終わりのない役人人生
天下りとは、神が天界から地上に下る(天降る)が転じたもので、中央省庁の幹部職員が官職を退いて、民間会社、独立行政法人、公益法人、特殊法人などの理事長、会長、専務理事などの役職に就くこと。天下りを繰り返すことを「渡り」と呼ぶ。天下りに似通った現象をフランスでは「パントゥフラージュ」といい、「自宅でくつろぐとき履くスリッパ」の派生語であるのに対し、日本では官を天になぞらえているから、官の尊大ぶりがわかる。
国家公務員採用1種試験に合格し幹部候補生として採用された官僚を俗にキャリアというが、キャリアの人事は大臣官房秘書課が取り仕切る。キャリア官僚は、ほぼ横並びに本省の課長ポストぐらいまでは昇進していくが、その後、ポストが減るので、順次、定年を待たずに、「肩をたたかれて」退職を促される。同期入省者から事務次官が出ると、その他の同期入省者はすべて退職しているのが慣例となっている。大臣官房秘書課は、早期勧奨退職職員の退職後の収入を保証するため、再就職先を確保し、仲介・あっせんをする。これが「天下り」人事。事務次官も天下る。この人事の世話になるかぎり、「役人人生」は終わらない。
あっせんの実態と官僚の言い分
民主党調査に対する総務省の回答(2009年2月)では、07年度に早期勧奨退職した国家公務員は1071人(集計対象は各省庁課長・企画官相当以上の幹部職員)で、うち、各省庁が天下りをあっせんしたと認めた事例は329人であったという。これには、省庁OB(「過去官僚」)が後輩にポストを引き継がせるような事例(「天下り指定ポスト」)は含まれていない。ちなみに、「渡り」は06年から08年までの3年間に32件あった(内閣の答弁書)。最近では、国からの交付金が投入されている各種法人へ天下り、それらを渡り歩いて高額の給与や退職金を受けていることへの批判がつよい。キャリア官僚に言わせれば、公務員の給与は同等の学歴を有する大企業の役員等と比較すると著しく低いのに、しばしば休日を返上し深夜に及ぶ激務に耐えて働いており、早期退職を迫られるのならば再就職先がなければ困るし、再就職のポストに見合った額の給与や退職金を保証されるのは当然で、しかも早期勧奨退職の慣行は有能な人材の新陳代謝に役立っている、という。
早期退職を促す慣行をやめよ
しかし、官民癒着と高額報酬の温床になっているから、出身省庁のあっせんによる天下りを禁止すべきだという声が強まり、07年に成立した改正国家公務員法では、各府省が個別に天下り先をあっせんする慣行を廃止し、再就職に関しては「官民人材交流センター」に一元化されることになった(実施はセンター設置後3年以内)。また、「1種試験」採用者が自動的に幹部に昇任する特権的なキャリア人事をやめ、公平で厳正な人事評価を行って、定年まで働ける環境を整備することが必要ではないかということになった。人事院では、国家公務員の定年を65歳まで段階的に引き上げる定年延長や、60歳で管理職から外れる役職定年制などの検討に入っている。国家公務員の再就職を一律に禁止すれば、天下りを根絶できるが、それは、個人の就業の自由および職業選択の自由を不当に制限しかねないし、官職に見切りをつけ定年を待たずに別の人生を送りたいという希望を無視するわけにもいかない。しかし、事務次官をトップにしたピラミッド型組織を維持するために、定年前に退職を促す慣行はやめるべきである。キャリア人事と早期勧奨退職の廃止は、明治以来、戦後のGHQ(連合国軍総司令部)による改革をさえ生き延びた霞が関人事のあり方を転換することになる。
改革は出口から入口へと進展する
省庁あっせんの天下りの禁止は、人事管理のいわば出口を絞ることであるが、これにより、入口の採用試験や中間の配置、昇任のあり方、さらには制約されてきた労働基本権の問題にも改革が及ぶ。政府は09年1月、国家公務員制度改革に関する「工程表」を発表した。その主な内容は、(1)「内閣人事・行政管理局の設置」(幹部職員等の一元管理。政府全体を通ずる国家公務員の人事管理について、国民への説明責任を果たす体制を整備する。そのため、総務省行政管理局の行政の機構・定員・運営、人事院の級別定数の設定および改定、任用・研修・試験に関する企画立案など、関係行政機関の機能を内閣官房へ移管する)、(2)「国家戦略スタッフ」(国家戦略スタッフの服務は内閣危機管理監に準じたものとし、国会議員は国家戦略スタッフを兼ねることができ、首相補佐官は廃止する)、(3)「労働基本権の検討」(国民に開かれた自律的労使関係制度の措置に向け、09年中に労使関係制度検討委員会の結論を得る)。
日本官僚制変革の足音が大きくなりつつある。