かつて、食べ物がそれほど豊富になかった時代には、食べ物にまず求められるのは「お腹いっぱいになるかどうか」だった。しかし飽食の時代になるとともに、食べ物の安全性や「健康によいかどうか」が重視されるようになり、現在では食品表示法で、食品の製造者・加工者の名前、原材料名、添加物、栄養成分・カロリーなどの表示が企業に求められ、私たちは(常にではないとしても)そのような表示を参考にして、安全性などを確かめてから食品を摂取するようになっている。また、食育などを通じて「偏食しない」、「バランスよく食べる」ということも重視されるようになってきた。
情報も同じではないだろうか。情報があふれる情報「飽食」時代になり、私たちはアルゴリズムにより提供される情報をただ受動的に、あるいは反射的に「食べる」のではなく、摂取する情報のバランスや、安全性・信頼性を意識して「食べる」必要性が高まってきている。このように、情報的健康に対する意識が高まれば、企業の側も変わらざるを得ない。食に対する意識の高まりによって、食品偽装をした会社や消費者の健康に配慮しない会社が生き残れなくなったのと同じように、ただ刺激的なコンテンツをおすすめしてアテンションを奪えばよいという「アテンション至上主義」で私たちの情報的健康を害するようなプラットフォーム企業は市場で厳しく批判され、場合によっては自然淘汰されていく。アテンション・エコノミーに支配された市場をそのように変容させることで、私たちの情報的健康を守ることができるのではないか。
もちろん、「アテンションを得ようとする」こと自体は、決して悪いことではない。ただそのために刺激の強い過激なコンテンツを供給するのではなく、クオリティの高さなど公正なかたちでどうアテンションを得るかを競い合うようなマーケット構造を目指す必要があるはずだ。
さらには、現状では事業者のツールとしてばかり使われているAI技術を、ユーザーの側に実装していくことも考えていかなければならない。「どうアテンションを奪うか」ではなく、「どうユーザーの思考や時間を守っていくか」を考えるために技術を用いるということだ。例えば、スマートフォンに常に自分のアバターが表示されて、情報の「偏食」が続けば痩せたり太ったり、ひどくなれば倒れてしまう……といった仕組みはどうだろうか。
このように、アテンション・エコノミーの弊害を乗り越えるには規制とリテラシーとテクノロジー、三位一体の取り組みが必須だと考える。アテンション・エコノミーが民主主義や人間のあり方そのものを変える可能性があることを踏まえれば、三つの要素が生み出すシナジー(相乗効果)によって、市場構造の変革をできるだけ早く実現していく必要があるのではないだろうか。
過激さを競う「アテンション・エコノミー」の罠 ――中毒的なコンテンツの包囲網にどう立ち向かうか
(慶應義塾大学法科大学院教授)
2025/02/19