日本側は日米安保を継続するつもりでしたが、アメリカは60年安保と同様の闘争が再び起きないかと懸念して、この「70年問題」をかなり真剣に捉えました。そして、日本に条約を続ける気があるのかをしきりに確認していました。
帰島問題が返還の機運に拍車をかける
また並行して、60年代には小笠原旧島民の帰島問題が盛り上がりを見せていました。戦時中の強制疎開に加え、戦後のアメリカ占領期には、欧米系島民とその家族しか島へ帰ることを許されませんでした。
アメリカはその後も占領を続ける中で、数百人でもいいからどうか帰島させてくださいという旧島民からの嘆願をたびたび受けましたが、一貫して拒否しています。
もしも旧島民を抱えてしまうと、小笠原基地の秘匿性を失ってしまううえに、現在も沖縄で絶えず発生している基地と住民との間の軋轢、いわゆる「基地問題」が小笠原でも起きかねないからです。基地として使う以上は帰島を受け入れない、受け入れるくらいなら返還してしまったほうがまだ良い、というのが当時のアメリカのスタンスであったと言えるでしょう。
そんな中、67年4月に東京都知事に就任した美濃部亮吉は、帰島問題に積極的でした。アメリカの国務省は美濃部都知事の就任直後、駐米日本大使との会談で、今後、小笠原問題が加熱してくるのではないかという懸念を直接伝えています。
これらの要素が重なりあい、アメリカが日本の世論や政府の意向を気に掛けるという局面が、戦後の日米関係の中で初めて訪れたのです。
アメリカとしては、どうにか日本の世論を変える必要があります。領土をめぐる戦後処理に対して、アメリカが好意的な対応を取る用意があることを、大々的に示す必要性が急速に高まりました。最も効果的なのは沖縄返還ですが、ベトナム戦争を遂行するためには沖縄を手放すことはできません。そこで代替案として浮上したのが小笠原です。
交渉の末、最終的に67年11月、佐藤栄作首相とアメリカのリンドン・ジョンソン大統領との間で返還が合意され、68年6月、小笠原諸島が返還されることとなったのです。
小笠原返還後の軍事利用
建前から言うと、小笠原の施政権が全島一括で返還され、米軍基地はなくなりました。よって、いわゆる米軍基地問題は起きません。
ただし、厳密には返還後も、冷戦が終わる90年代初頭まで、南鳥島と硫黄島にアメリカの沿岸警備隊(コーストガード)が常駐していました。硫黄島には、同時期にアメリカのアンテナ基地も置かれていました。これが核戦略に使われていたのは明白なのですが、名目上はウェザーステーションということにされていました。この施設も、冷戦終結とともに撤収しています。
その後、小笠原にアメリカ軍が常駐するということはなくなりました。とはいえ、硫黄島に関しては、日米安保条約第6条に基づき、米軍による自衛隊施設利用が今も行なわれています。2017年には、空母艦載機による離着陸訓練が2度実施されました。このうち5月2日から11日間の訓練では、離着陸の実施回数約3100回。うち、夜間の訓練が約990回。1日当たりの参加人員は最大約300人という大規模軍事訓練です。日本政府や自衛隊の協力なしには実施不可能でしょう。
「硫黄島が居住に適さない」のは事実か?
小笠原諸島が世界自然遺産に登録され、父島などが観光客を集める一方で、硫黄島は、いまだに日本政府によって旧島民の帰島が許されていないばかりか、民間人の自由な上陸さえも制限されています。
このため、1万柱以上が残されている戦没者の遺骨収集も、終わりが見えない状況にあります。硫黄島の滑走路の下にも多くの遺骨が埋まっていることがわかっているのですが、この先も基地として使われる以上、その下を掘り返すことは不可能です。
しかし、アメリカでは旅行会社が「硫黄島ツアー」を催行しており、これに参加すれば、時期は限定されますが民間人でも上陸できます。日本にいては遺骨収集の目的でさえ滅多に上陸できないというのに、かたやアメリカからであれば、「観光」に来ることができるのです。あまりにも理不尽、不条理ではないでしょうか。この不可解な状況を、多くの日本人が知らないというのも問題です。
硫黄島は、旧島民が語っていたとおり、人が住めない島ではありません。ただし、日本政府は帰島を望む人たちに対し、不発弾があること、火山活動が活発で地盤の隆起・沈下が激しいことなどを挙げ、居住が難しいとして帰島を許可していません。
しかし、かつては核配備されるほどの米軍基地が機能し、現在は自衛隊基地が置かれている。しかも観光に利用されている硫黄島が、それほど居住に適さない危険な島だということがあり得るのでしょうか。
さらに18年4月5日付毎日新聞で、防衛省が硫黄島に防空レーダーの設置を決めたことが報じられました。中国の太平洋地域における活動が活発になったことへの対処の一環のようです。このレーダー配備によって、かなり帰島問題の解決が遠のいたのではないかと思います。
不発弾や火山活動によって住民を帰島させることができない。それが事実だとしたら、そんなところにレーダーのような精密機械を置けるでしょうか。住民がいないからレーダーを置く、レーダーを置くから住民を帰島させられない。そうした意図がないと言えるでしょうか。国には旧島民に対する説明責任を果たす必要があります。
硫黄島の問題を考え続ける意味とは
戦後70年を過ぎ、戦争の記憶は遠くなりました。存命の旧硫黄島民も80代以上です。仮に帰島許可が出たとして、そんな高齢の方々が帰っても大変なだけでは、という意見もあるかもしれません。しかし、自分に置き換えて考えてみてください。ある日突然、住み慣れた町から追い出されて、帰りたくても帰れないという状態が、70年以上にわたって放置されているとしたらどう感じるでしょう。
帰島問題の本質というのは、生活が可能かどうかではありません。国家によって、国民が、国内で「難民」化させられているという状態こそが問題なのです。
日本国憲法第22条には、居住、移転の自由の保障が明記されています。当然、旧島民には、ふるさとに帰る権利があります。その権利を国家によって不当に制限されているのです。硫黄島の旧島民は年々亡くなられています。国家が理不尽に人権を侵害し続けている状況を正常化するタイムリミットが迫っていると感じます。旧島民が全員亡くなってしまっても、それで「解決」したことになどなりません。法治国家として大きな汚点を残すことになるでしょう。
帰島を望む旧島民の現状を放置することは、国家による人権侵害の前例を許すということ。過去に前例のあったことは、いつか自分にも降りかかる可能性があるのです。返還50周年の節目に、多くの人々が他人事ではないのだと考え、問題意識を共有する契機になってほしいと切に願います。