実際、外務省が作成した部内向けのマル秘の日米地位協定解説書(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年)には、以下のように、そのことが明記されている。
「北方領土の返還の条件として『返還後の北方領土には施設・区域を設けない』との法的義務をあらかじめ一般的に日本側が負うようなことをソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる」
プーチン大統領に歯舞・色丹島を日本に引き渡す気が本当にあるかどうかは別にして、たとえその気があったとしても、安保条約・地位協定に絡むこの問題が解消されない限り、引き渡しは永遠に実現しないだろう。
プーチン大統領自身、2016年12月に山口県で安倍首相との首脳会談を行った後の共同記者会見の場で、この問題への懸念を表明している。
「ウラジオストクとその北部に2つの大きな海軍基地があり、我々の艦船が太平洋に出て行くが、(北方領土問題を話し合うに当たって)我々はこの分野で何が起こるかを理解する必要がある。私が言いたいのは、日本とアメリカの特別な関係、日米安全保障条約における(日本側の基地提供)義務のことだ。我々は、日本がこうした機微に触れる事柄でロシア側の懸念を考慮することを望む」
プーチン大統領のこの発言は、アメリカが日本のどこにでも米軍基地の設置を要求できるという日米の「特別な関係」が、ロシアが日本と北方領土問題を協議する際の最大の懸念事項となっていることを証明している。
アメリカは「権利制限」にオッケーするか
結局のところ、日本はアメリカからゴーサインをもらわない限り、ロシアとの北方領土問題の交渉を前に進めることはできないのである。
また、仮に安倍首相がトランプ大統領の了承を得て「歯舞・色丹島に米軍基地は置かない」と言ってみたところで、ロシア側の懸念は払拭できないだろう。それはあくまで「政策的合意」であり、日米安保条約・日米地位協定に基づくアメリカの「権利」が消滅するわけではないからだ。
ロシア側が、歯舞・色丹島を日本に引き渡す場合、両島に米軍基地を置かないことを日米間で公式に合意することを求めているとの報道もある(11月14日、テレビ朝日)。ロシアが、将来にわたって日米両政府を縛る公式の合意を求めたとしても不思議ではない。日露間のいかなる合意も、第三国であるアメリカを直接拘束することはないからだ。
しかし、アメリカが日本のどこにでも米軍基地の設置を求める権利に「例外」を設けることに同意する可能性は、残念ながら極めて低いと言わざるを得ない。なぜなら、この権利の獲得は、アメリカが日本と安保条約を締結する際に最も重視したものだからだ。
1951年1月に日本政府と安保条約の交渉を行うために来日した米国務省顧問のジョン・フォスター・ダレス氏は、交渉開始を前にした米交渉団の会議で「我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である」と語った。そして、実際に、この権利を獲得したのである。この権利は、アメリカが手にした他のさまざまな特権と同様に、条文における表現はいくらか和らげられたものの、1960年に改定された現行の安保条約にも引き継がれた。
アメリカは、この権利に制限を加える前例を作ることを望まないだろう。トランプ大統領ならばお得意のディールを持ちかけてくるかもしれないが、そのときは非常に高い代価を支払わされることを覚悟しなければならない。
当たり前の主権国家に
領土問題は係争国の双方でナショナリズムを喚起するので、双方の国民が納得する解決は容易ではない。そこに、安全保障上の問題が加われば、いっそう困難となる。プーチン大統領は長年係争が続いてきた中国との国境問題やノルウェーとの海の境界線問題も解決しているが、強大な権力を持つプーチン大統領だからこそ、この困難な問題を解決できたと言えるだろう。
安倍首相も、衆参両院で与党が3分の2議席以上を確保し権力基盤が安定している自らの政権であれば、プーチン大統領と共にこの問題を解決できると考えているのかもしれない。
しかし、最大の問題は、日本にはロシア側の安全保障上の懸念を払拭する権限がないことである。北方領土を日本に引き渡したら、ロシア軍艦隊の太平洋への玄関口に米軍基地が設置されるのではないかという安全保障上の懸念が払拭されない限り、プーチン大統領が引き渡しに応じることはないだろう。
プーチン大統領は12月20日に開いた記者会見で、米軍基地問題について「日本が決められるのか、日本がどの程度主権を持っているのか分からない」と指摘し、この問題に対する明確な回答がない限り「(平和条約締結に関して)重要な決定を下すのは難しい」と語った。
ロシア国内では、日本に引き渡した後の色丹・歯舞2島に米軍基地が設置されるリスクを回避するために、両島の帰属をロシアに残したままの「引き渡し」という選択肢まで議論されているという。日本にとっては、このような「主権なき返還」は到底受け入れられるものではないが、日本に米軍基地設置に関する主権があれば、そもそもこんな議論は起こらないはずだ。
北方領土問題で浮き彫りになったように、安全保障の問題に関して自国の意思で物事を決められないというのは外交にとって致命的である。領土問題の解決だけでなく、周辺国とアメリカ追随ではない自主的な外交を進める可能性が大きく制約されている。せめて、他の大多数の米軍駐留国と同様に、基地を提供するのも返還してもらうのも日本の意思でできる、主権国家として当たり前の日米関係に改めるときに来ているのではないか。
それには、日本の主権を制約している日米安保条約と日米地位協定を抜本的に改定する必要がある。安倍首相には、ぜひともこの問題でも、「戦後70年以上残されてきた課題を次の世代に先送りすることなく、必ずや終止符を打つ」という気概で取り組んでいただきたいものである。
※日米地位協定がいかに日本の主権を制約しているかについては、以下の書籍に詳しく論じられています。