世界の経済システムを襲う異変
異変の兆候は、一部識者には1980年代前半に既に見えていたのだろう。たとえば、86年には、イギリスのスーザン・ストレンジ教授が名著「カジノ資本主義」(岩波現代文庫)の中で、「世界の金融システムは急速に巨大なカジノになりつつある」と指摘している。また、2000年代半ば、フランスの国営金融機関の社長などを歴任したジャン・ペイルルバッド氏はカジノ化を、“銀行が中核となる間接金融から金融投資家が中核となる直接金融への市場メカニズムの移行”にあるとした。
「この新しいシステムの下では、資本保有者は、いつも流動性を持っていたいと思っており、何かあれば、即、現金化を要求する」。
それが、世界的金余り下でのサブプライム危機→株式市場の下落→銀行と証券の一体化→カネの安全な逃避先なし→石油や資源市場への資金流入→資源価格や食品価格の高騰→実体経済の成長減速、という連鎖反応を生むことにつながってくる。
資源あるアフリカ諸国は、こうした連鎖の中で、資源価格の上昇にともなって国内経済の高成長を謳歌(おうか)するようになる。一方、資源のないアフリカ諸国は、食品価格や長期開発資金の入手が困難になるため、逆に、経済的・社会的困難に見舞われることになる。
資源保有のアフリカには、世界各国が求愛
そんな中、主要国のアフリカ資源への求愛行動が、最近、特に顕著である。たとえば、中国は、台湾問題などの外交課題を視野に、江沢民時代の1995年ごろから対アフリカ戦略を積極化させていた。それが、2000年代に入ると、目的は明らかに経済的なもの、とりわけ資源の安定確保を目指すものに変質し、形態としても、閣僚級フォーラムを3年ごとに定期的に開催するスタイルとなり、06年には、その形態を首脳クラスに格上げして、中国・アフリカ協力フォーラムという形を取るようになり、アフリカ48カ国が代表を北京に送っている。
EU(欧州連合)もアフリカ諸国との間で首脳会議をもっている。第1回開催は00年のエジプト。もっとも、その後は、久しく開催されていなかったが、07年に至り、資源問題が脚光を浴び始めたころ、アフリカからは53カ国の代表が参加し、ポルトガルで第2回EU・アフリカ首脳会議が開催されている。インドもこうした動きに参画している。08年4月、アフリカから14カ国の代表を呼び、ニューデリーで第1回インド・アフリカ会議が開催された。
アメリカのアフリカへの関心も極めて高い。他の国のアプローチと違い、アメリカはアフリカ諸国を一堂に集めて定例的に会合をもつというようなやり方は取っていない。あくまでも、個別テーマごとの支援スキームにこだわっている。
その際、まず基本認識としては、テロとの戦いにおいて、アフリカを最優先支援対象と位置づける。その前提の下で、エイズやマラリア支援、道路や電化、飲料水供給支援などを行い、さらに、貿易を通じた支援として、適格国に特恵関税を供与するなど、手厚い優遇を与えている。加えて、08年10月には、これまでの欧州軍を分割し、新たにアフリカ統合軍を設置するなど、アメリカ軍はアフリカの石油資源を守る機能を鮮明にし始めている。
日本のアプローチ
こうした、各国のアフリカ求愛合戦の最中、08年5月、日本は第4回アフリカ開発会議(TICAD4)を横浜で開催した。訪日したアフリカ諸国の首脳は40人を超え、日本のアフリカ関連のイベントとしては過去最大規模の会議となった。TICAD4から日本のアフリカアプローチの特色を見ると、民間企業のビジネスを通じてのイニシアチブに期待する、といったトーンが極めて高いものだった。
会議の冒頭、福田総理は、「成長のためには、平和で安全な社会を前提とした民間投資がなくてはならず……その際には、インフラ、特に交通インフラを整備する必要があり……一方では、アフリカでの農業の発展、医療や感染症対策の分野での対策充実が必要である」と強調、そうしたインフラ、とりわけ交通網の整備の面での日本の支援強化に加え、日本企業のアフリカ進出をも後押しする、とのメッセージを送った。
資源産業は、資本技術集約的なため、探査の段階で多額の初期投資が必要で、アフリカ諸国の場合などは、それをまず外部から借りて調達しなければならない。その結果、採掘に成功しても、輸出代金の過半は前借り経費の返済に充てられ、残った収益も外国系鉱山会社の手中に残る仕組み。
資源国がかろうじて手中にするのは、当該企業が払う税金部分。それ故、アフリカの資源国が、この歳入増加額を経済全体の底上げのための生産的投資に投下して初めて、資源高価格も生きてこようというものだろう。
資源の好況を成長の端緒に
ここ数年、アフリカは年率6%前後の成長を記録している。これは同地域の人口増加率(年率2~3%)を上回るもので、一人当たりの生活水準が確実に上昇してきたことを示している。こうした好機を捉え、資源部門の好況を他部門の成長の端緒とすることが出来るように経済構造を変革し、もって、アフリカ人の雇用創出に結びつける。そのための洗練された計画樹立とその実行を担保する、民主的に運営される効率的行政組織が不可欠となる。また、併せて、一国主義の弊害を打破し、幾つかの国が交通網でつながって、規模の経済のメリットを享受できるようにする、そんな風なインフラ建設こそが望まれる。08年5月のTICAD4で日本が打ち出した方向は、まさにそうした将来像に向かってのアフリカ諸国の国造り指針であった、といってよい。