「アテンション・エコノミー」という言葉をご存じだろうか。航空機内のアナウンスなどで聞く「アテンション・プリーズ(ご注目ください)」の「アテンション」。すなわち「注目経済」「関心経済」などと訳される。そんな言葉は知らないという人も、実はとっくにその影響下にある。しかもかなり強い影響下に、である。昨今、インターネット上で問題視されるフェイク記事や陰謀論、フィルターバブルやエコーチェンバーといった現象の背景にあるこの言葉が意味するものとは? 慶應義塾大学法科大学院教授の山本龍彦氏に読み解いてもらった。
ネット空間は刺激的で思わず見続けてしまうようなコンテンツで溢れている(写真はイメージ)
SNSは本当に「無料」か
インターネットの発達によって、私たちは今、膨大な情報があふれる「情報過剰」「情報過多」の時代を生きている。その結果、供給される圧倒的な情報量に対し私たちが向けることのできる「アテンション」、つまり「関心」や「時間」(可処分時間)は非常に希少なものになり、それらが経済的な価値を持った交換財として取引されるようになってきた。これが「アテンション・エコノミー」と呼ばれる経済モデルである。
こうした経済モデルのあり方そのものは、1960年代後半に認知心理学者のハーバート・サイモンによってすでに予言されていた。さらに1997年には、社会学者マイケル・ゴールドハーバーが「アテンション・エコノミー」という言葉を使い、「アテンション」こそが未来の通貨になるのだと予測している。
この言葉が今改めて注目を集めている背景には、SNSやニュースサイトなどのプラットフォーム運営事業者が、情報空間の新たな「統治者」として、社会の中で非常に大きな影響力を持つようになったことがある。プラットフォーム企業のビジネスモデルは、まさにこのアテンション・エコノミーに強く依拠しているからだ。
私たちは日常、SNSやニュースサイトを無料で使っているが、本当に何も対価を支払っていないのかといえばそうではない。プラットフォーム企業は、私たちの時間や関心、すなわちアテンションをページビューやエンゲージメント(滞在時間)、「いいね」の数といった形で指標化し、広告主に販売して利益を得ている。つまり、私たちは金銭こそ支払っていないけれど、ある意味では金銭よりも有限で貴重な、アテンションという価値を払っていることになるのである。
全生活空間を包囲するアテンション・エコノミー
「アテンションを広告主に売ることで利益を得る」というだけなら、例えば民放テレビも「視聴率」によってアテンションを測っているわけで、構図としては同じといえるかもしれない。しかし、そうしたかつてのビジネスモデルと、現代のアテンション・エコノミーとの間には大きな違いがある。
まず、民放テレビには「放送法」と呼ばれる法律が適用されるため、公共性や民主主義に著しく反する運営はできない。つまり、視聴率を取るためとはいえそこには「やってはいけないこと」が存在し、アテンション奪取に完全に振り切ることはできないのだ。ところがインターネット上のプラットフォーム企業には、現在そうした法的な規制が存在しないため、ひたすらアテンションだけを追求する「アテンション至上主義」が可能になってしまう。
また、スマートフォンの普及が与えた影響も大きい。テレビであれば、スイッチをオフにすればそこから離脱することができるが、スマートフォンの場合なかなかそうはいかない。かつてはテレビを付けたときだけ、あるいはパソコンを開いたときだけ私たちの前に存在していたアテンション・エコノミーの世界が、四六時中すぐそばにあることになる。
そうした傾向をさらに加速させたのが、AIの進化だ。AIは、ウェブの閲覧履歴などを通じて収集したパーソナル・データをもとに、人の属性や趣味嗜好、心理的・認知的な特性などを詳細に分析(プロファイリング)し、その人のもっとも「弱い」ところを刺激するような情報を提供できる。特にショート動画サイトなどでは、その人のアテンションを引きつけられそうな動画を巧みにつなぎ合わせることで、つい見続けてしまう「中毒的」状況を作りあげているともいわれている。読者諸氏も、2、3分ショート動画を見ようと思ったら、いつの間にか30分、1時間経っていたという経験はないだろうか。まさにアテンションを奪われ、「やめられない、とまらない」状況がAIやUI(ユーザーインターフェース)によってデザインされているともいえる。こうなってくると、アテンション・エコノミーから主体的に距離を取ることは非常に困難だろう。
ノーベル賞を受賞した経済学者のダニエル・カーネマンは、人間の思考には非常にファスト(速い)で反射的な「システム1」と、スローで熟慮型の「システム2」という二つの思考モードがあり、人間はそれを使い分けながら生きていると述べた(ダニエル・カーネマン著・村井章子訳『ファスト&スロー(上・下)』、早川書房、2012年)。ショート動画などのコンテンツは、この「システム1」、ファストな思考モードに積極的に働きかける一方、熟慮型の「システム2」を抑えるような働きかけをしているとも考えられる。深く、ゆっくり思考する時間を与えず、人間の本能的・生理的なところを直接刺激することで、アテンションを獲得しようとしているのだ。
そう見ていくと、私たちが自分で主体的にアテンションを振り分けているというよりも、アテンションを他律的に奪われているのが現代社会だといえるかもしれない。スマートフォンの普及やAIの進化といった要素が相乗効果をもたらし、私たちの生活全体がアテンション・エコノミーによって常に包囲されているような状況が生まれてきているようにも思われる。アメリカの学者は刺激=反射(クリック)の連鎖に包囲された私たちを「囚われの聴衆」とも呼んでいる。
「アテンション至上主義」が生み出すもの
こうした状況は、私たちの時間を「奪っている」だけではなく、社会にさまざまな影響をもたらしている。
まず、アテンション・エコノミーのもとでは、「アテンションを得られるかどうか」が最重要事項になるので、内容のクオリティや信頼性を問わず、刺激的で人が思わずクリックしてしまうようなコンテンツが情報空間にあふれることになる。偽・誤情報の拡散や誹謗中傷、陰謀論の広がりなども、まさにアテンション・エコノミーが生み出した病理だといえるだろう。