シンガポール手本に進む都市づくり
「世界の金融システムは、巨大なカジノ以外の何物でもなくなりつつある」。ロンドン大学のスーザン・ストレンジ教授は、1980年代半ばの段階で、このように喝破した。この見通しは、2000年代に入り、新しい金融テクニックの発展やヘッジファンドの台頭、さらには世界的カネ余り現象の中で、一層、現実味を増してきている。そして、極めて21世紀的とも見える、このような金融資本主義の展開をうまく活用し、世界に冠たる都市づくりを行ってきたのがドバイだ、といってよい。
ドバイの都市づくりは、当初から、明らかにシンガポールを「模倣」したものであった。アラブ首長国連邦を構成している七つの首長国の一つとしてのドバイは、石油資源に恵まれているとはいえず、それがかえって、石油に頼らない独自のインフラ整備の必要性意識となり、1980年代半ばからの大規模な港湾開発、あるいは、付属施設としての自由貿易区設置、さらには、中近東と世界との橋渡し的機能を期待してのエミレーツ航空設立へと、つながっていく。
強調すべきは、そうした大規模インフラの財源に、近隣産油国の潤沢な石油収入を導入したことだろう。しかも、70年代の2度にわたる石油価格の大幅引き上げで、中東産油国の財布は潤沢であり、産油国側も有望な投資対象案件を物色していた。その意味では、ドバイの都市基盤ともなる巨大インフラ建設は、資金調達の観点からいえば、金融資本主義が大きく膨張する、極めてタイミングのよい時期に行われた。
中東のゲートウエーへと実績積む
ドバイの、いわば「中東のシンガポール」を目標とした都市づくりは、まずは中継貿易拠点としての「海のハブ」、次いで航空路の拠点としての「空のハブ」、さらには直近では、観光振興や金融センター構想などに拡充され、今までのところ、構想の実績も着々と上がっている。たとえば、「海のハブ」面では、コンテナ取り扱いベースで、目標とするシンガポール(世界ランキングで第1位;2005年ベース)に対し、ドバイ港は第9位にまで浮上してきている。ちなみに、その間の2位から8位までに、アジアの港湾が、中国3港(香港、上海、深セン)、台湾1港、韓国1港と大半を占めるが、日本の港湾の名前がないのがまことに寂しい()。
「空のハブ」面でも実績が上がってきている。1980年代半ばに設立されたエミレーツ航空は、世界80都市に飛行ルートを開設、99都市へのルートをもつシンガポールに近づいている。旅客数も、2006年で2900万人(シンガポールは3500万人)に達し、ドバイ国際空港は、既に世界各地からの中近東・アフリカへのゲートウエーとしての地位を固めた、といっても過言ではない。
貿易・輸送交通の発達は、必然的に、それらにともなうファイナンスや保険業務の拡張をもたらす。まして、近隣にはオイルマネーが投資の行き先を探して徘徊(はいかい)している。
金融ハブにも名乗り
こうした状況を捉えれば、ドバイが次に、シンガポールのような「金融ハブ」になろう、との目標を掲げ始めるのは、時間の問題であったわけだろう。そこで持ち出されたのは、金融分野版の自由貿易区とでもいうべき概念である。この概念に沿って、07年3月、ドバイは『国際金融センター』を開設している。同センターは、開設と同時に、多数の外資系金融機関の入居により、即、満杯状況となっている。ただし、中東の金融の要となる市場としては、古くからバーレーンが地歩を固めており、ドバイはようやく、近隣カタールと並んで、バーレーンの後ろ姿を追いかけ始めた、というのが実態に近い。この点、「バーレーンが都市国家として、一応、一国の金融政策を決めうる地位をもっているのに比べ、アラブ首長国連邦全体の金融政策はアブダビで決められており、その中の一首長国に過ぎないドバイは、その分、バーレーンに比べ不利な立場に置かれている。また、バーレーンとドバイの立地コストの差も、かなり大きい」と、そうしたドバイの努力に、一抹の疑問符をつける金融専門家もいるようだ。
金融資本主義に基づく21世紀型都市へ
2000年代半ばのドバイは、有り余るほど流入してくるオイルマネーを元手に、世界地図を模した奇抜な形の人工島の開発や、近代的商業ビル・マンションなど、建設ブームに沸いている。しかし、湾内の水底から掘り出された土を使って人工の島を造る手法は、絶え間ない波の寄せ返しと、引き潮・満ち潮にどの程度の耐久性が確保されているのか、あるいは、高層ビルの耐震性はどのくらいあるのか、この種のリスクに不安を表明する専門家もいる。加えて、中期的には、バブルの崩壊を案ずる声も多い。
ドバイが21世紀のバベルの塔ならぬ、バブルの塔に終わるか否か、その評価は、21世紀の金融資本主義の本質をどう理解するか、そうした視点によっても異なってきそうである。