さらに、同年12月6日に開かれた自民党文部科学部会ではこの調査の結果報告があり、出席者によると「与野党を含め、特定政党への投票呼びかけがあった」「安全保障関連法、憲法について偏った説明をした」などの例が紹介され、「教師の職業倫理とりわけ政治的中立性を確保する」として、政治的中立性逸脱に対する処分厳格化を導入する方向性が了承されたという。(「朝日新聞」16年12月7日朝刊を参照)
しかし、こうした動きにより、教師の発言の自由が制約されることとなれば、教育現場の自由は奪われ、主権者教育を推進していくことは困難となる。教師が沈黙を余儀なくされ、統制される中で、子どもだけが自由に発言してよい、積極的に政治に関わるべき、という発想を持つことは極めて困難であろう。教師たちの中でも、閉塞感ととまどいが広がっている。
確かに、地方公務員法によって公務員の政治的行為は制限されている。しかし、制限されるべき「政治活動」とは人事院規則で明確に限定されており、その内容は、特定の政党への投票勧誘、政党への勧誘、署名活動などである。公職選挙法137条は、教育者は「学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位を利用して選挙運動をすることができない」と規定しているが、個別政策への見解を述べたり、まして日本国憲法の理念に合致する「戦争反対」という個人の心情を表明したりすることは、禁止されている選挙運動には該当せず、「政治的中立」に反するとして禁止されることはあり得ない。
現行法を逸脱して、「政治的中立」を過度に要求して教育を統制することになれば、教師の学問、教育の自由、表現の自由(憲法23条、26条、21条1項)にも抵触することになるだろう。
また、統制により、効果的な主権者教育が受けられなくなるとすれば、子どもの教育を受ける権利(憲法26条)の侵害にほかならない。国際自由権規約や子どもの権利条約に規定される「表現の自由」の保障には、「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む」と明記されている。教育のプロセスにおいて、子どもが多様な政治的見解、政治に関わる情報を求め、それらの情報を受ける権利を奪われることは、子どもの表現の自由の侵害でもある。
子どもを政治から遠ざけてはならない
こうして見てくると、政府および自民党の一連の行為は、高校生の政治的活動や、教育課程において政治について考え、主権者としての意識を高める方向性とは逆行していると言わざるを得ない。「政治的中立」を理由とした教育現場への統制は慎むべきである。そもそも、子どもの権利条約に基づけば、選挙権の如何(いかん)にかかわらず、子どもの政治的活動は制限されてはならないはずであり、子どもの政治的活動の自由を保障・促進することを基本とすべきである。文科省は、政治的活動の規制や届出制の容認とも捉えられかねない「通知」「Q&A」を直ちに撤回し、政治的活動の原則的自由を明確にする通達を出しなおすべきである。
2016年には、総務省と文科省が作成した副教材「私たちが拓く日本の未来」が、公立私立を問わず全国の各高校(中等教育学校後期課程、特別支援学校高等部を含む)に配布された。そのサブタイトルには「有権者として求められる力を身に付けるために」とある。
そこに掲げられた目的を実現するためには、高校生が政治的活動を自由に行える環境を保障していくことこそが大切である。
日本の将来、民主主義の未来を担う世代を政治から遠ざけてはならない。