さらに難民申請の結果が出るまでに平均2年半、長い場合で10年近くかかるという。
私はこの数に違和感を抱く。というのは、1970年代末、日本は、ベトナム、ラオス、カンボジアからのインドシナ難民を約1万1000人も受け入れた過去があるからだ。なぜ今難民を受け入れないのか。野津さんはこう説明する。
「インドシナ難民は日本政府も外圧で受け入れを決め、批判されない程度の人数を受け入れたんです。同時に、1981年、日本は『国連難民条約』を批准しましたが、問題は、インドシナ難民以降に難民をどう受け入れるかの方針を決めてこなかったことです。ただ、『偽難民を排除する』ことに力を割いているのが現状です。つまり、難民保護よりも管理を優先しています」
その管理の象徴が入国管理センターだ。
国際的な条約として日本も批准した「国連難民条約」は、難民の保護や待遇などに関して取り決めたもので、1951年に採択され54年に発効した「難民の地位に関する条約」と、1967年に採択された「難民の地位に関する議定書」のことだ。日本は批准後の1982年に「出入国管理及び難民認定法」が成立しているが、難民を管理するという姿勢が強いものだ。
前出のMさんも含め、難民はとにかく命を守るために生活基盤のあった地域や国から「逃げる」ことを優先する。その際、安全で、子どもがまっとうな教育を受けられる先進国へと願うのは当然であり、過去70年以上戦争をしていない日本に憧れる人は多い。だが、その日本でまさか長期間収容されるとは誰も想像していない。
入国管理センターではどのような収容生活をしているのか?
スリランカ人のPさんには、働いている日本人妻がいる。つまり、住所も保証人も有するのに、仮放免されないことが理解できない。
Pさんはスリランカで反政府運動をしていたが、友人が何者かに殺されたことに危機感を覚え、2008年1月17日に来日した。生きるためにアルバイトをしていたが、2010年3月24日、オーバーステイがばれて入管に身柄を拘束された。仮放免されたのは2年半後の12年9月13日。その翌年に日本人女性と結婚する。
その後、数カ月おきに仮放免を更新してきたが、17年10月の更新手続きの際、更新が認められずに即、東京都港区の東京入国管理局に収容される。Pさんはここで2回の仮放免申請をするが認められず、今年3月28日に牛久に移送された。ここでも2回の仮放免申請をするが、やはり理由を開示されずに仮放免は認められない。
「もうストレスです」
Pさんはくたびれている。「見てください」と頭を下げた。頭頂部に頭髪がない。
「ここでは毎日同じ生活です。おなかが減るから食べるだけで、食事らしい食事とは言えません。ビールだって飲めません。いつ出られるのかもわからない不安で夜も寝られない。髪も抜けるし、ここでは私、動物よりも下の扱いです。なぜ仮放免が認められないのか、その理由すらもわかりません」
Pさんはこれまでに3年半を被収容者として過ごしている。この失われた3年半を取り戻すことは誰にもできない。
「仮放免は簡単には出してもらえません」
こう断言するのは、この入国管理センターに2年8カ月もの長期にわたって収容されていた韓国人の金毅中(キム・イジュン)さんだ。現在、仮放免中の金さんは同じような苦しみを味わう仲間を支援するために毎週のように面会行動を実施している。金さんはこう証言する。
「私が収容されていたのは2010年頃ですが、当時は仮放免申請の結果が出るのはだいたい60日後が多かった。でも、今では75日が多く、ひどい人だと100日超えもあります」
入国管理センターは刑務所ではないから、収容者に作業させることはない。差し入れのテレフォンカードで外に電話をすることもできる。だが、人によって強いストレスになるのは、6畳間の和室に5人が住むことだ。
「それも、国籍も、宗教も違う人たちです」
自由時間は9時20分から11時40分と13時から16時半まで。これに加え、1日40分の運動時間があるが、それ以外はこの6畳間にいなければならない。
私が面会した複数人はただ「苦痛です」と訴えた。
病気になってもすぐには医者に診てもらえない
入国管理センターには様々な問題があるが、その中でも特に大きな問題として、金さんは「医療」をあげる。
「管理センターには外から通いで来る医師や看護師はいます。でも、たとえば頭痛ひとつとっても、人によりその原因は様々なのに汎用薬を与えられることが多いのです。そして、具合によっては外の病院に行かねばなりませんが、すぐには行かせてくれない。これは絶対におかしいです」
もし病気になり、外部の病院に行く必要があるとき、収容者は申請書を書かねばならない。ところが、それを書いたからといって、直後に診察を受けられるわけではない。申請書を書いてから外部の病院で実際の診察が受けられるには、平均14.4日。最長で54日もかかっている。
金さんの収容中にこんなことがあった。収容者には1日40分の運動が許可されるが、あるインド人が転んで足を骨折した。すぐに手術をしなければならない。だが、そのときは金曜日の午後。