「安倍政権の下、日本は右傾化しているのか?」という問いをめぐって、昨今、国内外で議論がかまびすしい。
右傾化の懸念を表明する論者たちは、特定秘密保護法の制定や集団的自衛権行使容認のための解釈改憲など、行政府の権力を強化する一連の動きを始め、靖国神社参拝や「河野談話」作成過程の検証など、歴史認識にかかわる問題での中国や韓国などとの関係悪化に注目する。他方で、政権擁護の立場からは、こうした施策は日本を取り巻く安全保障環境の変化、とりわけ膨張主義を止めない中国の脅威への合理的な対応にすぎず、アベノミクスなど経済分野での取り組みも含めて見れば、安倍晋三首相が、停滞してきた日本の政策ポートフォリオの近代化を進める改革者であることが理解できるはずだ、という主張がなされている。
日本に限ったことではない
筆者の見解は、日本政治の右傾化は現実に起きており、深く憂慮すべき事態となっているというものだが、右傾化そのものについては、安倍政権の存在をはるかに大きく超えるグローバルな規模で、過去30余年かけて断続的に進んできた「新右派転換」にあると考えている。言い換えるならば、安倍が日本の右傾化を推し進めていることは否定しないが、右傾化は安倍で始まったわけでなく、安倍で終わるわけでもない。
また、新右派転換による政治の右傾化傾向は日本に限ったことではない。それどころか、多くの民主国家のみならず、権威主義体制においても同様のことが起きており、そういう意味では、例えば北東アジアにおける緊張の高まりについて、日本だけが悪くて中国や韓国は何も責任を負っていないということではない。
端的に言えば、新右派転換とは「自由経済と強い国家」(アンドリュー・ギャンブル)、すなわち新自由主義的な経済政策と権威主義的な国家のあり方を組み合わせた新右派連合(New Right Coalition)への転換のことだが、こうした政治、経済、社会の変容によって、労働者や一般市民の権利を制限し、自らに権力を集中させる政官財エリートたちが、国内外においてさらに強権的にふるまう政治潮流は今や世界的な規模で展開されている。
右へ右へと振れていく
新右派連合の知的基盤は古くはフリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンなどの経済学者によって築かれたが、実際の政治での実行は1979年にイギリスで発足したマーガレット・サッチャー首相(在任1979.5~90.11)の保守党政権を皮切りとし、80年代に押し寄せた新右派転換の第一波は、サッチャーとともにアメリカのロナルド・レーガン大統領(在任1981.1~89.1、共和党)、そして日本では中曽根康弘首相(在任1982.11~87.11)らによって率いられた。しかし、その後の反発もあり、新右派転換は単線的に一息で貫徹されたわけではないが、押しては返す波のようにやがて満潮を導いたのである。
こうした過程は支点が徐々に右にずれていく振り子にも例えることができるだろう。左への揺り戻しは起きるのだが、次に右に振れるときは支点も一緒に右へ動き、さらに大きく右へと振り子は振れる。その次に左に振り戻したときは前のサイクルで最も右だった位置までしか戻らないというわけである。
日本における新右派転換の総理大臣として、中曽根の後では六大改革を掲げた橋本龍太郎、そして聖域なき構造改革や郵政民営化改革で「自民党をぶっ壊す」と絶叫した小泉純一郎が挙げられる。彼らはみな長きにわたり戦後の保守本流を担った旧右派連合と対峙(たいじ)した改革派(自由な経済)として市場に歓迎された一方、首相在任中に靖国参拝を行ったナショナリストの側面(強い国家)を持つ。むろん「戦後レジームからの脱却」を標榜する安倍も新右派連合の系譜に位置づけられる。
「勝ち組」の自由が最大化される
ところで、この新右派転換が進捗(しんちょく)し、「勝ち組」と「負け組」の固定化が進んでくると、当初、日本で言えば中曽根時代に、新自由主義をまがりなりにも自由主義の一種たらしめていた「自由」志向が、政策的にも露骨に「勝ち組の自由」を最大化することへと変質していく。アダム・スミスらが理想としていた自由市場や自由貿易とはかけ離れたグローバル企業と国家権力の癒着が随所で明らかになってくるのである。
政治においても経済においてもこうした寡頭支配が「自由」や「民主」といった価値を深刻に脅かすに至って、自由民主主義世界の旗頭であるはずのアメリカでさえ「オキュパイ・ウォールストリート」運動などにおいて強烈な批判にさらされるようになった。日本においても、国民の過半数が一貫して反対しているにもかかわらず、政官界の保守統治エリートと癒着したグローバルな原子力業界が自らの利益を守るべく汲々(きゅうきゅう)としていることが一つの例として挙げられるだろう。
このようなグローバルな寡頭支配の現実を覆い隠すために、しばしば「改革」の旗印や復古ナショナリズムが使われてきたことを正視する必要がある。そして「自由」や「民主」の実質を取り戻すための抵抗運動の高まりを引き起こす民衆の知性のみによって、右傾化をくい止め、大きく崩れた政治システムのバランスを回復することが可能となる。
フリードリヒ・ハイエク
Friedrich August von Hayek、1899~1992
オーストリアの経済学者。個人と経済の自由を重視する「リバタリアニズム」思想家。ハイエクの思想は、アメリカのロナルド・レーガン元大統領やイギリスのマーガレット・サッチャー元首相らの政策に影響を与えた。1974年ノーベル経済学賞を受賞。
ミルトン・フリードマン
Milton Friedman、1912~2006
アメリカの経済学者。金融政策を最重要視する「マネタリズム」を提唱。アメリカのレーガン政権で経済政策諮問委員を務めた。市場原理を重視するフリードマンの提言は、イギリスや日本などの経済政策にも取り入れられた。1976年ノーベル経済学賞を受賞。
アダム・スミス
Adam Smith、1723~90
イギリスの経済学者。古典派経済学の創始者であり、「近代経済学の父」と呼ばれる。自由放任主義の経済を説き、政府が介入する経済政策は必要最小限であるべきだと主張した。1776年に発表した「国富論」は、経済学を初めて科学的に体系づけた著書として名高い。
オキュパイ・ウォールストリート運動
アメリカ・ニューヨーク市のウォール街周辺で2011年9月に始まった若者らによる大規模な抗議運動。経済格差の拡大が問題視されるアメリカで、格差是正などを訴えて起こされた運動であることから「反格差社会デモ」とも呼ばれる。デモ参加者はインターネットの交流サイトや動画サイトなどを通じて広がり、首都ワシントンやロサンゼルスなど全米各地に波及した。