ギリシャは難解、理解不能?
英語の慣用句に次のようなものがある。「まるごとギリシャ語で、全然解らない(It’s all Greek to me.)」。要は、誰かが言っていることとか、本に書かれている内容などがちんぷんかんぷんで、まるで理解不能だということを言いたいのである。語源については、諸説ある。例えば、ギリシャ語には固有の独自アルファベットがあり、それが他国人には判読できないために、「ギリシャ語じゃ無理」ということになり、それが「ギリシャ語並みに難解」という言い方につながった、という解釈がある。真相はともあれ、要するに、ギリシャ的なるものは、古来、人々にとって理解することがなかなか難しい。そういうことなのである。
そんなギリシャ的なるものが、21世紀の地球経済をこのところ大いに当惑させ、震撼(しんかん)させている。問題の経緯は、すでに皆さんご承知の通りだ。ギリシャが深刻な財政危機に陥(おちい)った。もともと危機的な状態にあったのに、そのことを政府が隠しだてしていたことも判明した。
ギリシャ問題の発覚を機に、同様の財政事情を抱えるユーロ圏内のその他の国々に関しても世界の不信感が募り、ユーロが売られた。急激なユーロ安のおかげで為替市場は激しく動揺し、対ユーロ圏ビジネスに携わる世界の企業たちの株も売られた。ギリシャとその仲間たちにカネを貸し込んでいる世界の金融機関も、経営基盤が大きく揺らいで窮地に陥った。ギリシャ問題に対処しようとする中で、ユーロ圏あるいはその母集団であるEU(欧州連合)そのものも、屋台骨が崩れるのではないか。そういう心配も広まった。あれよあれよといううちに、ちんぷんかんぷんなギリシャ事情が、地球経済を大波乱の渦に引き込んで行く展開となったのである。
アリ型国家VS.キリギリス型国家
この問題は、2010年6月26~27日の週末にカナダのトロントで開かれたG20サミットにも大いに影響を及ぼした。「ギリシャのことは解らない」どころの騒ぎではなく、「ギリシャになっては大変だ」という思いが、トロント・サミットに集合した首脳たちを覆った。その結果、財政再建というテーマがにわかにサミットの主要議題に浮上することとなったのである。そのことが悪いとは言わない。国々の財政基盤が安定すれば、地球経済が全体として健全化することは確かだ。だが、すべての国々が緊縮財政一辺倒となってしまえばいいというものでもない。それはなぜか。
それを考えるために、ここで地球経済上の国々がアリ型とキリギリス型に大別されるとイメージしていただきたい。その中で、ギリシャがどちらのタイプかは言うまでもない。典型的なキリギリス国である。これに対して、アリ国の典型が、例えばドイツだ。
アリ国ドイツの住人たちは、真面目に一生懸命働いて、蓄えを積み上げる。浪費は嫌いだ。一方のキリギリス国ギリシャは、蓄えを積み上げることはいたって苦手だ。それにひきかえ、浪費は得意。借金も大好きだ。
ただ、ユーロ圏に入るまでは、その浪費癖を周囲に見抜かれて、好きな借金もあまり思うようにはできない境遇だった。このキリギリス野郎に下手にカネを貸すと、返ってこない恐れがある。そう思われていたから、よほどの高金利を約束しないと、ギリシャ国債は誰も買おうとしなかった。ところが、ユーロ圏入りを果たしたことで、ギリシャも、いよいよ心を入れ替えて、ドイツと同じアリさんになったものと買いかぶられた。そこで、一気に借金がしやすくなった。
それをよいことに、ギリシャはどんどん、カネを借りまくった。結局は、文字通りそのツケが回って来ることになり、すっかり窮地に追い込まれていくこととなってしまった。もっと、本気でアリ化を目指していれば良かったものを。
ギリシャについては、確かにこう言える。だが、だからといって、世の中、みんながアリさんになってしまったのでは、実は地球経済は回らない。借金してくれる人がいてこその金貸し業だ。モノを買ってくれる人あってこそのモノづくりだ。その意味で、アリとキリギリスは相身互いだ。
「アリとキリギリス」から「アリギリス」へ
問題は、アリとキリギリスが別々に地球上のあっちとこっちに分かれて存在していることだ。両極端だから、いけない。キリギリス軍団の浪費があまりにもひど過ぎれば、アリさんたちがいくら頑張っても支えきれない。一番いいのは、みんながアリギリスになることだ。アリとキリギリスを、足して二で割る。いいとこ取りである。アリ的な勤勉と、キリギリス的な遊び上手を兼ね備えた新種の生き物。その出現が待たれる今日だ。アリギリス化を目指して、最も頑張るべきなのは誰か。それは明らかにアメリカである。今までのアメリカは、一貫してキリギリスに徹して来た。ヒトのカネに依存してモノを買い過ぎ、大きくなり過ぎて来た。メタボなキリギリスから、筋肉質のアリギリスに変身してくれれば、まわりも随分安心できる。決して全面的にアリ化することは必要ない。ほどよく遊び、ほどよく蓄えるアリギリスを目指して欲しい。
ここで問題なのが日本である。アリギリスといえば、アリギリスだ。だが、そもそも、日本の国内がアリ部門とキリギリス部門にはっきり分かれ過ぎている。民間部門はとてもアリ化している。安いモノしか売らない企業。安いものしか買わない人々。アリ型自己防衛の中で、デフレが深まる一方だ。かたや、政府部門は地球で一番キリギリス化が著しい。このアンバランスもまた、大いに問題だ。政府も民間も、それぞれにアリギリス化を追求する必要がある。
我々がみんなアリギリスになった時、グローバル・ジャングルはかなり住みやすい場所となるに違いない。