投票することが不自然なことですから、なぜ、どのように投票するのかということについての絶対の正解というのはありません。つまり、人が投票する先を決める理由はたくさんあるし、それぞれの理由や都合にあわせて投票していいということです。民主主義というのはその程度にはルーズに出来ている仕組みなのです。
結局、民主主義ってどういうこと?
いろいろな調査をみる限り、言われているのと違って、日本の若者は意識が低いということはなく、政治や社会に関心を持つ度合いは比較的高いことがわかっています。ただ日本では、投票以外の形で政治に参加する人の数が他の国と比べて非常に少ないということもわかっています。最近では大学生や高校生たちのデモが話題になっていますが、それでもまだ他の国と比べたら少ない方です。投票が民主主義のすべてではありませんから、投票することだけに頭を悩ます必要はありません。デモに参加するだけでなく、政治家に意見を伝えたり、知っている人と政治について意見交換したりすることも、立派な政治参加のひとつです。投票以外にも、政治に参加することがあまり盛り上がらないのにはいろいろな理由がありますが、一つは民主主義というお約束が目に見えず、抽象的なものであるということもあるでしょう。
先に紹介した日本国憲法の前文を読み返してみましょう。そこに書かれているのは民主主義とは、国民が自分たちの生きる社会や生きたいと思う社会を、政治家たちに自分たちの権力を預けて実現していくことだ、ということでした。これは、政治に参加しないと、自分たちのことは自分たちで決められない、自分たちの運命を自分たちで切り開くことができないということです。
確かに、自分たちの生きる社会のことを自分以外の人たちと一緒に決めていかないといけないのは、具体的に考えると、なかなか難しいことです。もっと言えば、フィクションといってもいいかもしれません。でも約束事というのは多くの場合、抽象的なフィクションです。だから民主主義という政治は、有権者が約束を果たそうとしないと、すぐに堕落していきます。そして、抽象的でフィクションとしての民主主義を、本当のものに近づけるために選挙と投票という手段があります。
例えば「愛」というのは目に見えない抽象的なものです。あるといえばあるけど、ないといえばないかもしれません。そこで実際に「愛」を作っていくのは、愛のある行動や言葉です。民主主義も同じで、それが本当にあるかどうかを問うのはあまり意味がなく、本当のものだと信じて行動し、考えていけば本物になっていきます。それを自覚することが有権者になるということなのです。
どのように民主主義の約束を果たしたらよいの?
自分の運命を自分以外の人たちとともに決めることができるし、決めなければならない――そんな民主主義の抽象的な約束事を有権者がわかっているのなら、その人が投票に行こうが行くまいが、あまり問題ではないとボクは思っています。何も考えないで投票したからといって、それでは有権者であることの意味はありません。投票することの理由、投票しないことの理由、つきつめて考えることができれば、それが立派な有権者になるということです。ただ、その理由を一生懸命考えないと、民主主義という約束事は果たせません。そんな難しいことを言われてもっと困ってしまったって? そうだとしたら、政治学者としてのボクの役目は十分に果たせたことになります。どうぞ存分に悩み、そして行動してください。