれてきた複数恋愛は、実のところ、男女の不平等にもとづく束縛的な結婚制度や(二者の排他的な絆を美化する)「対幻想(ついげんそう)」に対する抵抗の一石ともなりうるのだ。
以下、このテーマを阿久悠以降の作詞家がどのように展開させたのか、歌謡曲と女性の生き方をめぐる力学の一端に考察を加えたい。
恋多き女を描く阿木燿子
常に時代を観察していた阿久悠は、フロントホックブラが開発された際、そこに象徴的な男女関係の反転を予感したという。「外してもらうブラジャーと、自分が外すブラジャー」では、女性の主体性に違いが出る、と彼は考えたのである(阿久悠『NHK人間講座 歌謡曲って何だろう』NHK出版、1999年)。
この新しい下着を宣伝するワコールのテレビコマーシャルに、ジュディ・オングの〈魅せられて〉(79年)がイメージソングとして使用されたことは注目に値する。
とりわけ、「好きな男の腕の中でも/ちがう男の夢を見る」という赤裸々な宣言は、女性のポリアモリーに市民権を与えた画期的な一節である。作詞を担当したのは阿木燿子。恋多き女性を描くことに長けた彼女の面目躍如たるものがある。
けれども、阿木の書いた複数恋愛ソングの金字塔は、山口百恵の〈乙女座 宮〉(78年)ではなかろうか。何しろ、「この世に散らばる星」としての男性たちの中から、「ペガサス経由で牡牛座廻り/蟹座と戯れ」るのみならず、「山羊座に恋してさそり座ふって/魚座に初恋」をするのだ。いわば、「恋の相手は星の数」だと豪語した山本リンダ/阿久悠の女性的宇宙をそのまま引き継いでいる。
とはいえ、すでに「山羊座に恋して」いた女性がなぜ「魚座に初恋」をできるのだろうか。もしや、12星座の全制覇を目指していて、魚座以外は初めてではなかったのか!?
なお、この歌のアルバム・バージョンでは、イントロのシンセサイザーがキラキラしたフレーズを3度繰り返し、「複数」の主題をサウンドが補強する。秀逸なアレンジである。
主体的な女性像を描き出した竜真知子
しかし、〈魅せられて〉や〈乙女座 宮〉より一足早く、女性が複数の男性と関係する歌をヒットさせた女性作詞家がいる。竜真知子である。その代表作である狩人の「あずさ2号」(77年)は、愛しく思う相手がいながら、「あなたの知らないひとと二人で」旅に出かける女性の複雑な心理をあぶり出す。
阿木に比べるとメディアへの露出が少ない竜の仕事は、これまで過小評価されてきたように思われるが、昭和の歌謡史において、主体的な女性像を生き生きと描き出した彼女の功績は決して見逃せない。
阿木と竜の連続性を考える際、解散前のキャンディーズが歌った〈微笑み返し〉(78年)は興味深い。この歌は、3人組アイドルが過去に歌った曲の歌詞を阿木がコラージュして作り上げた作品だが、そこには、先行する竜の作詞作品も織り込まれている。
まず明らかなのは「ハートのエース(が出てこない)」への言及だが、もうひとつ、「123(ワンツースリー)あの三叉路で」という箇所が、やはり竜の手になる〈ラッキーチャンスを逃がさないで〉(76年)と響きあっていることに気づく聴き手はかなりの歌謡曲通だろう。
後者は、アルバム『春一番』(76年)に収録され、テレビ番組「プロポーズ大作戦」のオープニングにも使われた歌で、その冒頭、「のっぽのあいつ 太めのあいつ/恥ずかしがりやのあいつにあいつ/誘ってみようよOne Two Three」と歌われている。
これは、「3人以上誘いましょう」と明るく促す爽やかな複数恋愛奨励歌である。
余談ながら、所属するプロダクションの会長から「平成のキャンディーズになれ」と言われたPerfumeは、〈ポリリズム〉(07年)のヒットで一世を風靡したが、中田ヤスタカが作詞作曲したこの歌も、同時進行する「複数のリズム」を「恋」に喩えている点、一種のポリアモリー・ソングであると言いうるだろう。
竜真知子にインタビューしたことがある朝日新聞記者の中島鉄郎によると、〈あずさ2号〉を書いた彼女は、「自分から別れを告げて行動する意志的な女性を描こう、と構想した」のであり、「長く流行歌の世界で描かれてきたような弱い存在、傷つけられ泣き暮れる存在」(朝日新聞2012年9月22日)としての女性像を刷新するのが竜の狙いであった。
実は、同じ問題意識を持っていたのが阿久悠である。別れの場面にこだわった彼は、尾崎紀世彦〈また逢う日まで〉(71年)やペドロ&カプリシャス〈ジョニィへの伝言〉(73年)において、関係が破綻しても泣かない女性、男にすがらない女性を描こうと試みた。
だがそこで、これまでつきあっていた男性と同時に新しい男性を登場させたのは、竜のオリジナルな設定である。
〈あずさ2号〉の語り手は、厳密に言うと、同時に2人の相手と交際しようと計画してはいない。しかし、この歌の大ヒットを受け、翌1978年には、複数の男性の間で揺れる女性、というモチーフが歌謡界ではちょっとしたブームになる。岩崎宏美の〈二十才前〉(阿久悠作詞)、〈Mr.サマータイム〉(竜真知子作詞)、さらには八神純子の〈みずいろの雨〉(三浦徳子作詞)もこのカテゴリーに入る。
竜真知子と竹内まりや
同じ流れは、80年代に入っても途絶えない。