ワクチンの確保、PCR検査、休業中の業者への支援、GoToキャンペーン、あるいは布マスクや「会食用うちわ」を配るのにも……当たり前だが、コロナ対策にはお金が必要である。国際比較上、実は日本は、コロナ対策にかなりの巨額を割いている国であるといわれる。しかし、その使い道について、不満を持つ人もいるだろう。
一方で、読者の中には「税や財政のことはよく分からないし、“偉い人”が決めてくれれば別に良い……」と感じる人もいるかもしれない。しかし、人々の意思を反映することなく、為政者が自由に現金(税)を徴収し、使い道も身内をひいきして自由に決定できるのであれば、それは近代以前の「領主支配」への退行だといえるだろう。
税の使い道など、国民が財政について民主主義的にコントロールすることを、「財政民主主義」という。日本では、国会による予算議決権を定めた憲法第83条などで、財政民主主義を掲げている。ところが、今の日本で、財政民主主義が機能していると実感できるだろうか。コロナ対策で異例の歳出規模となった2020年度を例に、日本の財政民主主義について考えてみよう。
コロナ対策でどれだけの税金が使われたのか?
国家予算は前年度中の3月までに国民の代表機関である国会の承認を得て成立するのが原則だ( “当初”から決まっている予算なので、当初予算という)。しかし、コロナ対策に追われた2020年度は3回もの補正予算(前年度中に予測できなかった事態に対応するために追加で組まれる予算)が組まれ、累計額は約73兆円(一次補正予算25.7兆円、二次31.9兆円、三次は19.1兆円から減額分を加味し15.4兆円として概算)にのぼった。平成の30年間で組まれた補正予算累計額が143.3兆円だったので、その約半分がたった1年間のうちに組まれたわけである。
少しずつ増大する歳出と低迷する歳入との差が年々緩やかに広がっていく日本の財政についての折れ線グラフは、横を向いて開いたワニの口になぞらえて「ワニ口グラフ」と長らく呼ばれてきた。しかし、今年の歳出の急激な上昇は、歳出の折れ線グラフを急な角度で上に曲げた。二次補正予算の時点で、もはや「ワニの上あごが完全に折れた」と表現していた財政学者もいたくらいである。
しかし、予算総額はこれだけ拡大したのに、世論調査によると、有効な政策が打たれていないように感じている人の方が多い。共同通信が2021年5月に行った世論調査では、71.5%が「新型コロナウイルスをめぐる、政府の対応を評価しない」としている。
この予算規模と納得感との乖離はなぜ生まれるのか。
額は大きいのになぜ納得感がないのか?
まず一つめの理由は、補正予算の優先順位が「経済>医療」となっていることからくる行政と市民との「価値観」の乖離である。
例えば、新型コロナのワクチン関連の補正予算は、第一次で316億円(「国内におけるワクチン開発の支援」「国際的なワクチンの研究開発等」)、第二次で2055億円(「ワクチン・治療薬の開発等」)、第三次で5736億円(「新型コロナウイルスワクチンの接種体制の整備・接種の実施」)、予備費で7662億円(「ワクチンの確保」「ワクチンの確保等」)が計上されている。それらを概算として足し合わせると、約73兆円の補正予算のうちの1.6兆円程度である。これは経済重視のGoToキャンペーンの補正予算である3兆円程度をはるかに下回っている。
これらを踏まえると、先進国の中で日本のワクチン接種がとりわけ遅れていることも頷けるだろう。このように予算には、何を重要視しているのかという国や自治体の価値観がダイレクトに数値で反映される。医療が重要視されていないことは一目瞭然だろう。
しかし、医療よりも経済優先というのは、多数の人の価値観とはかけ離れているようだ。昨年12月の共同通信による世論調査では、政府は経済活動よりも感染防止を優先すべきだと答えた人が76.2%(「どちらかと言えば」との回答も含む)に達している。また、今年4月の読売新聞とNNNによる世論調査ではワクチン接種の遅れに不満を持っている人が7割に及んでいる。このように、民意と政府の方針には乖離があると言わざるを得ない。